<目 次>
はじめに
1.努力対効果比が良い
2.総合点を増やすことができる
3.重大な失敗の確率が低くなる
4.ストレスが少なくて済む
5.他人の失敗に対して寛容になる
6.失敗を恐れない
7.人生を肯定的に生きることができる
あとがき
はじめに
私はどういうわけか、一部の人に完全主義者と思われ、それを知って驚愕することがあります。しかし、実際はその全く逆の人間であり、不完全をモットーに生きて来ました。80点主義、98点主義こそが、小学校時代からの私の生きる知恵のようなものでした。昔から100点を取れない、いつもどこかケアレスミステークをしている人間でした。そういうことがくり重なったからでしょう、逆に98点で良い、その代わりに他のことでも98点をとろう、という風な努力をするようになりました。少なくとも、中学生の頃からは、はっきりそれを意識してきたと思っています。
この98点主義、一般には80点主義、例えば大学入試のような難しいものでは60点主義は、非常に効率がよく、またストレスを少なくする効果があります。力の無い者がそこそこの成績を出す、あるいはそこそこに人生を楽しむには、恐らく最良の方法ではないかと思っています。
そこで、もう少し詳しく80点主義のメリットをご紹介することにします。目次へ戻る
1.努力対効果比が良い
難易度にもよりますが、例えば合格点が90点の課題に対して、98点を取るのにはそれほどの努力は必要ではないかもしれません。そこそこに努力をし、あるいは点検をすれば良い場合も多いでしょう。しかし、100点を取ろうと完璧を目指すなら、それには比較にならぬ努力と時間が必要で、点検を繰り返し、何度も見直しをしなければならないでしょう。98点を取るのに必要な努力を仮に100とした場合、100点を取るのに要する努力は150とか200になるる場合があると思います。その場合の努力対効果比は、98点の場合98÷100=98ですが、100点の場合100÷150=67、100÷200=50となり、払った努力に対する効果から言って非能率的です。
この、100点満点を獲得するよりもはるかに少ない努力で合格点を上回る結果が得られるということが、この80点主義の第一のメリットです。
成果は、あるところまでは払った努力に比例する傾向にありますが、それを過ぎると努力に対して成果はなかなか上がらなくなって行くのが通例です。そこで、完璧を目指さず、あるところで妥協するのが、結局は効率的であるというわけです。
80点主義をもう少し正確に言いいますと、合格点を上回れば良い、それ以上は与えられた状況下で効率良く達成できる点数に満足するという生き方で、それを分かりやすく80点としただけのこと、80に特別な意味はありません。目次へ戻る
2.総合点を増やすことができる
上に書いたメリットは、もちろんそれだけでも十分に価値があると思いますが、それだけで終らせるのはもったいない。むしろ、次に挙げることがらにつなぐことで、何倍ものメリットが生まれます。世の中には一つの問題だけが存在することは少なく、同時に多くの問題が待ち構えています。大学入試を例にとると、私たちの時代は7〜8教科のテストを受けることになっていました。そのような場合に完全を目指すと、よほどの秀才でなければ、ある教科で成功しても、残りは散々な成績に終る可能性が大きいでしょう。100点1個に対して60点未満が数個という場合も充分考えられます。その結果として平均点も60点未満となり、不合格となる可能性が高くなります。
しかし、80点主義では、合格点を上回ることが目標なので、努力の分散を効率的に行うことができ、そのために総合点(平均点)が合格点を越えやすいというメリットがあります。
とりたてて才能があるわけではない私が、これまでの受験をなんとか無事通過することができたのは、この80点主義のお陰だと信じて疑いません。目次へ戻る
3.重大な失敗の確率が低くなる
80点主義のもう一つのメリットは、合格点をクリアすることが目標なので、完全を求める場合と比べて精神的時間的に余裕があり、ものごとを広い目で総合的に見ることができやすいことだと思います。同時に、あまり小さなことがらにとらわれないで、大切なところを押さえておけば良いとする生活習慣が身についてきます。
これは、常に次善の策を考えながら行動しなければならない外科医や臨床医にとって大切なことがらで、小さな失敗はあっても、重大な失敗をし難くする効用があります。目次へ戻る
4.ストレスが少なくて済む
「合格点を上回ればよい、それ以上はできる程度に努力する」という生き方をすると、完璧を求める場合と比較にならないほどストレスが少なくなるのはお分かりいただけると思います。自分は誤ることがないというポーズを貫くのには、大変なエネルギーが必要であり、同時にものすごいストレスを受けることになります。これに対して、自分が小さな失敗をよくすることを自覚し、ありのままの自分を見せることは、心の平安につながります。そして、小さな失敗はするが、重大な失敗はあまりしない、一つ一つのことでは劣っていても総合点では捨てたものではないという思いは、生きる上での強い自信につながります。今は亡き曲直部壽夫先生から私が学んだ一番大きなことは、自然体で生きるということでしたが、この80点主義に通じるところがあると思っています。目次へ戻る
5.他人の失敗に対して寛容になる
自分が失敗しやすいことを自覚すると、次には人間は誤るものだという認識になり、さらには、神でさえ誤ることがあるのではないかという考えにまで発展します。そうなると、他人の小さな失敗に目くじらをたてることも少なく、他人に寛容になり、思想や宗教に対してさえも寛容になります。世の中には他人の失敗や欠点を指摘することに喜びを感じているかのように見える人もいます。しかし80点主義が身につけば、そのような人に誤りを指摘されたとしても、腹を立てるよりは、むしろその人の生き方を哀れと思い、寛容になってくるものです。目次へ戻る
6.失敗を恐れない
自分が失敗しやすいことを自覚しているので、ある程度の失敗は始めから覚悟をしており、新しいこと、困難な問題に挑戦することに臆病でなくなります。これは「あかんでもともと、うまく行ったらもうけ」いわゆる「ダメモト」主義につながると思います。完璧な成功を求めず、小成功で良い、中成功ならなお良い、大成功なら大満足と思考回路が自然に働くのです。目次へ戻る
7.人生を肯定的に生きることができる
人生の大きな喜びの一つは、自分で目標立て、これを達成することにあります。少なくとも私はそうです。この達成についても80点主義では、自分が思う合格点を少しでも上回れば、それで満足します。時には目標を上回る成果が得られることもあります。そのようときは、まさに ブラボー! 大満足です。日常のことがら、例えば食べ物、飲み物などについても80点主義が身についていると、ある水準以上の味であれば満足し、それを越えれば越えるほど満足度は増しますが、より美味いものを追い求めるということはしなくなります。
80点主義は、食べ物に限らず、持ち物についても、よりも良いものを追い求めるということをせず、自分が思う合格点を越えていれば、それで良しとし、関心を他に向け、欲求不満を減らす効用があります。もちろん、この80点主義は、結婚、家庭、仕事、趣味など生きること全てに当てはめています。
私の生きる目標は、死に際に後悔しないように生きる、つまり「悔いなき人生」ですが、正確には「悔い少ない人生」で、ここにも80点主義が生きています。
このような生き方は、芸術家、求道の士、グルメ、ドンファンといった現状に満足せず絶えず向上を目指す生き方の対局にあると言えましょう。そのような人たちにとって、80点主義などは侮蔑の対象以外の何ものでもありますまい。また、私もそのような生き方を否定するのではなく、むしろ尊敬し、羨ましく思います。しかし、自分のような能力才能のない人間が、その形だけを真似るなら漫画になるのは必定でしょう。目次へ戻る
あとがき
以上7つに分けて80点主義の効用を述べてきました。以前「腹十二分目でも健康」のタイトルでご紹介した食生活と同様、この80点主義もずいぶん昔から行ってきた私の生活スタイルです。これをご紹介するに当たって、このような意味付けもできると考えてみました。しかし、このような「へ理屈」が付けられるから、80点主義を信奉してきたのではなく、満点をとれないところから、開き直ってこのスタイルを選ぶことになったというのが真実です。これには、あるいは性格や育った環境も関係しているのかも分かりません。というのは、30年以上ともに生きてきた配偶者にその気配が全く見られないからです。(1998.8.2.)目次へ戻る