駅前新聞 第38号

堕落論



朝の優しい明かりに包まれながら、ステレオから流れるボッサノバのリズムにたゆたっていると、

このまま体が解けてベッドの中に染み渡ってしまうんじゃないかと思えるほど気持ちがよい。

こんな時間がずっと続けば良いなと思うものの、

心地よい天気が続くと、なんだか部屋の中に閉じこもっているのが

もったいなくなって、 急に外に飛び出したくなってしまう。

もちろんオートバイでだ。

おまけに、僕は失業中で時間は腐るほどある。

こんな時には、散歩がてらに乗ったオートバイで、

そのままウドンを食べに四国まで行ってしまうなんていうのもアリだ。

がしかし、である。

こんな時に限ってオートバイが故障中なのだ。

しかもけっこうな重態で、修理に10万円くらいかかるという。

もちろん失業者にはそんなお金は出せるはずがない。

何とか手っ取り早くお金を作ることはできないかと考えたのだけれど、

今さら時給900円のアルバイトなんてする気にはなれないし、

ガテンな肉体労働もいまいち乗る気がしない。

それに、失業中の身でそんなアルバイトをやっていたら、リアルにフリータ−一直線みたいで、

それだけはどうしても避けたかった。

でもオートバイに乗りたい、乗りたい、乗りた〜いのだ。

そこで、働かないで何とかまとまったお金が手に入らないかなんていう都合のいいことを

考えていたのだけれど、世の中はそんなに甘いはずはなく、

天からお金が降ってくるなんてことはありえないのだけれど、

いざ考えてみると名案というのがたまには浮かぶもので、

世の中には甘い話があったりする。

それは、ただゴロゴロと寝転がってテレビを見たりゲームをしているだけで

まとまったお金が手に入ってしまうという、なんともおいしい話だ。

それは、誰でも一度は耳にしたことのある有名な儲け話しなのだけれど、

そのあまりの奇妙さにだれもが実際にやったことがない、新薬の治験アルバイトのことだ。

治験アルバイトでは、3日くらい病院で寝泊まりしながら薬を飲んでいるだけで10万円くらいは稼げてしまうという。

こんなにおいしい話はない。

以前の僕ならこんな怪しいことなどやりはしないだろうけど、

実際にお金が必要なのに加え、なんだかその怪しい世界の実態を知ってみたくもあった。

もちろん副作用などのリスクもあり得るのだけれど、まあ仕方ない。

また、どうせ失業中だし堕ちる所までとことん堕ちてやろう、

なんて投げやりな考えになっていた。

ダメ人間の堕落願望とでもいうのだろうか。

(昔にあった売血をする血液銀行が存続していたら、迷わず飛び込んでいたことだろう)

まあそんなわけで、さっそく新薬の臨床アルバイトを探すことにした。

インターネットで調べればすぐに見つかると思っていたのだけれど、

これがなかなかヒットしない。

というのも、この新薬の治験アルバイトというものが法律や道徳の問題で、

アルバイトではなく、あくまでボランティア的な扱いで、

大々的に募集をかけることができないのだ。

そしてそのかわりに検索エンジンに引っかかったのは、

その治験アルバイトを行っている病院を紹介してくれるというヤミの紹介業者のHPだ。

業者と言っても、個人で小遣い稼ぎでやっている非合法なものだ。

どのブローカーも¥2500の紹介料がかかるので気が進まないのだけれど、

治験アルバイトが決まればそんなお金ははした金なので惜しくはない。

そしてもちろん三日間の治験の後には、オートバイで四国にブンブンのウドンをズルズルなのだ。

なんだかずいぶんやる気もーどになってしまっていた僕は、あまり深いことを考えずに、

そのまま指定された口座にお金を振り込んだ。

そしてその数日後に紹介業者から以下のようなメールが届いた。

西武新宿線都立家政駅より徒歩5分程度
Tel:03-5327-××××
ここに電話して「臨床試験に参加したいのですが」と告げて日程の調整をすればOKです。
どこで知ったかについて訊かれたら、試験所のHPを見たとお答え下さい。
以下は注意事項です。

・インターネットでの有料紹介だとは絶対に言わないようにしてください。
 インターネットで紹介されたと言うと金儲けを目的としていて
 ボランティア意識のない方だとみなされますので参加が極端に不利になります。

・当方の名前は絶対に出さないでください。
 当方の名前を出すとインターネットでの有料紹介であることがバレてしまうため
 試験に参加できなくなります。

・臨床試験のことをアルバイトと言わないでください。
 臨床試験は建前上はあくまでも医学ボランティアです(ただし謝礼はちゃんと貰えます)。

・謝礼のことを報酬や給料などと言わないでください。
 臨床試験はあくまでも医学ボランティア(有償)ですので、
 金儲けを目的とした参加だと判断された場合は職員からの印象が悪くなり
 参加が極端に不利になります。

・参加に不利になるようなこと(持病や病歴等)を言わないでください。

まあこんなメールが届いたのだけれど、

つまりは病院とも何一つ関係がなく、ただ連絡先を教えるだけのサギ師であったのだ。

初めは頭にきたのだけれど、治験のアルバイトにありつければ

2500円なんて大した問題ではないので(まあこれが彼らの手口の上手さなのだろうけど)、

そのまま教えてもらった電話番号をプッシュした。

「新薬のボランティアの件で電話いたしました塚田と申しますが、担当者の方はいらっしゃいますか?」

「はいこちらでけっこうです。ところでどこで募集を知りましたか?」

「えー、そちらの病院のHPで……」
(本当は有料サイトから教えてもらったんだけどね

「こういったたぐいの有料サイトの紹介ではありませんね」

「はい」
(他にも騙された人がいっぱいいるのかよ。まったく、あのヤミ業者だけはゼッテーゆるさん!)

「ところでこの治験のボランティアですが、かなり厳しい拘束がありまして、
起床や消灯時間の厳守、三食の食事の内容と量も決まってますし、
四時間の絶食もあります。飴玉1つ舐めたとしても検査結果に影響しますから、
もし何か食べてしまった場合はその場で退場になります。
その場合は謝礼も出ませんのでご了承下さい。
この点につきまして塚田さんは大丈夫でしょうか?」

「はい」
(うーん、アメとムチか。やっぱりそんなにおいしい話はあるわけないなー。
でも今さら引き下がるわけにもいかないし……)

「それで、この治験でみなさん苦労というか、キツイと思われるのが、
実は毎日採血させていただきまして、その血中濃度を計らせていただくのですが、
その回数が1日に10回になるんですね」

………はっ、はい
(うっひょー、まじかよ、まじかよ! 一日に10回ってそれ多すぎない?
3日いたら30回も採血すんのかよ。そりゃちょっとキツイゼ。
うーん、でも採血すると聞いて断るというのもなんだか男らしくないぞ。
もうこうなったらどうにでもなれだ。もう人間、堕ちて堕ちて堕ちまくるぞ! 」

「では、長くなりますがアンケートに答えていただきます」

「はい」
(もうどうにでもなれだっ! さっさと終らせてくれっ!)

「大変失礼なことを訊きますが、塚田さんは純血の日本人ですか?」

「はい」
(まったく失礼なことをダイレクトに聞くね。
でも日本で販売する薬の治験だからそれも重要なのか)

「いままでに喘息や癲癇などを煩ったことはありますか?」

「ないです」
(まあ、もっともな質問だな)

「大麻、麻薬などを使用したことがありますか?」

「ないです」
(おい、そんなことまで聞くのかよ)

「睡眠薬を使用していますか?」

「いいえ」
(けっこう細かいねー)

「最近献血をしましたか?」

「いいえ」
(退屈な質問が続くなー。
次の答えでちょっとユーモアでもきかしてみるか)

「今現在、薬を飲んでいますか?」

「えー、薬は飲んでいません。まったくもって健康なので。
でも、しいて言うなら、たまに目薬をさしますね。花粉症でして 」

「……塚田さん、本当ですか?」

(えっ、何かまずかった?)


「ここまでいろいろアンケートしてしまって本当に申しわけ ないのですが、
この治験はものすごくデリケートでして、あらゆるアレルギー反応のあるかたは
一切治験者の対象にならないんですよ。本当に申しわけありません。
初めに確認しておけばよかったのですが……」

……
(まじかよ、ありえね−。だってただの花粉症じゃん。
しかももう花粉のシーズンは終ってるから本当は目薬だってつけてないもん。
ちょっとギャグのつもりで言ってみただけだもん。
しかも紹介業者に2500円払っちゃってるし、このままだったら
ただの詐偽に引っかかったバカな失業者じゃん )

「では申しわけないですが、そういうわけで、今回の話は無かったことに」

…………

公衆電話の前で受話器を持ったまま、僕はしばらくのあいだ狐に摘まれたようにほうけていた。

そして、自分の軽薄さと、プライドの薄さと、頭の悪さに後頭部を思いっきり殴られてふと我に帰った。

あー、なんてこったい……

結局、治験のアルバイトは不適格になって2500円をだまし取られるという無惨な結果になった。

本当にバカまるだしだ。

まあ、これも1つの社会勉強だったと思って諦めるしかない。

でも今回の件で、人生はコツコツと地味に生きるのが一番だということを学んだ。

そして僕は明日からコツコツと生きて行くことを決意した。

そこで閃いたのは、

この治験の病院の連絡先を1500円で紹介するという商売だ。

そう、人生はコツコツ稼ぐのが一番なのである。

 

 

2004.6


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