2007年09月29日

「緑色の坂の道」vol.3803

 
       神の子は皆おどる。
 
 
 
■All God's Chillun Got Rhythm
 ステファン・グラッペリというJAZZバイオリンの名手が演奏する曲である。
 秋になるとどうもこうしたものが聴きたくなって、CDを引っ張り出す。
 
 
 
■ 緑坂に書くような話ではないが、最近私のいる界隈、警察のパトロールが厳しい。
 ポストに黄色い報告メモが入っていることもあって、先日のそれは25日の午前2時37分と記されていた。
 所属が記載され判が押してあるのだが、その時間に少し驚いた。
 深夜である。
 何年か前か、地下駐車場に車の窃盗団が下見に入ったことがあり、それ以後セキュリティはかなり厳しくなっていると聞いている。
 公道に面した辺りにも、分からないようカメラが配置されていて、敷地内に入る手前の情報を確保しているのだという。
 でなければその辺り、外来者の車は停められまい。
 
 
 
■ ここから一般的な話に流していってもいいのだが、それも億劫なのでやめにする。
 9.11以後、世界は随分と変わった。
 それ以前、地下鉄からゴミ箱が消えたのは件の事件の後からである。
 
 

2007年09月25日

「緑色の坂の道」vol.3802

 
       月の日 2.
 
 
 
■ それでどうしたかというと。
 瓶の淵をよく洗ったり拭いたりしないと、ガビガビになるのである。
 銅が錆たような、それを明るくしたような結晶がこびりつく。
 それを水に溶かせば、酒になるだろうか。
 などということは、まだ若造だから考えない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3801

 
       月の日。
 
 
 
■ 夜半、眼が醒めることがある。
 もそもそと矩形のスペースから這い出して、酒の瓶を探す。
 若い頃、といっても30代だったが、棚の上にベルモットを何本も並べていたことがあった。ジンが数種類。
 そういうものが格好いいと思っていたわけである。
 
 
 
■ 中にぺルノーという酒があって、気圧が変わる頃、手が伸びる。
 雨が近いのだろう、と細胞の中の水が教えてくれる時分、陰々滅々と嘗め始めるのである。
 
 

2007年09月20日

「緑色の坂の道」vol.3800

 
       NIGHT LIGHTS 6.
 
 
 
■ マリガンのこのアルバムは、二曲目とそれから先のものが良い。
 軽いボッサのリズムなのだが、君はなにを無くしたのだと問いかけている。
 
 
 
■ そんなことは自明で、手に入れたものがこんなもの。
 捨てた煙草の吸殻で、あなたの癖がわかるのよ。
 そうだったかな。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3799

 
       NIGHT LIGHTS 5.
 
 
 
■ 私は湾岸を川崎界隈で降りた。
 コンビナートの続く辺りを左右に折れ、金網の張ってあるあたりまでゆく。
 向こうは海で、手前に監視カメラがある。
 前はここから入れたのだが、今はもうひとつ、次の角までいってから近づくのである。 
 

「緑色の坂の道」vol.3798

 
       NIGHT LIGHTS 4.
 
 
 
■ ジェリー・マリガンのこのアルバムは、ジャケットが気に入っている。
「甘く苦い島」の何枚かの画像は、この記憶が下敷きになっているのだろうか。
 今ではもう大家の範疇に入るだろう版画家の妙齢に指摘され、にやりと笑ったことが何年か前にあった。
 
 
 
■ あのときデニーズで頭を張っていた彼は、今何をしているのだろう。
 ミシュラン硬いだろ。と口も廻り知識もあったから、今頃は外車の中古ディーラを経営しているのかもしれない。店長クラスだろうか。
 三キロ程ある腕時計を嵌めながらである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3797

 
       NIGHT LIGHTS 3.
 
 
 
■ チームの頭らしい彼は、ほぼ10歳年下だった。
 いや、もっとかもしれない。
 我々は遅れてきた不良もどきで、彼らは地元の現役である。
 しょうがねえなあ、という風情で、30Aの平型ヒューズを二個、私たちに分け与えた。
 仲間を駐車場に走らせるのである。
 
 
 
■ ワリイ、コーヒー奢るよ。
 といっても受け取らない。
 それはそういうものだとおもう。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3796

 
       NIGHT LIGHTS 2.
 
 
 
■ 馬鹿、あちいんだよ。
 と、デニーズに入る。
 煙草の銀紙で代用できるって聞いたが、銀紙のついた煙草なんて売ってないしな。
 針金拾うといっても、何処に落ちてんだよ。
 
 
 
■ 千葉のデニーズは当時ヤンキーのメッカである。
 停めてある車にガンを飛ばしながら、シャコタン、最近ではローダウンと呼ぶのだが、の数台が入ってきた。
 しばらく経ってから、そのチームの頭らしい若者の傍に近寄る。
 この間合いは面倒なもので、余計な自意識は不要である。
 事情を説明して、ヒューズを一本分けてもらう。
 
 
 
■ スカイラインは品川ナンバーだった。
 奴は246方面にいたのだが、ナンバーだけをそこで取っていた。
 品川、横浜あたりのそれが格好いいと思われていた時代である。
 チューンした車で別の土地にいけば、地元の連中にどうにかされるのは当たり前の話で、私自身、タイヤに穴が数回、中華街ではアンテナ毎もっていかれたこともある。
 なんでそういうことするの。
 というのは父兄の理屈で、簡単に言えば場違い、あるいはカンに触るからだろうと思う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3795

 
       NIGHT LIGHTS.
 
 
 
■ 湾岸を法定速度で流している。
 何時だったかこの辺りで、チューンしたスカイラインに乗っていて、突然エンジンが止まった。
確かセカンドあたりで床まで踏んだら、ヒューズが飛んだのである。
 それは友人の車だった。
 おい、北澤どうしよう。
 奴はメカに詳しくなく、ほとんどショップ任せだった。
 そのくせ理系なのだから仕方ないのだが、路肩に停め、ボンネットを開けて中を見た。スペアのヒューズがなかったので、問題なさそうなそれを抜き、付け替えるとエンジンは戻った。
 九月のまだ暑い盛りだったのだが、帰り道、エアコンは効かない。
 スパルタンだよな、と、奴はやせ我慢を述べていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3794

 
       銀色の鱗 4.
 
 
 
■ 暇か。
 と尋ねることなど、昼間の世界ではほとんどありえない。
 当時はそれが普通で、おう走りにいこうぜ、と週末の夜を潰すのである。
 隣に女がいて、もちろんそちらも必需なのだが、興味は新しい玩具へとむかう。
 
 
 
■ 10年。
 どころではない時間が過ぎる。
 仕事も傍にいる女も変わり、何人かは消息がわからなくなった。
 そいつの息子だという若者が電話をよこしたこともあった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3793

 
       銀色の鱗 3.
 
 
 
■ 昔、首都高の一号線しかない時分、そこは半分テストコースだった。
 逃げ場のない狭い路面で、緩やかに続くコーナーと直線で、床までいけば何キロ出るのか。
 リアに荷重をかけたまま、隣の車線にはみ出さずどこまで滑らかに抜けられるのか。
 そんなことを自分の車で、または友人知人の車で繰り返した。
 暇か。
 少しいじったんだ。走りにいこうぜ。
 そんな電話が入るのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3792

 
       銀色の鱗 2.
 
 
 
■「これから、どこへゆこう」
 という緑坂を随分前に作った。画像入りの単独作品である。
 EPSONの担当者はそれを広告として使うかどうか、本社界隈で随分悩んだ末、画像がマンハッタン界隈のそれなので、かの地のリスクを考えて見送る。
 その判断は正しく、あそこでは弁護士がタクシーの後を自転車で追いかけている。
 
 
 
■ 右にゆけば空港中央である。
 左はさっき昇った本牧。
 尻が流れるというのはこの車の場合基本的にないのだが、フロントの滑り具合を確かめてギアをサード辺りまで落とした。
 
 

2007年09月19日

「緑色の坂の道」vol.3791

 
       銀色の鱗。
 
 
 
■ 大黒埠頭はかつて、週末の夜ともなると、改造した車の集合場所だった。
 年々規制が厳しくなって、時間を区切って閉鎖される。
 脇にクラウンのPCが停まっていて、その隣に若い警官が警棒を持って立っていた。
 いわゆる歩哨であるが、地味でそして忍耐力のいる仕事かもしれない。
 
 
 
■ ベイブリッジ脇にある芝浦パーキングも、ランクルの特殊車両で入り口がふさがれていた。
 あそこはどちらかと言えば、メルセデスがポルシェに委託して作ったW124のE500/500E、またはkawasakiのライムグリーン、空冷4発の単車などが集まる。
 インターネットが普及してから、それはミニオフと呼ばれるらしい。オンラインでの交流に対して、オフラインだからということだろうか。
 まだ暑いというのに膝下まであるブーツを履いた30代後半から40代までの男たちが、缶コーヒーを片手に語り合う。
 普段はまっとうな勤め人をしている彼らが、時々だけは別人になるのである。
 
 
 
■ 私はと言えば、ボルボではない車で、大黒からの昇り坂を加速していた。
 乗って一時間。時々床まで踏んでやらないと車の挙動は手元にこない。
 シートやステアリング。それからエアコンの温度設定を細かく触る。
 誰もいない直線で、1/2くらいのブレーキを踏む。
 ABSが動作する遥か手前である。
 左右に振られないことを確認してから、少し真面目に走り出す。
 
 

2007年09月14日

「緑色の坂の道」vol.3790

 
       物語と瞬発力。
 
 
 
■ このところ企画書ばかりを書いている。
 ひとつ事案が終わる度に、紙袋でふたつみっつの書類が出る。
 こうした裏話をしても仕方ないのだが、話は文脈についてである。
 
 
 
■ 例えば前の緑坂.3789 のようなものを書く場合と、比較的長いもの、ボディコピーや上記企画書その他とでは、書き方もその思考方法も違っている。
 分かりやすい例で言えば、一枚の写真単体は、例えば、動画や映画とは全く異なる文脈・コンテクストの中にあって、動画をスチルしたからといって単体の写真そのものにはならない。その逆もしかりである。
 
 
 
■ この切り替えが結構厳しい。
 プロの方々はそれぞれ独自のセオリーを持っている筈である。
 講演が得意な方。全ての資料を突っ込む方。
 印象的なフレーズをいくつも組み合わせることで、何時の間にか煙に巻く方。
 過去のセオリーは確かにあるのだが、それを少しだけはみ出すことで個性だと分かる。
 その方の作品だと知れてゆく。
 
 

2007年09月08日

「緑色の坂の道」vol.3789

 
       夜に飛ぶ鳥。
 
 
 
■ 風の強い一日が終わった。
 ガラスを開けると、影のようなものが横切る。
 
 

2007年09月07日

「緑色の坂の道」vol.3788

 
      二丁拳銃のテーマ 11.
 
 
 
■ 地下に車を入れると、黒塗りのセンチュリーが二台並んでいた。
 ひとつはTV局の迎えのもので、ひとつは私用である。
 私用のものは、アルミを替えてあるので分かる。
 エレベーターを待つ間、軽く会釈をした。
 何階までですか、と尋ねられるので、恐れ入ります一階をと答えた。
 年長者にボタンを押させるのが忍びない。
 郵便受けを確認したが、スタッフが持ち帰ったようだった。
 
 
 
■ 着替え、頭を洗い、打ち合わせの場所に歩く。
 編集の方は30代半ばくらいの妙齢で、あら、雫が垂れてますよと言われる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3787

 
      二丁拳銃のテーマ 10.
 
 
 
■「男たちの挽歌」のイントロで、偽札を作るシーンがあって、主人公が偽札で煙草に火を点ける。
 それを真似る馬鹿なヤローが後を絶たず、質の悪い綿のトレンチを羽織ってはにやりと笑う。
 何年か前だろうか、刑事さんと話していてその話題になった。
 つまりは廊下での雑談である。
 案外に好きな奴が多くてね。
 はあ、そうですか。
 私はお上には逆らわない。
 婦警さんは美人だと思うこともある。
 
 

2007年09月06日

「緑色の坂の道」vol.3786

 
      二丁拳銃のテーマ 9.
 
 
 
■ 中華街と元町で買い物をしてそれから戻った。
 買ったのは珍しいだろうかという紅茶と、ワイシャツの袖を留めるバンド、アームである。何組か持っていたのだが、使うときになると何時も片方しか出てこない。
 豚肉を柔らかく煮たものが缶詰になっていて、皿の下に茹でた中国野菜を並べてから上に乗せる。これも二缶買った。
 すぐに戻れとの連絡が入ったので、今度は首都高に乗った。
 
 
 
■ 工業地帯の辺りを走っていると、あれから随分時間が経ったのだなと思う。
 あれからとは、右も左も分からずに遮二無二仕事をしていた時分だろうか。
 作品を仕上げていると、白々と夜が明ける。
 ほとんど事務所内浮浪者のような様相だった。
 別宅には戻らず、スチールケース社の椅子の上で達磨のように胡坐をかき、足がしびれているのに気づかず、右足を出すと仕事場の床で足首をくじいた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3785

 
      二丁拳銃のテーマ 8.
 
 
 
■「男たちの挽歌」は、今30代半ばからの男たちに人気があるという。
 それはそうなので、何故なら未だ諦めきれない年頃だからである。
 
 
 
■ 家族がいて、子供が小さくて、ミニバンに乗ってはいるが走りを忘れてはいない。
 配偶者はハイブリッドだったり、軽の特別仕様だったりする。
 仲間がそろそろ家をとか言っていて、久しぶりに会うと奴の額は少し広い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3784

 
      二丁拳銃のテーマ 7.
 
 
 
■ それから嫌々仕事である。
 スタッフにメールをして、それからシャワーを浴びて着替えた。
 腹ばいになったり唸ったり、ベットサイドにある聖書を捲ってみたりした。
 
 

2007年09月05日

「緑色の坂の道」vol.3783

 
      二丁拳銃のテーマ 6.
 
 
 
■ FRのボルボは案外に小回りが利く。
 この車にはカーロケが付いていないので、PCがいないことを見極め、県庁の辺りでもったりと回った。
 途中買い物をして、ホテルの駐車場に入れる。
 昔は平場にあったものだが、今は何処でも立体である。
 ボーイは相模原から原付できたような顔をして、薄く眉を剃っていた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3782

 
      二丁拳銃のテーマ 5.
 
 
 
■ 例えばこの「序」は、初め緑坂のひとつとして書かれた。
 読者の一人が、これはまるで小説の出だしではないですかと指摘した。
 ならば小説にしてみようかと、後先を考えず続けてみたのが一部だった。
 思うことは色々あるのだが、今読み返しても個人的に嫌いではない。
 雨上がりの埠頭の空気のようなもの。
 そんなものが、分かるひとに分かれば良いのだと思っている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3781

 
      二丁拳銃のテーマ 4.
 
 
 
■ 本来は運河沿いのホテルがいいのだが、とうの昔に廃業し、今は24時間のディスカウントになってしまっている。
「夜の魚 一部」を書いていた頃、確かそれは94-95年にかけてのことだったが、当時はまだ泊まれたような記憶がある。
 当時私は30代半ばだった。あてもなくそんなことをしていたのだろう。
 まだ湾岸線は開通してなく、2リッターのドイツ車で尻を流していた。
 
―――
 
 本牧の外れの引込線から右に曲がるとその先は行き止まりだ。
 背の高いコンクリの壁をよじ登ると、黒く粘る海が見える。
 海とはいっても実感はない。薄い雨に雲が浮かんでいた。
 壁の横にぽつりぽつりと車が駐まり、車高を落とした白いセダンのボンネットの上に若い男が座っている。
  光るものを持っていて、近づくと、釣り竿を照らす電灯のようだ。
 伸びかかったパーマの頭を斜めに、バンパーに右足をのせ、考える格好で竿の先を照らしている。標識が半分取れかかっていて、「国際埠頭」と書いてある。
 海は見えない。
 音楽もきこえない。
 
(「夜の魚 一部」序)
 
 

「緑色の坂の道」vol.3780

 
      二丁拳銃のテーマ 3.
 
 
 
■ ボルボのウィンドウォッシャーは壊れていて、レバーを引くと水が垂直にあがる。
 屋根をこえ後ろに流れるシャワーのようなものなのだが、それでタクシーが車間を空けていたのだと気づいた。
 鯨のように時々水を噴き上げながら、ガラスを洗う。
 平面に近いフロントガラスの上で、小型のワイパーがゆっくりと動く。
 まだゴムは生きているようだった。
 
 
 
■ 馬車道のコインパークに車を停め、焼ソバと野菜スープを頼む。
 映画「冬の華」で高倉健さんが入っていた名曲喫茶の近くである。
 健さんは180センチ。何時もコードバンのブーツを履いていて、この映画の中でも例えばベルトに光沢があった。
 
 

2007年09月04日

「緑色の坂の道」vol.3779

 
      二丁拳銃のテーマ 2.
 
 
 
■ そのボルボにはCDチェンジゃーとカセットがついていた。
 ちょっと入れてみるとアルテック、A7のような音である。
 つまりボーカルがよくて、効率は悪いが低音と中音が立ち上がる。
 何時録音されたものか定かではないカセットを聴いていると、青江美奈さんのJAZZである。
 それから、ジョン・ウー監督「男たちの挽歌」のテーマソングが流れた。
 これは誰の趣味なのか。
 油でべたつく指をぬぐいながら、エボナイトのようなステアリングをゆっくりと切る。 
 

「緑色の坂の道」vol.3778

 
      二丁拳銃のテーマ。
 
 
 
■ 途中で飽きたので、横浜界隈にも泊まった。
 中華街の中のそれではない。
 重い石で出来た中庭には青いLEDが光っていて、例えば東京駅付近の冬の色と同じであった。
 少し田舎臭い。
 
 
 
■ ナイロンのバックを二つばかり後部座席に放り投げる。
 私は機材以外、原則としてアルミのケース、アタッシュは使わないことにしている。
 シートに置いてごらんなさい。ブレーキを踏んだらとたんにずり落ちる。
 大手代理店の若い彼などに聞くと、地下鉄では重いともいう。
 我慢している訳か。我慢している訳です。
 
 
 
■ ゆるゆる走り、第三京浜に乗る。
 何故かというと、床まで踏めない車だからだった。
 私はFRのボルボに乗っていた。
 その一番大型のもので、ほとんど船のような車である。
 走行は多分10万を超えて暫くで、オイルが1リッター程足りない。
 どうします、とスタンド・ウーマンに聞かれて一番安いものを入れてもらった。
 午後の三京を80で流す。
 パーキングでコロッケとなんだかよさそうな水を買う。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3777

 
       ZINO 4.
 
 
 
■ 若造だった頃、本が高くて閉口した。
 時々は食費よりも多かったくらいで、例えばそれは東京で車を一台維持することとも似ていた。
 安定した職種について地方に赴任した友人が、次々と新しい車に替えるのを聞いて、羨ましく思わなかったと言えば嘘である。
 
 
 
■ 牛丼の食い方に精通した。
 立ち食いでの注文の仕方にも、いくつもの流儀があるのだと知った。
 例えばワイシャツにはピンからキリまであって、一枚だけ細かな綿の織のものを持っていたらいいのだと覚える。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3776

 
       ZINO 3.
 
 
 
■ 久しぶりに入ったホテルの、そのバーで、顔を覚えている人はいないだろう。
 覚えられるような顔もしていないのだが、一見の客をどう扱うかというのは、こうした商売の基本のようなところもあって、決められたマニュアルから余る部分もあるようだ。
 黒服に尋ねて、45minくらいのシガーを貰う。
 それが外れで、途中で消したくなったくらいだ。
 水を貰う。これが一番うまい。
 
 
 
■ 向こう側にいた30代か40代の男二人連れが、暫くしてから同じようなものを注文している。
 ダンディズムだろう。
 などという言葉が聞こえる。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3775

 
       ZINO 2.
 
 
 
■ 私は中国製のパンツと10年前くらいに買ったポロ・シャツである。
 元は違う色をしていたのだとおもわれる。
 靴下は汚れると捨てるので、残り一足しかない。
 スリップ・オンに裸足だった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3774

 
       ZINO.
 
 
 
■ 都心のホテルに数日泊まっていた。
 ちょっとした訳があったからである。
 色気のある話ならいいのだが、そうもいかないのが渡世というもので、狭い風呂とルーム・サービスには飽きた。
 夜中、タクシーを拾って近場に食べにゆく。
 ビールと餃子が欲しくなるのが不思議である。
 
 
 
■ 仕事の道具を持ち込んだものだから、やっていることは普段と変わらない。
 珍しくシガー売り場に「ZINO」が置いてあって、それを求めた。
 これは安価な割りに味がしっかりしているので、あれば買う。
 それからバーのカウンターで、ぼけっと一時間ほどして部屋に戻った。