■ミャンマーは人権屋のおもちゃに
ななつのひとつさんのコメントから紹介
ビルマで射殺された長井さんやお坊さん達の追悼と、ビルマ民主化運動説明会
明日の午後、東京で『ビルマで射殺された長井さんやお坊さん達の追悼と、ビルマ民主化運動説明会』があります。賛同団体にピースボート、日本消費者連盟、アジア女性資料センターとかついてるけど、主体はまじの、ビルマ市民フォーラム、ビルマ民主化共同行動実行委員会(JAC)、アムネスティ・インターナショナル日本、アーユス仏教国際協力ネットワークです。
詳細は↓
http://www.burmainfo.org/events/200710.html
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正体見たりでありますが・・
ビルマっていうのは、植民地時代、YMCAを見本にYMBAという仏教青年会を組織し
それが民族主義と結びついてGCBAという全国組織運動になっていくわけですが
その時から欧米のリベラル異分子の混入を許していました。
この民主化のサイトを見ていると、紋切り型の英米プロパガンダの名残を
引きずっていまして、民主化の意味をわかっているのか疑問です^^
ビルマの人権と日本のかかわり
http://www.burmainfo.org/essay/tanabe20060312.html
軍艦マーチはどこの曲
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逆の現象が3月27日にビルマで起きる。3月27日はもともと1945年のビルマ軍決起を記念した「対日叛乱記念日」である。1970年代の中ごろだっただろうか、この日の呼び方は「国軍記念日」と変わった。当時のネウィン政権は最大の援助国として多額のODAを供与してくれていた日本政府に配慮して呼称を変更したのかも知れない。
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違うと思います^^対日反乱の後、英米に騙されていたことを理解したからです。
だから、我が国に対する愛慕に立ち返っただけ。
日本軍の残したもの
日本軍からビルマ軍に受け継がれたものは軍歌だけではない。例えば、ビルマ軍事政権の人権侵害の顕著な例として国際社会がしばしば指摘する強制労働がある。道を作ったり、橋を架けたり、鉄道線路を建設したりといった国の発展のためと称する事業にビルマの国民は駆り出される。それもこの地区からは何人、この村からは何人という具合に地区評議会や村落評議会など行政機関を通しての割当て制であることが多い。無報酬である。それでもビルマ政府は強制労働ではないと主張する。人々はセーダナー(誠意、善意)からお国のためにと自ら労働力を提供しているのだと説明する。だからビルマ政府は強制労働とは言わない。ロウアーペー(勤労奉仕)という言葉を使う。 数万人の犠牲者が出たとされる。
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日本軍支配時代のこうしたやり方をビルマ軍事政権は踏襲しているように見える。
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日本軍の援助によって作られたビルマ軍。日本軍の軍政支配を体験したビルマ軍。そしていま国権のすべてを掌握したビルマ軍。彼らはかつての日本軍のやり方から多くを学び、継承し、国民を押さえつけるために使っているのではという疑問を払拭できない。そこには戦前・戦中の日本の支配体制がそうであったように、人権意識のかけらもうかがえない。
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こういうのを思考停止という。
黎明の激動の時代に独立を勝ち得るということがどういうことかを
全く理解できないようであります。
で責任は我が国にある・・・
と叫ぶわけです。
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日本人が思い直すことは
たとえビルマ軍事政権の手法のなかに旧日本軍の残滓が残っているにせよ、日本本体には残っていないと思いたいが、どうもそうは断言できないようである。主権在民、基本的人権の尊重、戦争放棄を三本柱とする日本国憲法がある、それは確かである。しかし、先にあげた仮放免についてのラワカ(入国管理局)のやり方、外国人の人権を尊重していると思えないやり方などはいかにも「お上の言うことには逆らうな」という旧態依然な発想が日本の行政のなかに根強く残っていることを感じさせる。仮放免のあつかいなどは些末なことと片付けるわけには行かない。難民認定申請や在留特別許可取得にかかわる、在日外国人にとっては大切な問題につながるのである。
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日本だからこそ活動できることに感謝しつつ日本人の理解と協力を求めている。日本人としてはこのビルマの人たちの声に耳を傾けなければなるまい。
ビルマ人たちが日本で活動できるのは日本が民主主義国であるからだ。しかし、その民主主義は十全のものなのだろうか。人権は十分に尊重されているのだろうか。それを考えてみる必要がある。
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ビルマ人たちの日本での活動を制約するような状況があるならば、それを改善するのは日本人の責任である。ビルマの人たちと話し合い、理解を深め、協力してゆく作業を通じて、日本の民主主義をさらに良いものにし、人権についてももっと改善して行くことができるのではないだろうか。
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人権・人権であります。
我が国の対ビルマ施策に問題があるとすれば、
「中国との関係を切らなくてはいかなる援助も出来ぬ」
とはっきりというべきです。
で一言言いたいのですが
アウンサンが国父として定着していますが
これは英米プロパガンダの残骸でありまして、
今のように、軍事政権としてしか国家を統制できない状態に貶めた
アウンサンを「国父」として讃えている限り、民主化など無理でありましょう。
国父というならバー・モウこそ、ビルマの国父であります。
ビルマの夜明け(バー・モウ)
P378~
私を手厳しく批判した「近代ビルマ」のアメリカ人著者、ジョン・F・ケーディがこのことで私に好意ある見解を述べているのは興味あることだ。
ケーディの書は戦時中の意識の典型的産物である。同書は最後に日本に背を向けたタキン党が、近代ビルマをつくりあげたというテーマを中心に書かれた宣伝屋の歴史である。
その中で、日本を裏切るのを拒んだ私は全くの悪者とされ、人々は私の「利己心、虚栄心、日和見主義、カメレオン的戦術、権力欲」、その他表現できないほどの悪徳から、私を不信と反”感”の態度で見ていた、と書かれている。私に不信や反感を持っていた者があったことは事実で、もし機会があれば私を殺そうとした者もあった、というのは正しい。しかし、あのような激動の時代に、不信も反感も持たれずに権力を握り、それを行使できる者はどこの国にもいないだろう。
ケーディに公平にするために述べるならば、彼は、戦時中の宣伝的見方がビルマ国内にひろくゆきわたり、反日的タキン党員たちの全盛時代にこの本を書き、その大部分の資料をタキン党員たちや英国の著者たちから得たのだ。
これらの資料がその敵に対して客観で無いことは明白だ。
この理論でいくと、英米に対して戦ったすべての者は、人々からつまはじきにされる馬鹿か悪者でしかなかろう。
ケーディは、同じように敵側の資料に基づいて、ボースとインド国民軍についてもトゲのある調子で書いている。
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バー・モウはビルマの日本軍の一部組織に2度も暗殺されようとしました。
でもバー・モウはそのビルマ・日本離反の背景に英米諜報が暗躍していたことを知っていたのです。
そしてこう述べます。
「歴史的に見るならば、
日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。」
(同上、ビルマの夜明け)
はっきり言いますが
アウンサンは、ミャンマー混迷の元凶であります。
しかもその後悔を払拭できぬまま暗殺されました。
アウンサンの残骸を引きずったまま、
欧米リベラル連帯のおもちゃのまま、
中共のおもちゃのまま、
民主化などすれば、新アジア紛争地帯の誕生です。
■無題
今のビルマは、どこの国にも絶対いる
「昔は良かった…」とか言い出すおっさんの
他愛も無い懐古主義が暴走してるだけな感じがします。
そんなおっさん連中(もう爺かな?)が実権握ってて
後ろ向きの猪になってる様な。
そんな状態で民主化してもろくな事にならないでしょうね。
そう、例えるなら
学生運動華やかだった頃のおっさん連中が実権を握ってる
今の日本みたいなもんですかね。
うわー、最低だ。