「ソウ SAW」の謎を解きます。 この不可解な映画の全ての謎を・・・。 当ページはリンクフリーです。
「ソウ」の完全解読以下の記事は、メルマガ「シカゴ発 映画の精神医学」で配信しました、映画「ソウ」の解読を一部加筆修正のうえ、転載したものです。 「ソウ」完全解読特別号 |
───────────────────────────────── ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ シカゴ発 映画の精神医学 ●「ソウ」完全解読特別号●VOL.1 2004年11月7日発行 発行者 : 樺沢紫苑 発行部数 : 2019部 発行元サイト: http://www.kabasawa.jp/eiga/home.html ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ <警告> <警告> <警告> この号には、「ソウ」に関する重大なネタバレが含まれています。 「ソウ」をまだ見ていない人は、決して読まないでください。 ───────────────────────────────── 【 目 次 】 ■1 はじめに ■2 素直な感想 ■3 完全なる解読 第1弾 「ソウ」解読のための前提 ■4 「ソウ」で学ぶ医学知識 足を切断すると失血死するのか? ■5 簡単な解読 タイトル「SAW」の意味 ■6 最後に ───────────────────────────────── ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■1 はじめに ───────────────────────────────── おまたせしました。 「ソウ」完全解読のホームページから、登録されたかたは、待ちに待っていたでしょう。 ご期待にそえる解読をお届けできると思います。 最初、3号くらいで十分だと思っていましたが、書いているうちに4号分くらいの ボリュームに膨らんでいます。週2号くらいのペースで配信予定ですから、必ず最後まで お読みください。 最後に、すごいドンデン返しがあるかも・・・。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■2 素直な感想 ───────────────────────────────── まず、解読を始める前に、私の「ソウ」に対する素直な感想を書いておきましょう。 冒頭の脱出不能のシャワー室におかれた二人の男。 そして、ゲームが始まる。 なんて、凄い設定なんだろう。そこに驚く。 そして、展開は回想を交えて、複雑を極めて、広がりを見せていく。 とにかく、緊迫した展開。 手に汗握るとは、このことだろう。 これだけ最後まで一気に駆け抜けるという映画も珍しい。 そして、監督のジェームズ・ワンと脚本(兼アダム役)リー・ワネルの映画にかける 情熱がビンビン伝わってくる。映画好きが作った、映画ファンのための映画である。 そのためか、映画を見慣れていない人には、多少わかりずらいとも思うが、全ての映画が説明過多の「タイタニック」のようになってしまっても困るので、こうした 「映画ファンのための映画」を見られたことは、大変幸せに思う。 「ソウ」に対する批判もかなり出ているが、たいていは映画からの情報をきちんと 受け止めていないことに起因していると思う。 この私の完全解読を最後までお読みいただければ、この映画に含まれる情報量の多さが、他の映画に比べてとんでもなく多いこと。穴だらけと言われ脚本が、実に緻密に構築されていることを理解するだろう。 ゴードンとアダムの間にあった死体が、ジグソウだったというオチに対して、 「唐突過ぎる」「それを支持する描写はない」という指摘もあるが、どうだろうか。 私は、映画開始直後。 ゴードンが自分の名前を名乗り、「私は医者だ」と言った瞬間に、 「犯人は、彼の患者だな」と思った。 私は精神科医だが、医者が患者から恨まれる、というのはよくあることだからピンときた。 それに、真ん中の死体。この死体に関して何の説明もない。 この映画に登場した全ての人物については、詳しい説明がなされているのに、この自殺死体に関しては、全く説明がない。これは、おかしすぎる。どうみても、この事件と関係ないわけはなく、事件の重要なカギを握っているとしか思えない。 ゴードンが自分の足を切り、アダムを撃つ。映画のクライマックス。 私はこの瞬間、心の中で絶叫した。 「まさか、死体の説明が全くなしで映画が終わるんじゃないだろうな!!」 その瞬間、この死体がおもむろに起き上がった。 「やっぱり、そうか」 「よかった、よかった」 「そうじゃないと、いけませんよ」 「そうこないと、脚本が破綻しちゃうよ・・・」 「意外」というよりは、「ホッとした」というところ。むしろ「必然」である。 ただ、このジグソウが、この映画に出ていた唯一のゴードンの患者、ジョンであったことには、ど肝を抜かされた。 犯人がゴードンの患者だと、そこまで気付いていたのに・・・悔しい。 楽しい悔しさである。 生理的嫌悪感は残るものの、映画としての衝撃度はすさまじいものがある。 凄い映画を見てしまったな・・・。 私の中では、この映画に対する疑問は全くなく、矛盾も何一つない。 このメルマガ「映画の精神医学」で、分析したり説明したりするようなネタが、全然 なくてガッカリしたほどだ。 しかし帰宅して、「ソウ」の掲示板を見て驚いた。 ラストシーンはどうなの? あのシーンはどうなの? あそこが、おかしくないか? 疑問と矛盾指摘のオンパレードだ。 そんなに説明されてないか? だいたい、劇中で過不足なく説明されていると思うが・・・。 私の中では何の疑問もないわかりやすい映画で、本来細かいところなどつつかずに、素直にジェットコースター的展開を楽しむべき映画であることは百も承知だが、自分の映画への理解不足を棚に上げて、「ソウ」の批判を繰り広げる人もたくさんいるようなので、放っておくこともできない。 ということで、この「ソウ」完全解読特別号を発刊することにしたわけである。 ちなみに、私は「ソウ」は一回しか見ていない。 一部、セリフを聞き逃した部分があるので、明日もう一回見に行こうと思っているが、解読という意味では一回見れば十分だろう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■3 完全なる解読 第1弾 「ソウ」解読のための前提条件 ───────────────────────────────── この「完全なる解読」は、この特別号の最も核となるコーナーです。 「ソウ」のテーマ。「ソウ」の骨格。「ソウ」の屋台骨となる部分に関する解読で す。まあ、じっくりとお読みください。 ■ 解読の前提 〜 ゴードンとアダムの判断と行動が矛盾だらけの理由 〜 「ソウ」の掲示板が盛り上がっている。 特に、英語の掲示板は、かなりの盛り上がりだ。 「二人が真ん中の死体に気付かないのはおかしい」 「アダムがテレコをたぐり寄せた時に、死体は死後硬直していなかった。 医者であるゴードンが、それを見逃すのはおかしい」 「死体からは大量の血が流れていた。それが本物の血でなかったとすると、外科医 であるゴードンが本物の血の匂いと区別できなかったのはおかしい」 「どうせ足を切るなら、制限時間がオーバーする前に切れば良かった」 「ゴードンは毒入りのタバコをすわせて早くゲームセットすべきだった」 このように、好き勝手にいろんなことが書かれている。 ゴードンとアダムの判断と行動に矛盾が多い →(だから) 「ソウ」はダメな映画 こういう論理を展開している人が極めて多い。 しかし、この論理展開は、誤りである。 基本的に、「ソウ」を誤解している。 ゴードンとアダムの判断と行動に矛盾が多い →(だから) 「ソウ」はすばらしい映画 と考えるべきだろう。 ■ 限界状況におかれた人間の心理 「ソウ」の最大のおみしろさは何だろう? それは、死に瀕した恐怖と不安に支配された限界状況の人間の心理が描かれていることである。 鎖につながれて身動きが取れない。ジグソウに殺されるかもしれない、ゴードンとアダム。 末期癌で余命いくばくもない犯人のジグソウ。 毒を飲まされて、解毒剤をもらわないと死ぬゼップ。 ゼップに銃を突きつけられ、恐怖におののくゴードンの妻子。 直接の死の恐怖にとらわれていないのは、ダーニー・グローバー演じるタップ刑事だけだが、彼が最も狂気の中にあるようにも思える。コンビを組んでいた新米警官のシンが、彼の目の前で死ぬ。 ジグソウに対する怒りと復讐心。そして、シンを救えなかった自分に対する強い自責の念。 タップ刑事は「シンの死」にとりつかれており、その意味においては、他の登場人 物と同様に「死の恐怖と不安に追い詰められた限界状況」にいると言って良い。 さて、このように「ソウ」に登場する人物は、全て限界状況の異常な心理におかれている。 これに関しては、反論する人はいないだろう。 冷静で論理的に判断、行動できた人間は一人として登場していない。 ジクソウは冷静だったと言う人はいるかもしれないが、彼の心理に関しては、別に詳しく考察する。 わかりやすく言おう。 登場人物全員が、イッちゃってるということだ。 狂気の中にいるということだ。 ■ 限界状況の人間が正常な判断ができるのか? さて、そうした何時間後に死ぬかもしれないという状況において、人間は沈着冷静な判断と行動ができるのだろうか? できるはずがない。 普通の人間であれば、思考停止してもおかしくない。 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」のように、ただ絶叫するだけ。 それが、普通の対応であろう。 私は精神科医として不安状態の患者さんを山ほど見てきているが、不安な人というのは何も考えられない。 例えば、そうした人に「入院した方が良いですよ」と説得するのだが、「ええ、ど うしよう、どうしよう」「どうしたらいいんだろう」と、何十分も同じことを言い続けている。 私との会話も、トンチンカンで成立していない。 自分がどういう状態にあって、入院しないと命の危険すらあることも理解できない。それが「不安状態」である。 自分のおかれた状況を冷静に分析し、もっともベストな行動を選択する。 できっこないだろう。 不可能である。 我々観客は、映画館の安全なイスに座って、死に行く人々を<人ごと>のように最前列から観察している。そして、恐怖に直面した状況でも、行動に矛盾があると、それはおかしいと厳しく指摘する。 まさに、ジグソウと同じだ。 死の恐怖にさいなまれたゲームの参加者に、冷静な思考・判断とベストな行動を要求するジグソウと。 ゴードンやアダムに、「もっと頭を使え」というのは、あまりにも残酷だ。 そうじゃないか? もっと、ゴードンやアダムの気持ちを考えてみよう。 人物に共感してみよう。 最初、真っ暗闇からスタートするというのも重要だ。 目が覚めた、真っ暗闇。そして、記憶喪失である。 自分がどこにいるかも分らない。 足には鎖があって、自由が利かない。 ゴードンは真っ暗闇の中で、意識がさめてしばらくその暗闇の恐怖におかれていた。アダムは、あやうく溺死しそうになっていたのだ。 そして、電気をつける。 カセットテープを再生する。 六時までに何とかしないと、死ぬという。 この状況で、沈着冷静に周囲を観察し、最善の行動がとれるのか? あなたには、それができるのか? ■ 行動の矛盾があるからこそリアル 私に言わせれば、彼らはこの異常な状況の中で、十分すぎるほどベストな判断をしている。ある程度の推理も働かせているし、ゼップが事件に関与していることも突き止める。 普通の人間なら、そこまでたどりつかないだろう。 ゴードンやアダムが「××すればよかった」という指摘は、ナンセンスである。 彼らのおかれた、「死の恐怖と不安に追い詰められた限界状況」を全く理解していない、検討はずれな批判である。映画自体を楽しんでいない、ということだ。 彼らの判断や行動に矛盾がある。それこそが、彼らが極度の不安におかれていた描写そのものであり、リアリティなのである。 もし彼らが、シャーロック・ホームズのように、するどい観察をし、終始冷静に状況 判断し、ベストの行動を選択する。 そうすれば、「ソウ」はおもしろい映画になったのか? なるはずかないだろう。 そこには、限界状況の狂気がまったく描かれない。 ■ 狂気と正気の間をただよう究極の人間ドラマ アダムは、最初キレている。しかし、ゴードンと話すことで落ち着きをとり戻す。 そして何とか、正常な思考を回復する。 一方で、妻子が監禁されている写真を見せられたゴードンは絶叫し、冷静さを失う。携帯電話で妻子の声を聞くシーンも同じだ。 彼らは狂気にさいなまれながらも、必死に正気を取り戻そうとする。 そして、かろうじて冷静さを取り戻したと思ったら、また狂気に引き戻される。 「狂気」←→「正気」 狂気と正気の間で揺れ動く、二人の心理こそが、この「ソウ」の最大の見所である。 そして、ジクソウのいやらしさは、「正気」に戻ろうとした彼らに、新たな疑心暗 鬼と「狂気」にいたるネタを提供し続けたことだ。 「ソウ」のストーリーには、大きな矛盾やアラがあるかもしれない。 しかし、それこそが人間の狂気、その狂気のリアリティと表裏一体になっているこ とを、認識すべきだろう。 彼らは、狂気の只中にいた。 そして、ジグソウもまた、例外ではない。 ジグソウが仕掛けたゲームの内容からは、沈着冷静で頭の良い男にも思える。 しかし、彼は余命いくばくもない。死の恐怖におびえていたはずだ。 時間の猶予もないから、計画もあせっていただろう。 そして、なにしろ脳腫瘍をわずらっているのである。 彼が完璧な殺人計画を練り、常に正しい判断をする冷静な人間である、と考える根拠はない。 この計画に穴があっても、計画にいくらかのほころびがあっても、それはむしろ当 然ではないのか? リアルなのではないか? 最初の三つのゲームは、完璧な犯罪にも思える。 それに比べて、ゴードンとアダムのゲームは、計画に無理とほころびが多い。 これも、当然だろう。 ジグソウの命はだんだんと短くなっている。 死に対する不安と焦りも強まっていたはずだ。 あと何日生きられるかわからない人間が、冷静な思考と判断ができるのか? (ジグソウの余命の期間については、後日考察する) 彼の冷静さと、明晰は、時間とともに失われていったはずである。 したがって、ジグウソの最後のゲーム。 それが多少お粗末なものであっても、それは当然である。 彼らは、狂気の只中にいた。 それを理解しよう。 ■ 結語 今回は、ここまで。 何も謎を解決していないぞ!! お叱りの言葉が聞こえてきそうだ。 これらの登場人物の心理状態を理解できれば、あなたの疑問の三分の一は、すでに 解決されたはずだ。 人ごとのように映画を観るのではなく、人物に共感して映画を見よう。 そうすれば、いろいろなものが見えてくる。 「ソウ」は、まず人物の異常な心理状態の描写を楽しもう。 人物の行動の矛盾を指摘するのは、見当違いだ。 食パンの耳だけ食べて「おいしくない」と文句を言うようなもの。 一番美味しい、真ん中の部分を、まず食べよう。 とはいえ、「ソウ」の魅力の一つは、「プロットの意外性」「ストーリーのおもし ろさ」にあることは疑いない。 したがって、プロット、物語展開についての、議論が無意味とは言えない。 いや、そうした議論をしないと納得しない人の方が多いだろう。 次号からは、「ソウ」の具体的な疑問、問題に対する答を探していこう。 さて、次号までの宿題。 自分で考えないで、答だけ読んでいてもおもしろくない。 次号が到着するまでに、次の疑問に対する答を、あなたなりに用意して欲しい。 ジグソウが、この事件を起こした本当の動機は何か? ジグソウが、ゴードンをターゲットに選んだ本当の理由は何か? 今号で紹介した人物の心理。あなたが、各キャラに共感できれば、この謎は解けるはずだが・・・。 制限時間内に、答を見つけられなかった場合は、ゲームは終了となるので悪しからず。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■4 「ソウ」で学ぶ医学知識 ───────────────────────────────── 「ソウ」は、観客にキツイ映画だ。 確かに説明は少ないかもしれない。 でも、だからこそ、観客の考える余地が増えて、映画としてはおもしろくなる。 したがって、「××について説明されていない」のはおかしいという指摘も、おか しなものだ。 説明が増えれば増えるほど、ジェットコースターのような疾走感はなくなる。 「タイタニック」のように、三時間くらいかけて、ジックリ説明して欲しいの? 三時間の「ソウ」を見たいの? そういう映画が、本当におもしろいの? 分らないことは、少しは自分で考えよう。 とはいっても、自分でいくら考えてもわからない。 正しい答には到達できない疑問もある。 医学的知識に関する問題である。 医学常識に関しては、人によってかなり差があるようだ。 「ジョンは力もあって、ずいぶん元気だから、腫瘍は治っていたのではないか」 「足を切断したゴードンは、すぐに死亡しただろう」 など、誤った医学知識に基づいて、誤ったストーリーを予想している人も少なくない。 このコーナーでは、「ソウ」について医学知識を交えながら、いくつかの疑問を解 決する。 ┌──────────────┐ 足を切断すると失血死するのか? └──────────────┘ ■ 常識による判断は個人差が多い ラストシーンの解釈。ゴードンは死んだのか? アダムは死んだのか? この、皆さんが一番知りたいと思う謎は、もっと後の号で考える。 それを考える基礎資料として、「足を切断すると失血死するのか?」、 という医学的な問題について説明しておこう。 なぜなら、ゴードンはシャワー室に放置されるわけだが、あと何時間くらい生き られるのかということが、ラストシーンの後のストーリー予測をする上で、大切に なってくるからだ。 ラストシーンの後のストーリー予測 1 ジグソウは、ゴードンを殺し、その後戻ってきてアダムを殺す。 2 二人をそのまま放置して、死にゆく様子を楽しむジクソウ。 3 妻が警察を呼んで、ゴードンは無事助かる。 いろんな意見が出ているが、例えば足を切断してすぐに死ぬとすれば、[3]の 仮説は成立しなくなる。また、[1]のようにジグソウが戻ってきて、殺す必要もない。 ■ 死ぬか死なないかは、ケース・バイ・ケース さて、一般論。足を切断した場合は、死ぬのか死なないのか? 答は、ケース・バイ・ケースだ。 切断端をきちんと止血しなければ、出血は続く。 ただ、人間の生命とは不思議なものだ。出血すると血圧が下がる。 血圧が下がると血が出ずらくなり、止血しやすくなる。 止血処置をほどこさなくても、自然と血が止まることもあるかもしれない。 ゴードンがこのまま何日もここから出られなかった場合、たとえ止血したとしても、 創部の感染は避けられない。 感染症が併発すると、命は非常に危険になってくる。 ■ゴードンがすぐに失血死しない医学的理由 一般論でいえば、足を切断したからといって死ぬかどうかは分らない。 でも、「ソウ」の場合は、このあとゴードンがすぐに死んだかどうかは、明確に 描かれている。 足を切断しても、失血死することはない。 きちんと、止血処置をすれば。 ここで思い出して欲しい。ゴードンは外科医だということを。 ここで、彼が外科医であるという設定が効いてくる。 彼は精神科医ではないのだ。 当然、止血処置はお手の物。 外科の手術。ほとんどの人は見たことがないだろうが、半分以上は「止血」の 作業である。 外科医とは、止血のプロなのである。 ノコで自分の足を切るシーン。 ゴードンは相当に動転していたが、衣服で切断部をガッチリと縛ってから、切った ようだ。切断後にゴードンが床を這うシーンでは、床に大量の血が流れ出ていない。つまり、止血されている。 止血が、映像的にきちんと表現されている。 真ん中の死体の派手な出血とは対称的である。 以上のことから、ゴードンが足の切断によって、すぐに失血によって死亡するとは 考えらない。 でも、すぐにって、何時間よ? この後、何時間後に病院に行けるのかが、大切になってくる。 ニ、三時間は全く大丈夫。 五、六時間でも何とか大丈夫だろう。 一晩以上たつと、感染の危険によって、命の危険度は急速に高まるだろう。 さて、医学的な知識によって、「足を切断すると失血死するのか?」という問題に 答えたが、映画の解読は本来映画の描写をもとに、行なうべきである。知識や常識というのは、個人差が大きすぎるので、解釈にブレがでるし、そもそもこんな医学的な知識は、ほとんどの観客は知らないわけであるから。 ■ゴードンがすぐに失血死しない映画的理由 実は、こんな医学知識がなくても、映画の中で、「足の切断によってゴードンはす ぐに失血死しない」ということは説明されている。 まず、ジクソウが仕掛けたゲームには、生き残るための答が必ず用意されていた、ということ。 その答というのは、非常に残酷であったり、良心の呵責をともなうわけだ・・・。 ゴードンに対して用意されていた答は、「自分の足をノコで切って、死体の銃を とって、弾をこめてアダムを撃ち殺す」ということだったはず。 つまり、これが正しい答だとすれば、それを遂行した場合、彼は生き残れないといけないのである。 そうでないと、生存のための答にはならないから。 つまり、「足を切断してもすぐには死なない」という前提がなければ、これはゲー ムの答として成立しない。 足を切断してアダムを殺す。その後、助けを呼んで、救急車で運ばれれば、死なないということだ。 ■外科医が、死なないと判断している さて、ゴードンはなぜ自分の足を切断したのだろううか? 家族が死んだと思って自暴自棄になったからか? 違う。 アダムの肩を撃って、ゲームセットを装った。 つまり何とか、突破口を見つけて、「自分の命が助かる」ために、足を切ったはず である。 「生」へのこだわりを持っていた。 そして、「アダムを殺さないで、肩を撃つ」という冷静さは、残されていた。 つまり、完全な狂気には支配されていなかった。 ゴードンは外科医である。 彼は、生きるために、自分の足を切った。 つまり、優秀な腫瘍外科医であるゴードンが、自らの医学知識に照らして、「足を 切ってもすぐには死なない」と判断したから、足を切ったということになる。 彼は極度の混乱状態にはあっただろうが、その程度の判断は別に難しい判断ではなく、外科医として混乱状態の中でも考えられる当然の判断である。 以上のように、「足を切断してすぐに失血死することはない」ということが、映画 的に二回説明されている。 何十時間もたたないうちに、助けが来ればゴードンは助かった、ということだ。 これをもとに、ラストシーンの後。 映画では直接は描かれない本当の結末を、あななたなりに考え直して欲しい。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■5 簡単な解読 ───────────────────────────────── このコーナーでは、「完全解読」というほどのものではなく、誰でもわかるけど、 ひょっとしたら見逃している人がいるかもしれないので、念のための説明しておく、 という程度の考察を紹介する。 ┌──────────────┐ タイトル 「SAW」の意味 └──────────────┘ タイトル「SAW」の意味。 鋭い読者は、説明するまでもなく、おわかりだろう。 「saw」とは「see(見る)」の過去形。 つまり「見た」という意味である。 真ん中の死体が全てを見ていた。 この死体が、実はジグソウであったことを、暗に示している。 非常に優れたタイトルである。 ちなみに、これは映画を見なくてもわかることだ。 実際私は、映画のストーリーを全く知らなかったが、このタイトルは「見た」とい う意味をかけていることには気付いた。 なぜなら、タイトルが「The SAW」じゃないから。 英語の原題「SAW」を見て、すぐ「おかしいなあ」と思う。 「saw」とは鋸の意味だが、英語では加算名詞の前には冠詞を付ける。 映画のタイトルでも、そうである。 「The Village」「The Terminal」「The Cell」のように、「The」 がついている方が普通だ。 だから、「The Saw」となるのが普通なのだが、ソウなっていない。 それは、理由があるから。 すなわち、この「SAW」が名詞でないということである。 つまり、動詞だから、「see」の過去形「saw」ではないのか? と、映画を見る前にわかる。 だから、死体が起き上がった瞬間に、 「タイトルのSAWは、そういうことだったのか」と気付くおもしろさがあるわけだ。 たがら、日本のタイトルも、「ソウ」じゃなくて、「SAW」のままにして欲しい。 「SAW」を読めない人って、いないでしょう。 中学校の英語で習うわけだし。 それでも、「sawは鋸の意味で、seeの過去形というのはこじつけだ」という書き込 みには、笑った。 そこまで疑い深い人のために、二つ証拠を追加しておこう。 アメリカのテレビ版の予告編。 一番最後に、タイトルが読まれる。お約束だ。 そこで、なんといっているかと言うと、"See, Saw."と言っているのだ。 「見る、見た」である。 テレビの予告編で、万人に向けて、「SAW」は「見た」という意味ですよ、という ことを強調している。 さらに、ワン監督自身が、「SAWはSEEの過去形のSAWのこと。観てもらえば意味が分かってもらえると思います」と言っているから、間違いない。 映画のタイトルに複数の意味が隠されていることは、よくあることだ。 この「SAW」は、「鋸」「見た」以外の意味はないのか? まず、犯人のニックネーム「ジグソウ (jigsaw)」の「SAW」である。 「ジグソウ」とは、言うまでもなく「ジグゾーパズル (jigsaw puzzle)」のジグソウである。 この映画自体が、最初は真っ白(真っ白なシャワー室)から始まり、ジグソウパズ ルを組み立てるように、少しずつ謎が解けていく。 最後に、「真ん中の死体」という一ピースを入れて、パズルが完成する「ゲーム」 に例えているのだ。 そしてもうひとつ重要なのは、「ジグソーパズル (jigsaw puzzle)」には、 「困難な状況」という意味があること。 ジグソウは、被害者を「困難な状況」に置き去りにするゲームを行なっていた。 そこにも、かかってくる。 「SAW」には、「シーソー(seesaw)」という意味もあるだろう。 なぜなら、テレビ予告編で「シーソー」と言っているわけだから、間違いない。 日本のオフィシャル・ページにも書いてある。 刻一刻と立場が逆転するする「シーソーゲーム」にかけているわけだ。 また、「sawbones」という単語があって、その意味は「医者、外科医」である。 ゴードンは最後に鋸で自分の足(足の骨)を切る。 彼が外科医(sawbones)であるという皮肉だ。 以上のように、「SAW」というタイトルには、五つ以上の意味が隠されているとい うことになる。 これだけ見ても「ソウ」が、良く考え抜かれて作られた映画であることは、理解い ただけるだろう。 |
───────────────────────────────── ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ シカゴ発 映画の精神医学 ●「ソウ」完全解読特別号●VOL.2 2004年11月11日発行 発行者 : 樺沢紫苑 発行部数 : 2154部 発行元サイト: http://www.kabasawa.jp/eiga/home.html ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ <警告> <警告> <警告> この号は、「ソウ」に関する重大なネタバレが含まれています。 「ソウ」をまだ見ていない人は、決して読まないでください。 ───────────────────────────────── 【 目 次 】 ■1 はじめに ■2 映画の文法 ■3 完全なる解読 第2弾 ジョンとゴードンの全て ■4 「ソウ」で学ぶ医学知識 ジョンの脳腫瘍と癌患者の心理 ■5 簡単な解読 登場人物の名前は語る ■6 ソウ解読の手助けとなる資料 ───────────────────────────────── ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■1 はじめに ───────────────────────────────── 「ソウ」二回目観てきました。 目からウロコですなあ。 本当に、良くできた映画です。 第一号で配信した内容の細かい部分が、若干間違っていましたがご容赦ください。 例 ゴードンが「私は外科医だ」と言った → 「私は医者だ」といって、後でアダムに「外科医か?」と聞かれて、そうだと 答えている。 今号からは、描写についてかなり正確になっていると思います。 今号は、癌患者ジョンの全て。そして、ジョンとゴードンの関係に絞って、考察します。 あと、反論がある人もいるかもしれませんが、反論は最終号まで読んでからお願いします。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■2 映画の文法 ───────────────────────────────── 今号から、細かい謎解きに入っていく。 しかし、その前に映画の文法について、少し学んでおこう。 映画とは映像言語である。我々の日常言語とは、多少異なる。 例えば画面が暗転する。時間が前に戻って、昔の出来事が紹介される。 先日見た「ザ・グラッジ」(「呪怨」アメリカ版)では、何度も使われていた。 画面に、何年何月とか出てないぞ!! と文句は言えない。 「暗転=回想導入」というのは、映画の文法である。 それを無視すると、映画がよくわからなくなる。 だから、映画を見るとき、解釈する時は、映画の文法に従って見なくてはいけない。 映画作家が映画の文法にのっとって映画を作っている以上、観客もそれにのっとって映画を見るべきである。 そうでないと、自分勝手な間違った解釈に陥る。 とはいえ、「映画の文法」をうまくきちんとまとまめられた本というのは、ほとんど 出ていない。映画ファンが経験則として知っているだけなので、映画初心者はそんな文法など知らずに、路頭に迷うのだ。 今回、「ソウ」の解釈で不可欠な、いくつかの文法、解釈方法を紹介しょう。 これを基本にして見返せば、「ソウ」の大部分はスッキリと理解できるはずである。 ■ 映画の文法1 例の法則 「一度あることは、二度ある」 映画の重要な原則がある。 それは、映画で一度説明されたことは、変更が示されない限り、その原則が貫かれるということだ。 例えば、「アイ、ロボット」。 ファースト・シーン。スプーナーのロボットに対する不信が印象的に描かれる。 つまり、「スプーナー=ロボット不信」という標識が提示された。 観客はこの標識に従って、運転していかなくてはいけない。 しかし最後には、スプーナーとサニーの間で友情が生まれる。 「スプーナー=ロボット不信」の標識は、覆された。 観客の基本認識を180度変えなくてはいけない。 そのためには、観客にわかりやすく「スプーナーとサニーの間で友情が生まれました」という描写を周到に描く必要があり、実際映画ではそれをやっている。 「スプーナーは、ロボット嫌いを装っているけど、本当は好きなんじゃないか?」 それは、観客の勝手な解釈である。 ファーストシーンの「ロボット嫌い」描写を忘れている。 あくまでも、「スプーナーがロボット好き」になる明確な理由、根拠が示されるま では、「スプーナーはロボット嫌い」として理解するのが、映画の約束である。 ここに10キロの長い道路がある。 最初に「時速50キロ」の速度制限の標識が出た。その後は、標識がない。 その場合は、ずっと最後まで「時速50キロ」で走りなさい、というのが映画の約束 である。 そして、「時速40キロ」に変える場合は、「必ず」標識が出るのである。 出ない場合は、「時速50キロ」ということ。 だから、実生活とは少し考え方が異なる。 実生活だと、しばらく速度標識がないと、「まあいいか」と好きな速度で走ってしまう。 観客は忘れっぽいもので、半分くらい過ぎたところで、映画の序盤に提示されていた標識を忘れ去り、自分の勝手な解釈を始める。 そうすると、映画の道筋から、どんどん外れていくのである。 二度あることは、三度ある。有名なことわざである。 映画では、「一度あることは、二度ある」である。 本当であれば、同じことを二回描写して三回目はどうなりますか? というのが親切。 もちろん、同じ結果になるということ。 しかし、映画は二時間弱と短い。二回例を出す暇がない。 したがって、一例を出して、類似のシュチエーションがある場合、同じように解釈 してください、というのが「例」の法則である。 したがって、たった一回の「例」しか示されていなくても、二回目は、その「例」 に従って解釈する必要があるのである。 二回目が、一回目の「例」に反するからおもしろいという場合もある。 その場合は、セリフや映像で、一回目のパターンとは反対に解釈せよと、明確に示される。示さなくてはいけない。 そう示されない限り、一回目の「例」を守りなさい、ということである。 ■ 映画の解釈法1 常識で判断するな 劇中描写で判断しろ 「明確なセリフ、映像>映像>常識」の法則。 <1> 第一級証拠 例えば、冒頭にゴードンは言う「私は医者だ」。 こうしたセリフによる直接の説明がある以上、それは決定的な映画的事実と考えられる。 明確な映像というのは、例えばアダムを雇っていた男。 カメラはハッキリと映して出す。タップ(ダニー・グローバー)の姿を。 この映像にはセリフはない。しかし観客は判断する。 「アダムを雇っていたのは、タップだった」と。 これに関して、「これはタップの双子の弟である」とか「首を切られた別の黒人の男である」という解釈は、ナンセンスである。 そんなことを言い出したらキリがないのだ。 映画的には、「アダムを雇っていたのは、タップだった」と説明したと理解すべき である。 こうした、明確な映画的説明は、映画の議論の場合には第一級証拠となる。 裁判で言えば、物的証拠である。 <2> 第二級証拠 二つ目に重要となるのが、あまり明確ではない映像である。不確定な映像や描写である。同じ映像を見ても、10人が10人とも、同じ解釈をするとは限らない。 そういう意味で、「不確定」なのである。 たとえば、「ゼップは、監禁に協力しないで、病院に行って解毒してもらうべき だった」という指摘がある。 これに関しては、映像によって説明されている。 ゼップが、妻アリソンと娘ダイアナに銃を突きつけて、聴診器で心臓の鼓動が早まるのを聞いて悦にいるシーンである。 私はこれは、ゼップが「監禁を楽しんでいる」と判断した。 しかし、「病院に行って解毒してもらうべき」と主張する人は、このシーンを 「ゼップが監禁を楽しんでいる」とは、理解しなかったのだろう。 別にセリフで「監禁は楽しいなあ」と言うわけではない。 だから、映像から理解しないといけない。 ただ、確定的、決定的でないという点で、こうした映像証拠は、第二級証拠となる。裁判で言えば、目撃証言のようなものである。 <3> 第三級証拠 掲示板によくある。 「常識的に考えれば××だ」「一般的には、××したに違いない」 こうした常識判断は、映画の中に、一級、二級証拠が全く描かれていない場合に、初めて採用されるべき、三級証拠である。 裁判で言えば、状況証拠である。 三級証拠は、一級、二級証拠よりもはるかに弱い。したがって、劇中の描写で何らかの説明がある場合は、常識や一般論を登場させるべきではない。 例えば、いまの例。 「常識で考えれば、ゼップは監禁に協力しないで、病院に行って解毒してもらうべ きだろう」 常識的にはそうだろうが、これは映画である。 常識の大小を争うために、議論しているわけでもない。 映画の描写に従って判断するのが、映画の議論の約束である。 ゼップが「監禁を楽しんでいる」と思わせるシーンがある。 第二級証拠によって、この理由は説明されているのである。 したがって、三級証拠である常識が登場する余地はないのだ。 実は、この理由はセリフによっても説明されている。 「唯一の解毒剤は私が持っている」と。ジグソウからゼップへのテープである。 特殊な解毒剤であって、病院に行っても解毒剤はないということである。 セリフという一級証拠で、しっかり説明されているのである。 「私なら、病院に行く」 「普通なら病院へ行くだろう」 しかし、セリフによる一級証拠。映像による二級証拠の両方で、ゼップが監禁を放棄して病院に行かない理由が描かれている。 したがって、常識や一般論で、どれほど「病院に行く」という判断が確からしいこ とを証明しても無意味である。 これは、映画の解釈であって、現実世界でどうするかを議論しているわけではないのだから。 映画とは、このように理解し、解釈すべきである。 まあ、私の個人的意見だが。 ■ 映画の文法2 すべてのセリフ、描写には意味がある 全てのセリフと描写には意味がある。 もし、全く意味がなければ、カットすべてきである。カットされているはずだ。 映画とは、二時間程度の非常に短いものだ。 だから、全く意味のないセリフや描写というのは、存在しない。 意味がないようでも、「間」であったり「余韻」であったり、何らかの意味がある のだ。 だから、ささいなセリフでも、それによって、何かを表現しようとしているはずで ある。 これが映画の考え方である。 例えば、ジョンは「前頭葉の脳腫瘍」であるという。 それは、「(ただの)脳腫瘍」ではなく、「側頭葉の脳腫瘍」でもなく「前頭葉の脳 腫瘍」ということである。 なぜ「前頭葉」なのか? を考えることは、異議あることなのである(この理由 は、後半で説明)。 ■ 映画の文法3 伏線による説明 映画や小説には、「伏線」というのがある。 伏線とは、後に起きる出来事や、人物の行動の原因や動機について、あらかじめ説明しておくことである。 例えば、映画のクライマックスで、ゴードンは自分の足を切る。 かなり衝撃的なシーン。普通の人ならやらないだろう。そして、突飛な行動に見える。 この伏線が、鋸で鎖を切ろうとして切れなかった後に言うゴードンのセリフである。 「この鋸は鎖を切るためのものではない。足を切るためのものだ」 このセリフによって、後々足を切ることを暗示するとともに、ゴードンの足切りが 唐突な行動にならないようにしている。 比較的冷静な時に、ゴードンは鋸を足を切るために使う可能性があることを知っていた、と説明されているのだから。 「常識で言えば、足を切るなんてことはしない」 常識判断で言えばこうなるかもしれないが、映画的にはこの伏線によって、すでに説明責任は果たしているのである。つまり、セリフによる伏線という第一級証拠によって説明しているということである。 「足を切る」という非常識が、この映画世界では伏線によって「必然」に転化して いるのである。 ■ 映画の解釈法2 結果から原因を推定せよ 「アダムと見識のないジョンが、アダムの前で特殊メイクをとるのはおかしい。 メイクをとるのなら、面識のあるゴードンの前で、とるべきだ。」 こんな指摘もある。 これに限らず、「××はおかしい」というタイプの指摘、批判が掲示板には、山の ようにあふれているが、こうした指摘の全てがそもそもおかしい。 例えば、こんな場合はどうだろう。 「イラクへの介入で失敗したブッシュが大統領に再選されるのはおかしい。 だから、本当に選挙勝ったのは、ケリーのはずである。」 「何と、バカなことを言う奴がいるもんだ」と、思うはずである。 大統領選挙の結果、ブッシュが勝ったのは事実である。 その事実に疑門を持つのはよい。 だからといって、その事実を受け入れないのはおかしいだろう。 普通の人はこう考えるはずだ。 「イラクへの介入で失敗したブッシュが大統領に再選されるのはおかしい。 しかし、ブッシュが圧勝したのは事実だ。その理由は、何だろう? 軍需産業の影 響力が強く、意外と戦争支持者がいるのかもしれない。あるいは、何か他の理由があるのかも・・・。」 「疑問→事実の拒否」ではなく、「疑問→その理由を考える」はずである。 映画の場合も、同様に考えるべきだ。。 ジクゾウがアダムの前でマスクをとったのは、映画的事実である。 だから、「なぜ、ジグソウが、ゴードンではなくアダムの前でマスクをとったか?」 を考えるべきたろう。 「映画的な矛盾→ダメな映画」ではなく、 「映画的な矛盾→その謎に隠された本当の秘密」を探るべきなのである。 映画に対する基本的な構え、思考法が間違っているのであり、そういう見方をする人に、正しいラストシーンは決して見えない。 ■ 映画の文法の重要性 基本的に映画をどう解釈しようが、個人の自由である。 だから、どんな突拍子もない解釈も、「あり」だ。 それは、それで良いと思うし、私はどんな解釈も否定しない。 しかし、プロの評論家がマスコミというメディアを使って発表したり、一個人で あっても掲示板に書き込んだり、あるいは監督や脚本を批判するのであれば、 当然共通の言語で書くべきである。 つまり、映画について人と対話する場合は、最低限の映画の文法にもとずかないと、議論のしようがないということだ。 話がかみ合わない。 映画の文法を無視した議論は、日本語の掲示板にロシア語で反論を書き込みするようなものである。 それってどう思う? 場違いであるばかりか、誰も理解してくれず、さらには大変迷惑である。 とはいえ、映画の文法をきちんとまとめた本というのは、ほとんど存在していない。 我々が、日本語の文法をきちんと理解しなくても日本語が喋れてしまうように、 無意識に理解しているわけだ。映画ファンは。 このメルマガを購読しているみなさんは、是非この「映画の文法」を理解して欲しい。 そうすれば、映画が何倍もわかりやすくなる。 そして、映画が、何倍も面白くなる。 もちろん、「ソウ」に限らず、全ての映画が・・・。 チャンスがあれば、「映画の文法」をまとめた本でも出版したいが・・・。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■3 完全なる解読 第2弾 ジョンとゴードンの全て ───────────────────────────────── さて、「映画の文法」の基礎を学んだ我々は、ようやく映画の解読をする準備が 整った。 さて、前号の宿題。 皆さん、自分で考えましたか。 「泣ける映画で人生のヒントを学ぼう!」 http://www.mag2.com/m/0000136562.htm のHIROさんから、お答えをいただきましたので紹介しましょう。 >1問目 ジグソウが、この事件を起こした本当の動機は何か? 答え:自分は死にたくない。生きられるのに命を粗末にするなんて、許せないっ! おまえらも、うんと苦しめて道連れだ。 >2問目 ジグソウが、ゴードンをターゲットに選んだ本当の理由は何か? 答え:自分を助けることも出来ず、モルモットにしやがって。医者としての態度にも 文句がある。 「不条理な病気」に対する怒りの対象のすりかえとして、選ばれた。 おそらく、みなさんの多くもこんな感じでしょうか。 ほとんどの人が、ここまで理解できれば、変な批判も出ないのでしょうが。 さて、考察を開始しましょう。 ■ なぜ、ジグソウはゴードン医師をターゲットに選んだのか? ジグソウから、ゴードンへのテープ。 そこには、ゴードンが「いつも死の宣告をしている」ことが、理由であると語られ ている。もしそうだとすれば、全ての医者がターゲットになってしまう。 これだけでは、殺人の動機としては不十分だ。 ただ、ゴードンの「死の宣告」に関することが、ゴードンが選ばれた理由だと明言 している。 ジグソウは、ゴードンのペンライトを二番目のゲームの現場に残した。 そして、三番目のゲームの鍵を飲まされた男はオピエイト(麻薬鎮痛剤)を射たれていた。腫瘍専門医にとっては、毎日使う日常的な薬である。 これらは、ゴードンに疑いをかける陰謀である。 実際に、一瞬映る新聞記事には「ジグソウ事件で医師に疑い 著明な腫瘍専門医と連続殺人の関係」と書かれており、ゴードンが容疑者として報道されている。 つまり、二番目のゲーム(焼死したマーク)の時点では、既にゴードンをターゲットと して選んでいた、と考えられる。 そして、タップがジグソウの隠れ家に侵入したときに、シャワー室のミニチュア模 型がおかれていた。 ジグソウは、かなり前からゴードンをゲームの餌食にするということを決めていた ということだ。 いや、ゴードンをターゲットにするために、ゴードンにゲームをさせることが、ジ グソウの最終目標であったのだろう。普通は、そう考える。 ジグソウ(ジョン)とゴードンの接点は、劇中では一シーンしかない。 ゴードンがレジデント(研修医)に、ジョンの腫瘍のレントゲン写真を説明するシー ンである。 つまりこのシーンに、ジグソウがゴードン医師をターゲットに選んだ理由、すなわ ちゴードンに恨みをいだく理由が描かれているはずである。 さて、ここまで言ってまだわからない人がいれば、それは共感がたりない。 ジョン(ジグソウ)への共感である。 ゴードンは、レジテントに向かって、淡々と病気の説明を始める。 この患者は、脳腫瘍患者で結腸が原発巣である。この患者は・・・・。この患者は ・・・・。 あたかも、「物」でも扱うかのように、「患者」「患者」と繰り返す。 それを聞いていてカチンときたゼップは言った。 「彼の名前は、ジョンですよ。とてもおもしろい奴ですよ」と。 いいから黙っていろよ、とでもいうかのようなウザイ表情をしたゴードンは、 ゼップを退けて説明をする。 「この患者は・・・」と反省する様子は全くない。 このシーンで、ゴードンは合計6回「この患者(the patient)」という言葉を使って いる。 なぜ、ゼップは間から、余計な口をはさんだのか? それは、患者を人間として扱わないゴードンの言い方にカチンときたから。 だから、ゼップの「とてもおもしろい奴(very interesting person)ですよ」とい う言葉が効いてくる。 彼は「人間」なんですよ。我々と同じ。 もっと、「患者」を「人間」として扱ってくださいよ。 ゼップはそう伝えたかったはずだが、ゴードンは露骨にいやな顔をする。 ゴードンは、「患者」という呼び方を変えようとせず、むしろ逆に、「患者」にア クセントを置いて、ゼップに反発するのである。 ゴードンは、ジョンが寝ていて、聞いていないだろうと思っただろうが、ジョンは 起きて聞いていた。 ラストのネタ明かしのシーンで、ベッドに横たわるジョンが薄目を開けていた一 カットがインサートされている。 これが、ジョン(ジグソウ)がゴードンをターゲットに選んだ理由である。 あなたは、末期癌患者です。 あなたの主治医があなたの目の前で、「この患者は脳腫瘍だから、今は元気だけど、もう先は長くないんだよね」と、言っていたら・・・。 「患者」「患者」と非人格的な「物」として扱っていたとしたら? ショックを受けるでしょう? もっと配慮して欲しいと思うでしょう? 実際、こういう医者は多い。特に外科医に。 医者たるもの、患者さんに対する態度には、十分な配慮をすべきでしょう。 私も、肝に銘じておきます。 ゴードンには、患者さんに対する配慮がなさ過ぎた。 ■ ジョンの「死の宣告」 「このゴードンとジョンのシーンでは、すでに第二のゲームが起きていたじゃないか ? 第一のゲームから、ジグソウがゴードンをターゲットに選んでいたとしたら、因果関係の順序がおかしいぞ。」 こんな指摘もあるだろう。 だから、テープでは言っている。 「死の宣告」が重要であると。 ジョンは、これより前にゴードンから、死の宣告を受けているはずだ。 病状の説明を。 「あなたは、脳腫瘍で余命は長くありません」といったことを説明されたはずである。 あるいは、結腸癌の時からずっとかかっていのかもしれない。 ゴードンが、ジョンに癌の告知をする様子を想像して欲しい。 機械的、事務的。そして患者を物扱いにした、非人間的な説明であったに違いない。 その根拠は、「例」の法則。 一例を挙げれば、他も同じ。 ジョンと対面して病状説明をしたときは、とても親切で、患者への配慮にあふれた 説明だった。 はずかないだろう。 テープのジグソウは言う。「毎日毎日、死の宣告をしている」こと。 腫瘍外科医が、死の宣告をするのは仕事だから当然だ。 それ自体を責めているわけではない。 そのやり方が、患者さんの気持ちを配慮した、患者さんの立場に基づいた告知であるかどうが重要である。 自分は、もう長くは生きられない。死の恐怖に直面し、おびえている。 恐ろしくて不安でしょうがない。 しかし、この男は医師でありながら、患者の気持ちなど理解しちゃいない。 人を「物」のように扱いやがる。 死の恐怖など全く知りもしない。 ひどい医者だ。 死に至る恐怖を教えてやろうじゃないか・・・。 「死の宣告」を受けたジョン。その瞬間に、主治医ゴードンに対する殺意が芽生えた。 ジグソウの目的は、被害者を殺すことにはない。 死の恐怖に直面させ、命の大切さを教えるということにある。 ■ じゃあ、ゴードンだけを殺せば? 「それじゃあ、最初からゴードンだけをターゲットにして、第一のゲームの犠牲者を ゴードンにすればよかったじゃないか?」 確かにそうかもしれない。 でも、ジグソウはそうしなかった。 その理由を考えよう。 ジグソウの事件は、新聞で大きく取り上げられていた(タップ刑事の部屋の新聞切り抜きから)。これだけのセンセーショナルな事件であるから、マスコミがとびつく のは当然である。 ジョンは、末期癌で余命いくばくもない。 非常に孤独でさびしい。 彼は、「自分の気持ちを理解して欲しい」と思ったに違いない。 その根拠は、自分の気持ちを理解しないゴードンに腹を立てたからである。 当然、ゴ−ドンだけでなく、他の人間にも理解して欲しいと思うだろう。 さらに、「例」の法則。 ジョンは命の大切さを理解しないゴードンに対して怒りを感じた。 他の「命の大切さを理解しない人」に対しても、怒りを抱いただろう、と。 ■ ジョンの心理 躁的防衛 ジョンは、ゴードン以外の命を粗末にする人間を裁きたかったし、社会に対しても 命の大切さを訴えなければ、と誇大的になっていた。 ゴードンは自分を、裁きの神であるかのように捉えていた可能性がある。 自分が神であるという錯覚。自己肥大と誇大性。 これらは、躁症状として理解できる。 躁とは、うつの反対で、精神的に活発すぎる状態である。 末期癌患者の場合は、「うつ」を示す患者が多いが、場合によっては「うつ」の反 対の「躁」を示すこともありえる。 そして、躁状態になることで、自我を完全な絶望から保護すること。にぎやかに、 明るく、能動的に振る舞うことで、内心の不安や怒りを隠すような行動を、躁的防衛という。 例えば、あなたが彼氏にふられてしまい、とても悲しいとする。死にたいくらい悲 しいとする。心の中はどん底なのに、それを隠すように、バカ陽気にふるまうことは ないだろうか? 酒飲んで、カラオケに行ってバカ騒ぎをする。思いっきりしてしまうという。 これも、広い意味での躁的防衛に含まれるでしょう。 「新世紀エヴァンゲリオン」のアスカも、躁的防衛である。 彼女はいつも明るく、そして強気に振舞っていた。 その理由は、自分の母親の自殺のショックを誤魔化すための、躁的防衛だったのである。 躁的防衛は普通の人にも見られる。 しかし、その心因(精神的ストレス)が深く大きいほど、躁の跳ね返りも大きい。 もう数ヶ月で死ぬしかないジョン。 その彼は、世間に「命の大切さを教える」という使命感で、絶望の奈落に落ちないように、何とか防御していたということである。 「俺が社会に対して命の大切さを教えてやる」 「俺がゴードンを成敗してやる」 もちろん、その手段は誉めらたものではないが、心理としては了解可能である。 ■ 結語 1問目 ジグソウが、この事件を起こした動機は何か? 「命の大切さ」を、「ゴードン」と「命を粗末にする者」と「社会」に教えること。 それを通して、自分の「死に至る恐怖と不安」を理解して欲しかったから。 2問目 ジグソウが、ゴードンをターゲットに選んだ本当の理由は何か? 患者を「人」と思わない「物」あつかいするゴードンに思い知らせるため、 なんだ、HIROさんの回答と同じですな(笑)。 実はこの答は、50%しかあっていない。 その理由は、次号以降を読めばわかる。 ということで、次回までの宿題。 「ソウ」における、もう一つの重要なテーマとは何でしょう。 映画で何度も繰り返される重要なテーマです。 思慮深い読者にとっては、今回の分析は何のサプライズもなかったかもしれません。 しかし、足元からかためていかないと。 幹から始めないと枝葉に到達できない。 ある人にとっては、「当然」である今回の考察も、「えっ、そうだったのか」と 思って読んでいる人も結構いるはずです。 誰も気付かなかった驚愕のラストシーンへ向けて、一歩ずつ進んでまいりましょう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■4 ソウで学ぶ医学知識 ───────────────────────────────── 上記の考察だけでは、「完全解読」というわりにはたいしたことないな」という人 がいるに違いありません。 それに、このメルマガは「映画の精神医学」。人間の心理について学ぶメルマガですから、そうした視点について、もっと深めておきましょう。 ┌─────────────┐ ジョンの脳腫瘍と癌患者の心理 └─────────────┘ ■ 脳転移の患者は、どれだけ生きられるのか? ジグソウは、ゴードンの病院の癌患者ジョンだった。 ゴードンは説明する。結腸癌の脳転移であると。 このセリフは、何を意味しているのか? 「末期癌で、長く生きられない。」 そう理解した人は正解である。 でも、長くって、どのくらい? 一年生きるのと、2、3ヶ月の命では、ストーリーの理解も変わってくるだろう。 一般的な脳転移でいえば、無治療の場合には、平均生存期間は1-2カ月。 放射線治療などの治療を行なっても、3-6カ月の命である。 http://plaza.umin.ac.jp/~radiotherapy/protocol/brain/brain.htm つまり、数ヶ月の命ということである。 すなわち、ジョンは脳転移と診断された時点から、数ヶ月の命である。 もう一つ重要なのは、彼は「結腸癌」の脳転移だったということ。 これが意味することは、「完全に手遅れ」。 脳転移しやすい癌としては、肺癌がある。 肺からの血流が心臓を通って脳に到達する。肺と脳は、血液の通り道的に、非常に近い臓器なのである。 したがって、肺癌が脳転移した場合には、他の臓器には転移していないことも多い。 しかし、結腸というのは、脳からとても遠い。 結腸の癌細胞が脳に到達するためには、全身を回らなくてはいけない。 つまり、結腸癌が脳転移しているということは、全身に癌細胞がちらばっていると いうこと。 治療しても、全く意味がない。したがって、放射線療法や化学療法の適応にはならない。ほとんど、末期も末期のひどい状態、ということ。 だから、ジョンは必ず死ぬ。 そして、余命数ヶ月というのが重要。 別に警察につかまっても怖いことはない。裁判が終わるまでに死んでしまう。 恐れるものなど、何もないのだ。 自暴自棄になってもおかしくない。 これが「あと三年」の命だったら、犯罪にあけくれることはなかっただろう。 ジグソウの犯罪動機を考える上で、重要な事実である。 ジョンは、ゴードンから癌の告知を受けてから、ジグソウになった(はずだ)。 最低四人を巻き込む事件(ゲーム)を起こしている。 結構、道具などに凝ったこった仕掛けを準備しているので、若干の準備期間も必要だろう。劇中では、ゴードンが回想する時に「5ヶ月前」の事件と言っている。 癌の脳ヘの転移といっても、病理組織型によっても進行の速度は違う。 半年生きる人もいるし、一年生きる人もいないわけではない。 「5ヶ月」という期間は、長いほうだと思われるが、ありえない期間ではない。 確かなのは、ジョンの命は、もうほとんど残っていない。 いつ死んでもおかしくない状態、ということである。 ■ ジグソウは元気だったか? 「ジョンは力もあるし、元気そうだった。それがすぐに死ぬということなどありえるか?」 元気だった? でも、元気でない描写もある。 ゴードンへのテープメッセージの中で、ジグソウは思いっきり咳き込んでいる。 シャワー室を出るシーンの歩き方が変だ。 歩行障害が現れているので、脳腫瘍はかなりひどいのだろう。 私は精神科医だが、末期癌患者のカウセリングをすることも多い。 きちんと歩いて散歩していた患者さん。 ニ、三日して会いに行くと、亡くなっていたということは、よくある。 末期癌では、一見元気そうでも、一気に悪化して、たちまち亡くなる。 ジョンはシャワー室を出て行った。 彼は数日後か、数週間後には、死亡したと考えるべきだろう。 ■前頭葉腫瘍が意味すること もう一つ気になるのは、ジョンが前頭葉の脳腫瘍だったということ。 「前頭葉」という言葉を出す必要はないのに、映画では出ている。 つまり、それによって何かを表現しようという作家の意図がある。 前頭葉とは、外界の情報を整理し組み立て判断する機能を有する。 人間らしさ,人間としての心、人格、自我、意識などが、前頭葉の機能と考えられ ている。 実は、異常犯罪と前頭葉の関係性が指摘されている。 連続殺人犯などの脳を調べると、前頭葉に何らかの異常がある場合が多い というのだ。 もっと、詳しく知りたい人は、 「脳が殺す―連続殺人犯:前頭葉の“秘密”」 http://www.kabasawa.jp/eiga/page/book4.htm を読んでみるとよい。 したがって、ジョンがジグソーになった理由。 第1義的には、前述したように、ゴードンに対する恨みということである。 しかし、「前頭葉の障害」という、器質的な要因も原因の一つとして、提示されて いるということだ。 つまり、腫瘍前は犯罪などを犯すような人でなかったかもしれない、ということに なる。 脳腫瘍の症状の一つとして、性格変化、感情変化などが起きることは事実である。 ジョンは単なる性格異常者、異常犯罪者ではなかったかもしれない。 そんな、ジョンの悲哀をプラスする描写なのかもしれない。 ■ 入院中にゲームを仕掛けることは不可能? 「入院中のジョンが、病院を抜け出して、犯罪を犯して、また病院に戻る。 それを繰り返す。そんなことは、無理だ。」 ゴードンがジョンのレントゲン写真を説明するシーンは、二回目のゲームの起きた次の日である。 刑事がゴードンの昨晩のアリバイを聞いているので、事件は前の晩である。 確かに、入院していれば無理だろう。 可燃性ジェルを敷き詰めたり、犯人を拉致したりと、共犯者がいればべつだが、 一人では相当大変そうだ。 準備だけでも何時間かかるのだろうか? しかし、ジョンがずっと入院していたと、どこがで説明されていただろうか? ジョンは病院のベッドに寝ていただけである。 このシーンを良く見よう。 ジョンが寝ていた部屋。 この部屋には、シャーカステン(X線写真を見るための白く光る装置)があった。 患者の病室に、シャーカステンはないのだ。 シャーカステンは、診察室にある。 ここは、外来の診察室である。 入院患者なら、検査が終わった後は、入院中の自分のベッドに戻るはずだ。 しかし、戻っていないで、外来のベッドで休んでいたということは、入院していな い外来患者なのである。 彼は病衣をきていたように見えたが? これは検査着だろう。 つまり彼は入院していたのではなく、画像検査を受けるために病院に来て、その説明を受けるまで、ベッドで休んで待っていたのではないか? ゼップとジョンは、顔見知りであった。 どこで知り合ったのか? 入院していなくても、病院に通院中の患者さんなら、病院のスタッフと親しくなる ということはよくある。 映像証拠は、ジョンが入院していなかったと説明している。 ■ 末期癌なのに入院していないのか? 末期癌患者なのに入院していないの? 末期癌患者だから、入院にならないのである。 日本人の常識でいうと、「末期癌患者は病院にずっと入院しいるだろう」と思う。 それは、正しい。 しかし、これはアメリカ映画である。(監督、脚本はオーストラリア人だが) アメリカでの平均入院日数というのは、1週間程度である。 1996年のデータだが、平均在院日数は、日本の33.5日に対して、アメリカは7.8日 である。アメリカで1ヶ月以上入院するというのは、よっぽどの重症患者じゃないと、 ありえない。 あるいは、医療費がバカ高いので、長期の入院費は払えないという事態も起きる。 脳転移に関しては、放射線療法や化学療法はほとんど効果はない。 結腸癌の脳転移であるジョンの場合は、おそらく治療適応にはならない。 即、帰宅である。 一般論でいえば、患者が希望すれば、ホスピスへの入所ということはありえるかもしれないが・・・。 したがって、彼は入院中ではなく、この日たまたま検査に来たということで、全て 説明できる。 ■ 癌患者の心理 「映画の精神医学」なので、心理学的な話も入れなくてはいけない。 この映画をきっかけに、末期癌患者の心理について、少し勉強しておこう。 癌患者の心理の研究としては、精神科医キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」が有名である。 1960年代に200人もの癌患者をカウンセリングし、その経験と観察から、癌患者の心理をまとめた本である。 古典である。精神医学の世界では、超有名な本だ。 興味のある人は、是非読んで欲しい。 http://www.kabasawa.jp/eiga/page/book4.htm ロスによると、癌患者は癌告知されたあと、否認・怒り・取引・うつ・受容のプロ セスをとるという。 簡単に説明しょう。 まず最初に、自分が癌であることを否認する。 つまり、「自分が癌になるはずがない」とか「この医者は誤診しているに違いな い」という感情が生まれる。 しかし実際、癌であることが確からしいということになると、認めざるを得なくなる。 そして、「怒り」の段階に入る。自分だけが死ななければならないことに対する怒 りや、生き続ける健康な人々ヘの羨望、恨みなどのさまざまな気持ちが現れる。 次に、「取引」の段階。これは「交換条件」のようなもので、神仏や超自然な力 に対して何らかのお願いをして約束を結ぶ。例えば「病気が治るならば、自分の財産を寄付してもよい」といった考えである。 しかしこのようにあがいていみても、体調はおもわしくなく、癌であること、自分 の行く先が長くないことを実感せざるを得ない。そうすると、気分が落ち込み 「うつ」的になる。 しかし、そうした心の揺れ動きの中で、最終的には死を「受容」し、安らかに死ん で行く。 これは、全ての患者がこの五段階を順番にたどるということではなく、あくまでも モデルである。 ある患者は、「怒り」を前面に出すかもしれないし、別な患者は「うつ」の後すぐ に「受容」するかもしれない。 ここまで読めば鋭い人は、これはジョンの心理に当てはまると気付くだろう。 癌患者はその経過中に、自分が癌になった責任を他人におしつける傾向がある。 つまり、「この医者がヤブだから、癌の発見が遅れたのではないか?」と考えた り、「きちんとした治療をしなかったから、癌が広がったったに違いない」と癌に なった責任を人に転嫁しやすいいということだ。 ましてゴードンは、ジョンを「患者」という「物」のように扱った。 まさに、渡りに船である。 「この医者のせいで」「こんな医者のせいで・・・」 ジョンのゴードンに対する過剰な「怒り」の反応は、癌患者の心理にてらして、全 く妥当なものである。 ■ 「ソウ」は黒澤の「生きる」である 「ソウ」は、黒澤明監督の「生きる」である。 余命いくばくもない病気と宣告される。 残りの人生の貴重な時間を何に費やすのか? 今までの自分(志村喬)は、人のために何もしてこなかったのではないか? 志村喬は、公園の造成に勢力を燃やした。 公園造成に命をかけることで、自分の生きる意味を問うたわけだ。 そして、それをつかんだ。彼は、豊かな気持ちで往生したであろう。 これは心理学的に見れば、ロスの「取引」に当たる。 「公園造成」という社会奉仕と引き換えに、「心の安定」「充実感」を手に入れよ うという取引。 あるいは、社会奉仕活動に専念することで、「死の恐怖」や「絶望からの解放」を 手に入れようという取引である。 実は、「ソウ」は「生きる」である。 ジョンは、末期癌であり、余命いくばくもないことを知る。 彼は孤独だ。彼の死の恐怖など、誰も理解してくれはしない。 そして、ゴードンは彼をバカにする。彼に対する「怒り」がわいてくる。 自分の残りの人生をどうすればいいのか? 何か、やらなくては。 ジグソウは、生きるていることの大切さを人々に訴えようという、活動を行なった わけだ。 「生の大切さを人に伝える」という社会奉仕活動を行なうことで、自らの死の不安 をごまかし、心の安定を手に入れようとした。すなわち、「取引」の過程である。 もちろん、その方法は「公園造成」とは全く反対の「生きるか死ぬかのゲーム」で あり、犯罪である。 誉められたことではないが、ゲームへの情熱が彼の生きるエネルギーとなり、それによって不安や恐怖を紛らわしていたことは、間違いないだろう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■5 簡単な解読 ───────────────────────────────── ┌─────────────┐ 登場人物の名前は語る └─────────────┘ 映画の人物の名前に、何らかの意味が隠されている場合は少なくない。 だから、映画を見る時は、なぜその名前がつけられているのか? それを少し考えてみると、意外な事実がわかることがある。 「ソウ」も例外ではない。 ■ ゴードン医師 ゴードン医師。彼の名前は、ローレンス・ゴードン(Lawrence Gordon)。 でも、ローレンス・ゴードンって聞いたことない? 映画ファンであれば聞いたことがあるはず。 ローレンス・ゴードンとは、ハリウッドの大物プーロデューサー。 「ダイ・ハード」「48時間」「トゥームレイダー」などのヒット作を作る有名プロ デューサーである。 「ソウ」のワン監督と脚本のリー・ワネルは、相当の映画ファンである。 映画好きの、彼らがローレンス・ゴードンを知らないはずがない。 「ソウ」は、ローレンス・ゴードンがひどいめにあう映画。 彼らは、ローレンス・ゴードンが嫌いなのか? ローレンス・ゴードンといえば、代表的なハリウッドの娯楽映画をプロデュースし ている。 そうしてた、ハリウッド的なものへの反抗心、対抗心が、彼らにはあるのかもしれ ない。 ■ タップ刑事とシン刑事 ジグソウを追う、二人の刑事タップとシン。 つづりで書くと分りやすい。 Tap と Singである。 説明するまでもないでだろう。 タップ(Tapp)ダンスと歌(Sing)である。 二人は、切っても切り離せない。 密接な関係だった、ということの象徴である。
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ソウ―SAW
角川ホラー文庫 著者:行川 渉 (著), James Wan (原著),
Leigh Whannell (原著), ジェームズ ワン, リー ワネル |
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