しあわせのトンボ

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しあわせのトンボ:一日また一日=近藤勝重

 「精密検査を」と言われると、途端に暗く、後ろ向きになってしまう。人には世の健康法に倣って「明るく、前向きに」などと言うくせに、である。

 今夏、気管支炎で熱が出て寝込んだ。その少し前、人間ドックで「一度、肺のCT(コンピューター断層撮影)を」と言われていたので、熱が下がったのを見計らい、総合病院へ行った。

 CTを撮って小一時間、廊下の長いすに座って待っていたが、頭をよぎるのは悪いことばかりだ。もし肺がんだったら……。

 「宣告」を待つ体験は何度もある。十数年前には本当に胃がんだと告げられたこともある。初期だったので助かったが、そういう体験を経ても、がんかどうかの検査結果を待つというのは嫌なものだ。生きて在ることに慣れてくると、貴重な体験もプラスに働いてくれない。

 今は肺がんでも抗がん剤治療がかなり効果をあげているようだし、現に友人のお母さんは発病から5年近く、病状を維持している。温泉旅行にもしばしば出かけているという話だ。

 そんなことを思い浮かべて気を静めてみるが、それもつかの間、肺がんだと気管支が弱いからすぐに肺炎になるのでは、などと暗く沈んでしまう。

 さて、「近藤さーん」と呼ぶ声がする。ドアを押し診察室に入る。すぐに先生の顔をうかがう。その表情からは結果は読み取れない。先生がCTの画像を見ながら、おもむろに口を開く。

 「大丈夫ですよ、肺は」

 --よかった。その一言で、体の中心部から喜びがこみあげてくるのがわかる。気管支は相変わらずよくないそうだが、今すぐどうということもないようだから、助かった!という思いのほうが強い。先生にあれこれ尋ねる声も、妙に弾んでいるのが自分でもわかる。

 人間、致死率は100%である。「生きて行く私」は「死んで行く私」なのに、生への執着でじたばたしている。

 といって、そういう自分を責めているのではない。むしろ最近は、至らない、潔くない自分であることを自覚することに意味を見いだしている。

 先を見通して人生を達観するなんて、とてもできない。ぼくにとっては、せいぜい一日また一日がいいところだ。明日のことより、今日という一日に心を向ける。集中する。

 新聞記者としても、そうして気持ちの充足感を味わってきた。ともあれ毎日、毎日である。(専門編集委員)

毎日新聞 2007年10月31日 東京夕刊

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