おしゃべりなマダム

一言メッセージ :明日があるさ

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2007年10月5日

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何もここまで来て・・

ブログを再開設して、記事を書く事もなかろうとは思うのだが・・。

日本の老舗旅館にはテレビを置いていない所が数多くある。
旅先にまで、日常を引きずる事は異空間の邪魔になるからで、そして自分の内なる声に耳を傾けるためでもあるだろう。

でも、今の社会ではどこにいても世界の情報が得られる中で、近代社会では一番難しい事かもしれない。

さて、先月娘がここヨーロッパから、カナダへとバックパッカーとして過し無事に帰国して、そして今は私がここにいる。
だからなのか、バックパッカーが目に入る。
二日間は友人宅へ泊めてもらい、今はホテルで過しているが、中々お手ごろな割りに素敵なホテルで、バルコニーからは雄大な景色満載だ。
そして、アフリカから1ヶ月ここに宿泊しているという学生さんと仲良しになった。

スァニール・・と発音を教えてくれるが、私の耳が悪いのか彼女が教えるようにできなくて、面倒くさいので「スワン」と私は呼んでいる。彼女は苦笑いをしながら「OK]。
4,5ヶ国語を話し、国連で働くのが夢だと言う。

聡明な彼女の事なのできっと、いつかブラウン管越しに会えることだろう。

ヨーロッパは多国籍民族の地域だからか、食べ物に飽きない。
元々乳製品が大好きな事も手伝って満足な日々だ。昨日の朝食のクロワッサンは、チーズが練りこんであるパリパリノのクロワッサンで美味しかった。
カフェオレが濃くて、亡き母を思い出した。

私と母親はあまり褒められた関係ではなかったが、料理だけは美味しくて・・。
水泳をやっていた私に、母なりの配慮が料理だったのか、繋ぎとめるための手段だったのかはわからないが、私はどれも美味しくたいらげてしまっていた。
中でも、受験勉強の時に作ってくれていた、フレンチトーストとカフェオレは今でも同じ味が出せないし
巡り会っていない。
そうしたら、日本から遠く離れたヨーロッパの片隅で、同じ味に出会ってしまった。

母は水を1滴も使わずにカフェオレを作っていた。直接、エスプレッソの粉に温めた牛乳を注いで濾していたと思う。
私も何度か挑戦してみたが、何か違って諦めた。
コーヒーが大好きでストレートで頂くが、母のだけはオレで飲んでいた。

晩年、あまり実家に寄り付かずにいた私に連絡が来たのは、母が病床で亡くなる一週間前だった。

温かさに欠ける人で、一線を引いて私は接していたが、見る影も無く痩せ衰えていた。
その時に初めて私は、「親は先に死ぬ、いつまでも元気な筈ではない」と思った。

私が来たのが嬉しかったのか、少し取り戻したように思えたが。
母は自分もやっと生きているのに、うつらうつらとした私に自分のベッドに横になれと言った。

その時に母親の不器用な私へのこれまでの接し方を思い出し、涙がこぼれた。

気が強すぎて、自分の子供にさえも素直に言葉がかけられない人だった。
でも、親は死ぬその時にまで子供を守ろうとする姿をその母から見せられた。

来年は13回忌。たった二人きりの姉妹なのに私達は関係がよろしくない。

そんな中で、「気が合う、合わないは親子でも珍しい事ではないからいいの。でも、互いを認め合えて許し合える努力をしなければいけないの。それが血よ。繋がりよ」
と私に諭してくれたマダムの魂に逢うために訪れたこの地で、母の味に出会った。

偶然なのか、必然なのか・・。

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