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課税なき相続 貧富の差親から子へ 税金(4)

2007年10月30日

 富を再分配し、社会の公平性を担保する――。相続税や贈与税は、そのための重要な手段と考えられてきた。ところが、アジアにはこうした税が全くない国々がある。格差はなぜ放置されるのか。

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住宅が解体され更地になった北京の中心地を歩く出稼ぎ労働者。ここにも高層ビルが建つ予定だ=北京市朝陽区で、岩崎央撮影

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アジア主要国・地域の相続税・贈与税の有無

■中国

 中国で今月、26歳の女性が話題をさらった。楊恵妍さん。米誌「フォーブス」(電子版)が発表した今年の長者番付で「中国一の富豪」に選ばれたのだ。資産総額は162億ドル(約1兆9000億円)。前年首位の7倍に達した。

 広東省の不動産開発会社「碧桂園」創業者、楊国強さんの次女。同社は97年の創業以来、不動産ブームに乗って急成長した。恵妍さんは05年に同社株式の7割を父親から譲り受け、その後の株高も相まって、巨額の富を手にした。

 中国の平均年収は、都市でようやく1500ドル(約17万円)程度。「162億ドル」は途方もない数字だ。

 しかし格差がこれだけ開いても、中国では財産を親から譲り受ける時に課税されることはない。相続税、贈与税がないからだ。相続税は、共産党政権が誕生した翌年の1950年、導入予定の14税目の一つに挙げられていたが、実際に課税されることはなかった。住宅までも職場を通じて供給される計画経済下、そもそも個人が財産を蓄える余地が極端に小さかった。

 本格的に導入の是非が議論されるようになったのは、改革開放政策で急成長を遂げた90年代から。最近では、1冊の本をきっかけに、04〜05年ころに論争が盛り上がった。

 「中国新世紀懲罰腐敗対策研究」。幹部の腐敗が深刻化する中、党の地方幹部や大学教授らでつくる専門家グループが対策の試案をまとめたものだ。「不正蓄財の動機を弱める効果がある」として相続税、贈与税の導入を主張。50万元(約800万円)までは免税とし、課税対象の資産額によって10〜55%の税率で課税するよう提案した。

 「汚職対策だけが目的ではない。最大の狙いは貧富の差を縮めることだったんです」。専門家グループのリーダーとして論陣を張った王明高さん(50)はこう話す。試案でも、「中国では収入の多い2割の世帯が、収入全体の8割を得ている」などと指摘した。

 だが、課税対象となる富裕層の反発に加え、一部の学者からも「富をどう分けるかよりも、まず富をどう増やすかを考えるべきだ」などと慎重論が噴出。05年11月に財務次官が「当面導入の予定はない」と表明すると、議論はまた下火になってしまった。

 楊さんのような「株長者」も続々と誕生するが、株売却益も非課税。株価低迷を恐れる政府が、94年からの臨時免税措置を解除できないでいるからだ。ただこの件を機に、ネット上では再び相続税などの必要性を指摘する声も出ている。

 共産党大会開会中の今月18日、国家発展改革委員会の記者会見で「大富豪の出現をどう評価するか」との質問が飛び出した。朱之●(キン)・副主任は「中国の発展は数人の金持ちの発展ではない。改革と発展の成果を全国人民が享受できるようにしなければならない」と応じた。(北京=琴寄辰男)

■タイ

 約12万人が住むバンコクのスラム街「クロントイ」。トタン屋根の小さな木造住宅がぎっしりと軒を連ねるこの地区は、高級デパートが林立する中心街から車でわずか15分だ。

 チャナウィーさん(21)はここで生まれ育った。中学時代のクラスは、学年10クラスのうち成績優秀者が集まる「キングクラス」。だが高校進学はあきらめた。

 酒飲みだった父親は3歳のときに失跡。当時、母親は日系企業を解雇されて収入がなく、メードとして働く祖母の月給3000バーツ(約1万1000円)が一家の唯一の収入源だった。

 「この国では、裕福な家庭に生まれた子どもだけが良い教育を受け、将来のチャンスをつかむことができる」とチャナウィーさん。経済成長が加速する一方、所得の上位20%と下位20%が稼ぎ出す富の格差は、88年の9.8倍から04年には12.9倍にまで広がった。

 「公平な社会を築くためにも、相続税の導入を検討すべきではないか」。今年4月、クーデター政権の国会にあたる立法議会が、こんな提案を政府に出した。提案者は元空軍学校学長のワンロップ氏。学長時代、国内の治安状況を視察し、「このままでは貧しい人々の反乱が起きかねない」と危機感を募らせていた。

 タイの歴史の中で、相続税論議は浮かんでは消えてきた。絶対王制が倒された直後の33年にいったん導入され、10年ほど続いた経緯があるが、その後廃止されたままだ。

 「選挙で選ばれる議員の大半が大金持ちで、そんな法案に見向きもしない。留学経験のある官僚にも裕福な人間が多く、政府内部でさえ意見がまとまらない」とワンロップ氏。今回あえて打ち出したのは「カネとは無縁のクーデター政権だからこそできる」と思ったからだ。

 提案には、政府内の一部から賛同の声が上がった。クーデター政権が、軍事費を拡大させる一方、医療の無料化など社会福祉を打ち出し、財政難に陥る可能性があったためだ。

 だが、最終的には反対派に押し切られた。「課税対象者が海外に資産を移すだけだ」「働く意欲がなくなり、成長に影響を及ぼす」などが理由だ。

 財務省のある高級官僚は滑らかな英語で、こう語った。「親が稼いだお金を子どもの将来のために残して何が悪い。それが家族を大事にするアジア的価値観というものだろう」(バンコク=高野弦)

   ◇

 〈相続税〉 立命館大の三木義一教授によると、米国や英国、ドイツなどでの歴史が古く、日本では1905年、日露戦争で財源調達の必要性が高まったことを背景に欧米にならって導入された。先進国に多く、途上国には少ないイメージがあるが、最近ではブッシュ米政権が2010年までに廃止する方針を決めたほか、イタリアも既に廃止するなどの動きが広がっている。

※●は「金」の下に「金」二つ横並び

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