母校・岡山旭中(現岡山中央中)の先輩でもあり、突然の訃報(ふほう)に驚きました。
十八日、五十九歳で亡くなった一九六四年東京五輪の競泳選手、木原光知子さん。六二年岡山国体は旭中二年で出場し、大人に交じって百メートル背泳ぎ三位。水泳を始めて一年余りの快挙に「天才少女」と騒がれました。
幼少のころ、近所の散髪屋の店長から何度も聞かされたものです。「国体会場の県営プールは旭中の生徒や近所の人で超満員。木原フィーバーはすごかったよ」
三年前、取材でお会いした木原さんは、そのときの様子をはっきり覚えていました。「岡山全体が燃え上がるような雰囲気に励まされた。私の中では、東京五輪より岡山国体の方が心に残っとるんよ」。恩返しの気持ちと郷土愛が、二巡目の二〇〇五年岡山国体へと駆り立てたようです。同じ岡山市出身でマラソンの有森裕子さん、体操の森末慎二さんの五輪メダリストを誘って国体応援団を結成。シンクロナイズドスイミングチームには水着をプレゼントし、温かく見守りました。
生涯水泳を愛し、倒れたときもプールで指導中でした。気さくな人柄で周囲を和ますユーモアたっぷりの岡山弁。確固たる信念とおおらかさを併せ持った女性でした。
偉大な先輩との一期一会。最も印象に残った言葉です。「スポーツはうそのないドラマがあるから素晴らしい。私も悔し涙やうれし涙を流したけど、体がカーッと熱くなるような情熱が人生には必要よ」
(運動部・飯田陽久)