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TOP > 特攻・神風 > title − 「学徒兵 許されざる帰還」を見ました

「学徒兵 許されざる帰還」を見ました   

日曜(10/21)夜に放送された、NHKスペシャル『 学徒兵 許されざる帰還 〜陸軍特攻隊の悲劇〜』を見ました。

昨年、知覧特攻平和会館を訪れて以来、特攻隊についてく関心を持って色々な本を読んだり調べたりしてきた私にとっては興味深い内容でした。映画「TOKKO−特攻−」 もそうでしたが、元特攻隊員の方のお話は、いつ見ても胸に堪えるものがあります。



拙ブログでは、特攻について今まで30本以上のエントリーを書いています。色々調べて書いていくうちに、当初持っていた「自己犠牲を厭わない強い愛国心を持った当時の若者」というイメージはほとんど崩れ去ってしまいましたが(※)、この番組の内容も、特攻隊の実態と、特攻隊となった方達の本心に迫った内容だったと感じました。

命令された「死」を納得するためには、自分の死が家族や友達などを守ることになると思うしかなかった、と元特攻隊員の方が語っていましたが、以前にエントリーのなかで紹介させて頂いた永末千里氏が語るところと同じものでした。

当時、出撃した特攻隊員は「軍神」として華々しく報道していたようですが、生還した特攻隊員については、「死んだはずの軍神が生きていてはおかしい」と人目に付かないように「振武寮」に送り、精神再教育などが行われたという話もでてきます。
(余談ですが、こういう職務の本質とは異なる懲罰的な「教育」は、JR西日本で行われていたという「日勤教育」を彷彿とさせます)

「軍神が生きていてはおかしい」というのは、フィリピンの初期特攻の頃、朝日隊の磯川質男一飛曹の時が最初の例だったようですが、特攻隊はその戦果よりも国民の士気を鼓舞するためにその死を利用されていたという側面が見えてくる話だと思います。

また、機体の故障などにより生還した特攻隊員が「何で死ななかったんだ」と罵倒された話も多く目にしてきましたが、この番組の中にもそういった証言がでてきました。



まだ再放送があるようなので、内容についてこれ以上は控えておきましょう。

再放送は、「10月23日(火) 深夜【水曜午前】0時20分〜1時9分 総合」だそうです。見逃した方はどうぞ。

 




そういう方達もいたことは事実ですから否定はしませんが、おそらくそうではなかった方達、つまり実質はほとんど「強制」であって、「志願」といっても形式的に、あるいは命令者の責任逃れのために「志願」だったとされてしまった方達のほうが多かったという印象、ということです。



特攻とは何か (文春新書)
森 史朗

特攻とは何か (文春新書)
「特攻」と日本人 (講談社現代新書) 特攻―若者たちへの鎮魂歌(レクイエム) (PHP文庫) 特攻の思想―大西瀧治郎伝 あの戦争になぜ負けたのか (文春新書) 特攻 最後の証言
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コメント

うらやましいですね

>当初持っていた「自己犠牲を厭わない強い愛国心を持った当時の若者」というイメージはほとんど崩れ去ってしまいましたが(※)、
・seagullさんは、本当に真面目で純真な方だと感じます。
 私なんかは、もともとそのようなイメージは無く、知覧も、鹿屋も、遊就館も、大和ミュージアムも行って、多くの遺書を見たときに、当時は「自己犠牲を厭わない強い愛国心を持った若者」でなければいけなかったのだなぁと感じたことを思い出しました。
 不届きにも、今の時代で良かったと思ったことも思い出しました。
 その辺からは、想像を絶する葛藤の末散った方々への感謝の気持ちは決して忘れてはならないと思うようになり、自分に出来るか?もし出来るとしたら、その時は一体どんな環境の中に置かれているのだろうとも考えるようになりました。

>命令された「死」を納得するためには、自分の死が家族や友達などを守ることになると思うしかなかった、
・先も書きましたが、この境地に至ることが、私に出来るのか?答えきれない自分が居ます。
 

■tonoさん

いえいえ、いつも「自分にできるか」「自分だったら」と我が身に置き換えて考えるtonoさんの方が、純真かと思います(^^)

先日友人を事故で失ってかなりショックを受けた私でしたが、あのような悲しみが、あの時代には毎日のように続いていたと考えると、正気でいられるかどうかさえ、私には自身がありません・・・。

再放送も見逃しました(´Д`)がーん。観たかったです。来月に沖縄行ってきます。諸事情によりツアーなので思いっきり勉強できませんができるかぎり吸収してきます。『俺は君のためにこそ、死ににいく』のDVD買おうと思います。

ご無沙汰しております。どうにも我慢できずにコメントです。失礼お許し下さい。

特攻に関して、既存のものを調べたり勉強したりすれば、

>当初持っていた「自己犠牲を厭わない強い愛国心を持った当時の若者」というイメージはほとんど崩れ去ってしまいましたが(※

となるのは当然かと思います。そうさせるために、戦後、圧倒的な洗脳というか情報操作が行われ続けてきたわけですから。

しかし、私はその見方は正しくない、というか「見方」については解釈の問題であって、その解釈は好きではありません。

客観中立をこころがければこころがけるほど、洗脳されてしまいやすいのだと思います。

失礼を承知で書き込みしました。こちらの特攻に関する見方には、私は同意できません。

もちろん、おっしゃる通りという側面もあったと思いますが、戦後特別にクローズアップされた側面であり、そこをクローズアップするのは解釈と戦後世代の価値観に基づいています。やはりそう思います。

何度も言いますが、その解釈の仕方はよろしくない、そう思います。とても残念です。

愛国心をどう定義するかによりますね。
「自分の死が家族や友達などを守ることになる」という考え方は、日本という国が自らの死後、家族達を守ってくれるという信頼が存在してこそです。

更に言えば、普通は、単純に「命令」されたから「はい、特攻します」とはなりません。
♯特攻を拒否すれば家族全員処刑等の法があれば別ですが。
国への強い信頼が無ければ、本土決戦にすらなっていない状態で大規模な特攻命令を政変も暴動も無く受け入れはしないでしょう。
(独裁国家でも何でも無いのですから→戦時中に東条内閣瓦解)

彼らが狂信的かつ独りよがりな自称愛国者では無く、家族や友達を守りたいと願う普通の人々だとしたら。それは、当時の教育による「洗脳」というネガティブなものに動かされたのでは無く、苦悩と葛藤を乗り越え自国の置かれている苦境を理解した上で命令を受け入れ行動したという事になります。

自分は、そういう人こそ愛国者と言うのだと思いますがいかがでしょうか?

尚、命令は強制ですが、それを言うなら納税も強制、義務教育も強制です。
何故、国民レベルで特攻命令や志願を是としたのか、その背景を鑑みれば安易に「強制」と印象操作するのは避けると思うのですが……。

竹矢来

 初めまして。突然失礼いたします。

>更に言えば、普通は、単純に「命令」されたから「はい、特攻します」とはなりません。
>♯特攻を拒否すれば家族全員処刑等の法があれば別ですが。

 法がなくても、日本には「空気」という無形の圧力があります。

 こちらを読んでみてください。
http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~konami/kotoba/takeyarai.html

 文芸作品であり、事実とは言えませんが、他の文献や体験談などと読み合わせて考えてみると、戦前というのはこのようなことがあり得た時代だったのだろうと、自分は思っています。
 そしてまた、このような雰囲気がある中では、単純に命令されただけで特攻に赴くこと、というのが「普通」の振る舞いとなるのもまたあり得ることです。
 それを「苦悩と葛藤を乗り越え自国の置かれている苦境を理解した上で」とさも崇高な行為のように言ってしまうのは、自分にはあいにく、受け入れがたい考え方ですね。

>竹矢来さん

提示されているソース。思いっきりズレていますよ。
HP先の抒情詩で問題となるのは徴兵制でしょう?それも当時は国民の義務ですし、現代でも徴兵制がある国では不当にそれを逃れようとすれば後ろ指さされますよ。

気の弱いこどもが学校に行きたくないといって自殺、頭の固い親戚がこの一族の恥さらしめと親を責めるなんて図と同じですね。
義務教育を受けているこどもは、そんな恐怖(空気)があるからこそ登校していると主張するようなものです。
♯家庭や学校の事情で、そういう例は存在するでしょうが全体に当て嵌めるのは無茶。

>そしてまた、このような雰囲気がある中では、単純に命令されただけで特攻に赴くこと、というのが「普通」の振る舞いとなるのもまたあり得ることです。

主観的な推測を提示されても困ります。
「特攻命令拒否」を理由として(違法行為である脱走や徴兵拒否ではありませんよ?)、憲兵に家族もろとも確実に追い詰められるような事件が、数万、数十万人レベルで全国的に起きており、人々がその事件に恐怖していた為、法による罰則の裏付けと同程度の強制力を持ち合わせていたと証明可能な事例を示して下されば「空気」とやらが圧倒な力を持っていたと確定するでしょうけど。

支那やカンボジアで起きた大粛清ように、法など無くとも「命令に従わない」と民衆による人民裁判での粛清、虐殺の嵐が数十万、数百万人を対象として吹き荒れたのでしょうか?
確かに支那やカンボジアでは「空気」による無形の圧力によって「改革」が進みましたが(大失敗しましたけどね)。ポルポト派や中共の異常な政策に従ったのは、そうしなければ狂信者や政府の人間に法的根拠が無くとも処刑、リンチで嬲り殺されるという恐怖が支配していたからです。

日本で「特攻」を理由として人民裁判・リンチによる大虐殺が起きたという話は聞きません。にも関わらず、若者は葛藤しながらも(時に日記や戦友との会話で政府や上層部を徹底批判しながらも)特攻命令を受け入れましたし、沖縄戦では将校でさえ特攻を行っていました。中には積極的に志願する人さえいましたね。

尚、全く論点の異なる抒情詩では無く、特攻する方が残した日記や遺書、遺族の証言が存在します。
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/tokko_episode/episode.html
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/isyo/isyo.html
「苦悩と葛藤を乗り越え自国の置かれている苦境を理解した上で」と提示できる内容が幾つもありますね。
♯「乗り越え」という表現は主観に基づいているとするなら「苦悩と葛藤を繰り返しながらも自国の置かれている苦境を理解し」としましょうか?

というか、自国の苦境を理解せずに特攻した人はあまりいないかと。
戦中、正規兵が特攻すること自体が苦境を現しているのですから。
苦悩や葛藤をしなかった人も少ないと思いますね。特攻隊員の苦悩や葛藤は様々な資料で自明です。

国の苦境を前に、苦悩と葛藤を繰り返しながら命令に従ったのは何故でしょう?
中共やポル・ポト派の「革命」のように大虐殺や大粛清(リンチ)よる恐怖の「空気」が支えていたからですか?
日本という国や故郷の人が特攻を拒否した者の家族を虐殺するからでしょうか?

それとも日本という国が自分の死後、家族を守ってくれると望みを託していたからでしょうか?
自らの死が家族や郷土を守ることになると決意していたからでしょうか?

自分が主張しているのは、別に崇高云々という話では無く、多くの資料から導きだせる結論に過ぎません。
♯勿論、上に出した義務教育の例のように部隊や上司の性格により例外はあるでしょうけど。

追加。
(いつも長くて申し訳ありません>管理人さん)

特攻志願者では無いにも関わらず、特攻に赴いた栗村少尉はこう述べたそうです。

 「この戦争は、どんな事をしても、もう勝つ見込みはないんです。それでも僕は、行かねばならないんです。必死で、ここまで育ててくださったのに、何の親孝行もできずに行く事は、つらいし、僕は戦争なんかきらいですが、でも、今の日本の現状から考えるとしかたないんです」
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/tokko_episode/kurimura_information.htm

『でも、今の日本の現状から考えるとしかたないんです』

「日本の現状」という言葉は、総力戦での敗北、本土決戦間近という日本の苦境を示していると考えますか?
それとも、日本各地で起きている特攻拒否者とその家族への壮絶なリンチ、粛清、虐殺(現在まで確認されていませんが)が醸し出す「空気」を指していると考えますか?

彼は「戦争が嫌い」で「日本が勝つ見込みは無い」と判断しており、志願せず、それでも特攻隊として散りました。

自分は、この話や初めて特攻で戦果を挙げた関大尉の裏話を聞いてこそ、
(「ぼくは明日、天皇陛下のためとか日本帝国のためとかでいくんじゃなくて、最愛のKAのためにいくんだ」)
「自己犠牲を厭わない強い愛国心を持った当時の若者」というイメージとなりますね。

やれやれ

>HP先の抒情詩で問題となるのは徴兵制でしょう?それも当時は国民の義務ですし、現代でも徴兵制がある国では不当にそれを逃れようとすれば後ろ指さされますよ。
 
「後ろ指」と「自殺を強制される」の間にはとんでもない差があると思うんですけどねえ。
 後ろ指をさされる程度なら反対できても、村八分、殺される可能性さえある場合に反対できるかどうかはきわめて難しいと思います。
「強制」であるかどうか、だけで単純に同じ俎上に乗せるのではなく、そこに介在するさまざまな条件を考えていかなければ。


>主観的な推測を提示されても困ります。

 あなたが書かれたことも、主観的な推測ですよ。
>普通は、
>受け入れはしないでしょう。
>普通の人々だとしたら。

>証明可能な事例を示して下されば

「数万、数十万人レベルで全国的に起きており、」などという条件をつけておいて「それを証明しろ」と言うとは・・・やれやれ。
 それって、「私の満足する条件にあてはまる事例をもってこなければ受け入れない」ということじゃないですか。

 では逆に、同じ基準で、あなたにもまずは
>「自分の死が家族や友達などを守ることになる」という考え方は、日本という国が自らの死後、家族達を守ってくれるという信頼が存在してこそです。
 これを証明していただきましょうか。
 各基地にいた何千という特攻兵が日本という国が自らの死後、家族達を守ってくれるという信頼を抱いており、、その信頼に基づいて、自分の死が家族や友達などを守ることになるという考え方を抱いたのだという、証明可能な事例を示して下さいますか?
 あ、証言は裏付けが取れていないからだめですよ。後世いくらでも捏造可能じゃないですか。特攻兵が間違いなく「自己犠牲を厭わない強い愛国心を持った当時の若者」であったと証明できる証拠の提出をお願いしますね。

困ったものです

>レビアさん(?)竹矢来さん(?)
♯前投稿はsubjectを名前と間違えていました。

>後ろ指をさされる程度なら反対できても、村八分、殺される可能性さえある場合に反対できるかどうかはきわめて難しいと思います。

殺される可能性?もしかして、レビアさんが提示した特攻命令拒否でも何でもない、違法行為である「脱走」について描いた抒情詩が根拠ですか?

更に、レビアさんも自覚しているように、これは事件の詳細を伝える「報道」や「記録」では無く、無名詩人の「詩」に過ぎません。
しかも「赤旗」の1989年2月4日付が初出。つまり当時の資料ですらない創作物です。
文章は一人称では無く神視点での三人称ですから、少なくとも内容詳細はフィクションですね。
――明らかな創作物を事実だと信じてしまうのは小学生くらいで卒業しませんか?

これを根拠にして「戦時中」ですら無く「戦前」を語るのは……見識を疑われるかと。
そりゃ、猟奇殺人をモデルにした本を根拠に、現代の日本の治安を語るようなものです。
日本に猟奇殺人が存在しない等と言わないように、戦時中にこのような憲兵の横暴や犯罪が存在した可能性までは否定しませんよ?けれど、この創作物で「空気」云々の根拠にするのは流石に恥ずかしくなりませんか?

さて、再度質問です。
特攻命令拒否者が「殺される可能性」を囁かれ、空気となってしまう程の事件が各地で起きていたという資料はありますか?

引用部のように主張するのならば「大躍進」「文化大革命」等で起きた法によらない殺人が多発したように、「殺される可能性」に怯える空気を作りだしうる、特攻命令拒否者に対する村人のリンチ殺人例を提示してください。

当時も今も、正当な手続きを得ない殺人は法で厳しく禁じられています。国内なら尚更。それでも、法を超える無形の「空気」となる位に周知されるのですから、該当例がかなり大規模、かつ各地で起きていなければ不自然ですね。

>「数万、数十万人レベルで全国的に起きており、」などという条件をつけておいて

「空気」による殺害に怯えて理不尽な命に従ったという例は支那・カンボジアにありますので、同等の事例を求めているのです。

まあ、規模は数千〜数万、譲歩して数百でも構いませんよ。
「特攻命令拒否」を理由としたリンチが起きる等して、多くの特攻隊員や家族が「空気」に従う程、味方である「日本」に怯えていたことを示す資料を提示お願いします。

……と、苛めるのはこの位にしますか。
赤旗お勧めの創作物では無い、もう少しまともな資料を読めば解りますが、当時の空気の大部分は「危機感」です。
軍部も政府も民衆も立場は違えど、日本が蹂躙される危機に立ち向かおうとし、出来る事を模索した結果、特攻作戦を受け入れた形です。
空気があるとすれば「この国難を察してくれ」という部分でしょうね(根拠となる一次資料→以前示した遺書、日記、証言)
実際、特攻命令拒否者が続出すれば反対派も多かったこの作戦は成立しません。
拒否者全員を超法規的に処刑等したら大問題です。

尚、「戦前」は確かに窮屈な処があり、言論の自由や人権意識は「現在」に比較すれば未熟でしたが、言論は活発で人権意識も高まっていました。
戦前は民主主義への過渡期であり、狭義の普通選挙成立も達成し(英国の8年後)、女性参政権も国会で議論され衆議院を通る等、活発に議論されていました(選挙権は徴兵義務とセットで考えられていた為、徴兵義務の無い女性や外地の人に与えるのはどうかという議論が中心)
勿論、地方の偏狭さや権力者の横暴はありましたが、批判する力も充分にありました(尚、総力戦での戦時中の報道管制や制限はどの国も同じく特殊)

> これを証明していただきましょうか。

勝手に人の意見を改変するのはどうかと思います。
自分が提示したのは以下の通り。

『「苦悩と葛藤を乗り越え自国の置かれている苦境を理解した上で」と提示できる内容が幾つもありますね。
♯「乗り越え」という表現は主観に基づいているとするなら「苦悩と葛藤を繰り返しながらも自国の置かれている苦境を理解し」としましょうか? 』

この引用部の意見が妥当と出来うる根拠は、当時の遺書・遺族の証言・日記等(特に当時の遺書・日記は第一次資料です)。
検証可能な具体的例も示しました。

まあ、どんなに証拠が存在しても納得するしない方がいるのは知っていますから、無駄だろうなという気がひしひししますが(笑
けれど、史実を云々している時に後世の明らかな創作物を提示すれば呆れられてしまうことは覚えておいたほうが良いと思います。

自分も見ました。前にもNHKで見たから2度目になるのかなぁ。

元参謀が生前の証言テープの中で「なぜ特攻機はオンボロだったか」の問いに「天皇直属の部隊に新鋭機をまわしたから、特攻にはオンボロ機しかまわせなかった」と言ったことが記憶に残りました。

訂正。
事実とまでは言っていませんでしたね。
>――明らかな創作物を事実だと信じてしまうのは小学生くらいで卒業しませんか?
これは撤回します。

ちなみに、「竹矢来」への感想は。
赤旗の好みそうなステレオタイプな話だな、と。

■さきちゃんへ

沖縄、気をつけていってきてくださいね。先入観にとらわれることなく色々なことを勉強してきてください。よかったら帰ってきた後で感想などを聞かせてくださいね。


■日村春介 さんへ

お久しぶりです。

お気持ちはわからなくもないですが、あの深い考察をなさるマッコイさん(こっちの方がしっくりしますので・・・)が、このような脊髄反射的なことを書かれるのはちょっと以外ですね。私が左翼に洗脳されたように見えましたか?
逆ですよ。「戦後、圧倒的な洗脳というか情報操作が行われ続けてきた」と言うのも右派の洗脳だと思いますよ。(左派の情報操作がなかったとは言っていません)
マッコイさんともあろう方が、「特攻隊員とはこうであったハズだ」と、認知心理学で言うところの確証バイアスのしがらみにとらわれたような解釈しかできないことの方が私には残念です。

敢えて言えば、左翼の書いた特攻隊関連の本など一冊も読んでいません。元特攻隊員達の手記等を多く目にして、自分の身に置き換えて考えてみたり、過去の特攻関連のエントリーにコメントくださった方達と一緒に考えてみたりした結果、特攻隊員の遺書の行間も読めてくるようになった結果なんです。

命令した側は「特攻は自発的志願だった」として、死人に口なしをいいことに自らの責任逃れをしています。その歪曲された話を右派が都合良く利用していたりもします。それでは特攻隊員が浮かばれません。
せめて本文中でリンクした、元特攻隊員の永末千里氏の文章にじっくり目を通すことをお薦めします。

元日本兵の方の中には、右派の主張・願望にかなうような証言をなさる方も少なからずいます。しかし、そうでない方もたくさんいるのです。
一部の右派ブログなどが、そういう元日本兵の方達に対して、「反日」だの「売国」だの「嘘つき」だのと罵倒するのが見ていてとても腹立たしい。
ほんの一歩間違えば靖国神社に英霊として祀られたかも知れない人達に対して、そういう態度をとる人間を目にするのは本当に嫌なものです。
こんな連中が出てくるようになったのは、反日左翼の自虐教育のおかげでしょうか?

もちろん、マッコイさんがそういう人だと言っているわけではありません。
マッコイさんがそんな偏狭な人達と同じとは思えないからこそ、もっと調べて考えてみて欲しいと、今回のコメントを読んでつくづく思いました。

謹慎も明けたようですし、また以前のような深い考察のエントリーに期待しております。


■Kamuiさんへ

>愛国心をどう定義するかによりますね。
>日本という国が自らの死後、家族達を守ってくれるという信頼が存在してこそです。

随分強引な解釈ですね。前線の兵士だった人の証言とかにもっと目を通した方が良いかと思いますが。

>国への強い信頼が無ければ、

本気で言ってます?

>尚、命令は強制ですが、それを言うなら納税も強制、義務教育も強制です。

「死ね」という命令と「納税」「義務教育」を同レベルで語るその感性が不思議でなりません。


■やっしゃんさんへ

>特攻にはオンボロ機しかまわせなかった

最後には練習機まで特攻に使いましたからね。それを操縦するのも、やっと一人で飛べるようになった者達ですし。
本土決戦のために中堅以上のパイロットを残しておきたかったというのもあったようです。


■レビアさんへ

はじめまして。コメントありがとうございます。

>それを「苦悩と葛藤を乗り越え自国の置かれている苦境を理解した上で」とさも崇高な行為のように言ってしまうのは、自分にはあいにく、受け入れがたい考え方ですね。

同感ですね。特攻隊員も人それぞれでしょうから全否定はしませんが、学徒兵が多かったことから考えても、上述のような「理解」をした人が多数派とはどうしても思えません。
ともかく、死を命令された者の真情を自分の身に置き換えるなどして忖度することもなく、その死を自分の願望に都合良く解釈して利用することは避けたいと思っています。






>管理人さんへ
証言・遺書・日記等に目を通したので提示しているのですよ。
具体例も挙げましたが、ただ「反発」するだけで反論できずですか。

>死人に口なしをいいことに自らの責任逃れをしています

しかも、また印象操……ああ、失礼。
『対象となるものをきちんと調べず(?)に、一部分だけを取り上げて批評』ですか?
特攻の発案者とされた大西中将は(特攻案は軍内部で囁かれていた為、大西中将が発案者として立候補したという裏がありますが)、「特攻の英霊に日す、善く戦いひたり深謝す」と遺書を残し自刃しています。彼は軍部でも最強硬派であった為(後世の証言と遺書内容から演技である可能性あり)、彼の遺書と自刃は最強硬派でさえ天皇陛下の言葉に従えと遺したという事実を作り上げ、クーデターを起そうかという勢力の牽制となりえました。

沖縄で「命令する側」であった将校も特攻で殉じた人は多い。
勿論、責任逃れをした人もいます。しかし、様々な形で責任をとった人々も大勢いるのですよ。

なぜ両論併記せず、『一部分だけを取り上げて批評』しますかね。やれやれ。

>本気で言ってます?

本気で言っていますが?
抽象的な想像してます?具体的に提示しましょうか?
例えば、国が家族へ「恩給」を支給してくれることや、自身の死後も郷里を守るため努力してくれるであろうこと、戦況が改善できれば「講和」に繋がること等は大勢の人が願い信じていたでしょう。それは「国への信頼」の形ですよ。

もしかして、国への信頼というのを宗教かなんかの妄信だとでも思っています?

>「死ね」という命令と「納税」「義務教育」を同レベルで語るその感性が不思議でなりません。

それ感情論です。
消極的ながらも「妥当と認めうる義務」と認識しうる事例であったということを示しているのです。

その認識を育てたのは「味方に殺されるから(処刑されるから)」という積極的な恐怖では無く、未曾有宇の国難。自らの故郷や肉親が蹂躙されるかもしれないという危機的状況です。「死ぬ」以上の強い罰則規定等無いにも関わらず特攻命令を受け入れたのは「強制だから」という訳では無いでしょうに。
♯現在の自衛官に違反者には禁固3年という罰則を設けて特攻しろと命じたら、殆どの人が禁固の方を選ぶかと。
♯勿論、当時はそんな罰則規定なんてありませんが。
♯永末千里氏の言っている通り特攻隊から「脱落」するだけです。
♯A man may lead a horse to the water,
♯but he cannnot make it drink.

永末千里氏はこう述べていますね。
『20歳にも満たない若者が、いかなる理由にせよ死をもって任務を遂行するという境地に至った精神状態、即ち特攻精神こそ評価すべきだと思います 』

全く同感です。

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