1900年代の初頭列国の帝国主義の開始とその進行が始まり、国益同士がぶつかり、中国・アフリカ・太平洋の分割政策から利権獲得競争に明け暮れた時代。
一流国家の建設を目指した明治維新の開国政策がようやく形になり、近代的な資本主義が勃興し、日清戦争から日露戦争にかけて日本がはじめて世界史に登場し、列国と肩を並べたような時期でもあります。清帝国では革命運動が激しく、西太后が没し、辛亥革命から新中国が誕生し、ヨーロッパ国際緊張の激化から国際協調に至る努力等々、世界が激しく揺れ動いた時代でした。
財団が創立された1915年は、第一次世界大戦の真っ只中でした。日英同盟との関係から、日本海軍が地中海に船団護衛の艦隊派遣を行ったような世界大動乱のさなか、第二次大隈内閣時代に、太平洋圏の平和と文明に貢献することを目的として、南洋協会は生まれました。
それから幾星霜、第二次世界大戦の終戦からも早数十年の年月が経ち、時代が変わり、南洋協会は「異文化コミュニケーション財団」として生まれ変わりました。
「諸国の諸般の事項を講究して相互の事情を疎通し、共同の福利を増進し、もって平和文明に貢献すること」
これは1915年、南洋協会の創立当時、世界における日本の立場や、国家の理想や世相が濃厚に反映された、南洋協会創立時の理念です。創立に際しての本財団の願いは「太平洋地域の恒久平和」であり、また「異文化間の相互の事情を理解して世界平和に貢献する」ということを、その理念と事業目的としています。
20世紀初頭、世界が熱く沸騰していた時代日本にとって世界といえば大陸と南洋を意味した時代に「諸国の諸般の事項を講究して相互の事情を疎通し、共同の福利を増進し、以って平和文明に貢献すること」という、異文化コミュニケーションの真髄をうたいあげた南洋協会の理念は「異文化コミュニケーション財団」と名称を変えた現在にも、脈々と流れつづけています。 |