◇自転車が救急車代わり
「陣痛が始まりそうになり病院まで20キロの山道を歩いた。自転車もなく歩くしかなかった」。タンザニア東部・モロゴロ州ムフンベ村。電気も水道も不十分な農村で暮らすファトゥマさん(35)は昨年8月、命がけで出産に至った経緯を話す。
強い雨が降りしきる中、ひたすら岩だらけの道を進んだ。カンガ(腰布)を傘代わりに広げたが、ずぶぬれになった。親類が付き添ったが、いつ破水するか不安を抱え病院にたどり着いた。「衛生状態のいい病院で産みたかった。私はまし。知人は産む前に病院に行けず亡くなった」。そう言って、娘アニファちゃん(1)を抱きしめる。
社会主義時代の名残で、タンザニアでは公立病院での出産は無料。だが専門技能を持つ医師や助産師の立ち会いで出産できるのは全体の半数に満たない。自宅では出産時の急な事態にも対処できず、へその緒を切るナイフが土まみれで感染症を起こす例もある。
交通手段に乏しく、車も通れない山道で重宝されるのは自転車だ。だが現地で平均的な月収(日本円で約3000円)の3倍以上もする自転車は、簡単には手が出ない。
日本のNGO(非政府組織)「ジョイセフ」は88年から東京都豊島区、さいたま市など13自治体と連携し、放置自転車を再生し途上国に贈っている。輸送に日本郵船が協力。90カ国に5万台以上を贈り、タンザニアにも約6000台を届けた。
「出産の救急時に間一髪で間に合う女性も増えた。命を救う手段になっている」と同州の病院で20年以上看護師をするキャサリン・マロさん(47)は“自転車救急車”の活躍ぶりを話す。妊婦を夫が荷台に乗せ、病院に駆けつける例が多い。助産師の移動や、病気の子供の搬送にも使われる。
村の助産師は「足りないのは自転車、体が冷えないよう雨から身を守る傘、そして出産時に使う衛生的な手袋」とつぶやいた。交通手段、健康の維持、そして衛生面。この国の妊産婦を取り巻く課題を端的に表していた。
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妊娠・出産で死亡する女性は世界で年50万人を超え、半数以上がサハラ砂漠以南のアフリカに集中する。国連などの推計で、妊産婦死亡率が出産10万人当たり1500人(日本は10人)と状況が深刻なタンザニアで妊産婦の現状を探った。【ムフンベ(タンザニア東部)で篠田航一】
毎日新聞 2007年10月29日 東京夕刊