◇ミャンマーの長井氏銃撃報道/向精神薬「リタリン」乱用報道
毎日新聞「開かれた新聞」委員会の月例報告(10月度)は(1)ミャンマーで銃撃された日本人ジャーナリスト、長井健司さんの写真掲載(2)向精神薬「リタリン」の乱用をめぐるキャンペーン報道について意見を聞きました。(意見は主に東京本社発行の最終版に基づきました)
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■ミャンマーの長井氏銃撃報道
◆倒れた写真を掲載
ミャンマーの民主化を求める反軍政デモを取材していたAPF通信社の長井健司さんが銃撃され、死亡しました。毎日新聞は倒れている長井さんの写真を9月28日朝刊1面で報じました。13版までは長井さんが入っていませんでした。この場面の写真は各社で扱いが分かれました。「東京」は男性を長井さんと特定せずに掲載。「朝日、読売、産経」は長井さんの写っていない写真を掲載。「朝日」は同じ日の夕刊で長井さんをカットしていない写真を掲載しました。
◇紛争の最前線、極限で表した映像--柳田邦男委員(作家)
死者の写真を掲載するにあたっては(1)人間としての尊厳を傷つけない(2)センセーショナルにして、子どもに悪影響を与えない(3)報道の狙いが明確--の3点が重要だ。それらを踏まえて事例ごとに判断したい。今回は(1)デモを鎮圧する軍隊の暴虐ぶりを象徴的に示し、極めて社会性が強い(2)紛争の最前線で事実を伝えるジャーナリスト精神を、自らの死という極限で表した映像と意味づけられる(3)いたずらにむごたらしくない--との理由で、最初から掲載すべきだった。表面的な穏当さに逃げることなく、戦争や紛争の現実を勇気を持って直視すべきだ。それこそが本当の人権を守る報道だと思う。
◇真実写し取った写真、掲載は当然--田島泰彦委員(上智大学教授)
長井さんが銃撃、殺害された場面は、名前も特定して横たわる姿を報じた9月28日朝刊1面の最終版の判断はきわめて当然である。一般論としては、事件・事故の被害者の写真については、悲惨さや遺族の感情へ配慮が求められるのは確かだとしても、長井さんが銃撃され、横たわるこの場面こそ今回の事件の真実と現実の一面を見事に写し取っているものに他ならず、写真ジャーナリズムが果たすべき重大な役割だと思う。むしろ、毎日の13版以前や他紙の多くがなぜ長井さんの姿を人為的にカットして掲載したのか、問いたいところだ。
◇証拠能力ある写真、報道の生命線--玉木明委員(フリージャーナリスト)
新聞には遺体の写真を掲載しないという原則がある。が、この場合は別だ。これは長井さん殺害の事実を示す重要な証拠写真だ。この写真を見れば、長井さんは間違いなく殺害されたことが分かる。証拠能力をもった事件の現場写真は、報道の生命線である。長井さんが写っていない写真では、その意義が半減してしまう。遺族も事実を知りたいはずだ。長井さんと確認された段階で、長井さんの写っている写真に切り替えた毎日新聞の判断は適切だった。マニュアルにこだわり過ぎると、報道が萎縮(いしゅく)してしまう。局面に応じた柔軟な判断が求められる。
◇人権への配慮、損なわれる危険も--吉永みち子委員(ノンフィクション作家)
長井さんが悲惨な戦場や紛争の実態を伝えるという強い意志を持ったフォトジャーナリストであったことで、一般人より遺体の写真を載せることへのハードルが低くなり、読者もまた受け入れやすく、この判断が支持された。ただ、愛するものの痛ましい姿を全国的にさらされるご家族への配慮、これが前例となってなし崩しに人権への配慮が損なわれることがないような歯止めが必要なのではないか。掲載の決断には、その後のビルマ(ミャンマー)報道をどの視点で続けるのかが問われ、抗議の姿勢を維持する責任も伴うのではないかと思う。
◆編集局から
◇「狙い撃ちの可能性」示す写真
日本の報道機関は遺体の写真の取り扱いに極めて慎重です。死者の尊厳や遺族感情に配慮し、原則的には掲載しない判断をしてきました。
長井さんが銃撃された日、ロイター通信が配信してきた写真は、逃げまどう市民たちの右下に倒れた男性が写っていました。それが長井さんだということは初めは分からず、締め切りの早い版では、市民たちに焦点を当てて、倒れた男性の部分をトリミング(カット)して掲載しました。しかし、深夜になって男性が長井さんと確認され、編集局で掲載の是非を議論しました。
倒れてもなおビデオを握りしめる長井さんの姿はジャーナリストの使命感を感じさせ、心に訴えるものがありました。長井さんは公人ではなく私人ですが、報道という仕事は極めて公的な性格のものです。また、流れ弾に当たったというミャンマー政府の説明にもかかわらず、写真は至近距離から狙い撃ちされた可能性を示していました。
悲惨な写真ですが、これらの事情を総合判断した結果、倒れた長井さんの姿は報道すべきニュースだと考え、最終版で写真を切り替えました。被害者の写真の扱いについては、今後も個別の事例ごとに慎重に検討し判断していきたいと思います。【東京本社編集局次長・河野俊史】
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■向精神薬「リタリン」乱用報道
毎日新聞は向精神薬「リタリン」の乱用による依存症など、副作用をめぐる実態をキャンペーン報道しました。しかし、乱用の弊害を強調しているとして、読者から「リタリンのおかげで日常生活が送れているケースは少なくない」「ひどい報道だ」などの意見が約40件寄せられました。
◇効果と副作用のバランスを--柳田委員
一部の精神科医が十分な診断をしないで向精神薬を処方している実態を、報道によって告発することは重要だ。しかしその場合も、精神科の診療、特に薬物療法の全体的な状況や、効果の出ている患者の実態などについて、十分に目配りの利いた記事を構成すべきであろう。そうしないと、効果の出ている患者を混乱させることになりかねない。薬は効果と副作用のバランスをどうとるかが重要。特に精神疾患やがんなど、薬の使い方が難しい分野ではそのバランスの問題をおさえて議論していることがわかるような記事にしてほしい。
◇ずさんな診療実態、浮き彫り--田島委員
リタリンをめぐる一連の毎日新聞の報道は、この問題の現状と背景を多面的に伝えていて有益である。特に、依存症の遺族や凶悪事件への発展のケースなども含む乱用実態や、ずさんな処方を繰り返す医師や医院の診療実態が丁寧な取材によって浮き彫りになったと思う。遺族取材などにより、うつ病への適用を容認してきた国の対応の遅さも指摘しているが、今回の流通制限などの改善にとどめず、製薬会社や薬事行政の構造的な問題など掘り下げた解明も望みたい。他方でリタリンの効用、服用患者への配慮にも続報が欲しい。
◇「救われた人」への配慮必要--玉木委員
毎日新聞の一連の記事は、覚せい剤の代用品として使われることを知りながら、安易にリタリンを処方する病院に警告を発し、併せて依存症の怖さを知らしめるものだ。重要だが、それだけだと、リタリンが覚せい剤同様の恐ろしい薬品という印象になる。実際にリタリンを服用している患者には、ショックも大きいだろう。もちろん、リタリンの適正な処方で救われた人も多いはずだ。そういう観点からのフォロー記事がないのは、やはり配慮に欠けているように思える。「偏っている」という読者の批判を重く受け止めるべきだ。
◇重要な報道、全体像の整理を--吉永委員
向精神薬リタリンの一連の記事は、さまざまな問題点を明らかにしたが、提起される事柄が多岐にわたっていて多少混乱したことは否めない。薬そのものの依存性の問題、処方の安易さの問題、安易に処方する医師の問題、乱用する者の問題、医師法や医師の処方権の問題、うつ病に使用される日本の問題などが次々に提示され、部分的に読んだ場合、全体像がつかみにくい。そのため正しく処方された場合の効能に誤解を生んだ。重要な報道内容でもあり、きちんと整理してまとめた形の特集でも組んでほしい。
◆編集局から
◇有効な防止対策を追求
リタリンの乱用による副作用被害は極めて深刻です。その背景には、患者を多く集めるために安易に処方する一部の医療機関の存在があります。リタリンをはじめ、向精神薬の乱用に歯止めをかけるにはどうしたらいいのか、医療機関や製薬会社、行政に有効な対策を求めていくことが報道の狙いです。
80年代以降、リタリンが、うつ病に効くという臨床試験の結果はなく、うつ病への適応削除を決めた厚生労働省の審議会でも異論は出ていません。とはいえ、「リタリンによって何とか日常生活を送っている」という患者が少なくないのも現実です。乱用防止はもちろんですが、こうした人たちの苦しみに応えるためにも精神医療、薬物治療はどうあるべきかをさらに掘り下げていこうと考えています。【東京本社社会部長・斉藤善也】
毎日新聞 2007年10月29日 東京朝刊