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【社会】

藤波孝生氏死去 74歳、元官房長官

2007年10月29日 朝刊

◆リクルート事件で有罪

 中曽根内閣の官房長官を務め、リクルート事件で有罪判決を受けた元衆院議員の藤波孝生(ふじなみ・たかお)氏が二十八日午後四時二十二分、肺炎による呼吸不全のため、三重県伊勢市の市立伊勢総合病院で死去した。七十四歳。伊勢市出身。自宅は伊勢市曽祢一の三の一四。葬儀・告別式は故人の遺志で親族、近親者だけの密葬で行う。

 早大商学部卒業後、実家の和菓子店を継ぎ、青年団活動に取り組んだ。三重県議を経て、一九六七年、当時の衆院三重2区から自民党公認で初当選。七九年、第二次大平内閣で労働相として初入閣。中曽根康弘元首相の側近として、八二年の中曽根内閣の発足で官房副長官、八三年の第二次中曽根内閣で官房長官に就任した。

 二期二年の官房長官時代に靖国神社公式参拝や防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠撤廃などの懸案に取り組み、電電、専売両公社の民営化など、中曽根行革路線を推進した。

 「将来の首相候補」の呼び声も高かったが、八九年五月、リクルートコスモス社の未公開株などを譲り受けたとして、東京地検が受託収賄罪で在宅起訴。一審無罪、控訴審で逆転有罪となり、九九年に最高裁で懲役三年、執行猶予四年、追徴金四千二百七十万円が確定した。

 無所属で臨んだ二〇〇〇年の衆院選で十一回目の当選を果たしたが、〇三年十一月の衆院選を前に「健康を害して根気が続かなくなった」として政界引退を表明。リ事件をめぐっては「(自分は)事件の象徴的な人物として(人々の記憶に)残るだろうが、事実関係として無実だと確信している」と語った。

 「孝堂(こうどう)」の号を持つ俳人としても知られ、句集「神路山」「五十鈴川」などがある。引退後、体調を崩し、入退院を繰り返し、今年八月ごろから再び、入院していた。

 

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