ドクター・ポスドク問題への奇策(1):日本から「博士」→アカポスというキャリアパスをなくしてしまえばいい
【ドクター・ポスドク問題】
(私案)
- 大学教員(国公立大学法人)及び公的研究機関(独立行政法人)の研究員は、海外で博士号(Ph.D.)を取得した人に限る
- 客員職はその限りとしないが、常勤職への変更を認めない
- これに伴い、国公立大学法人からは博士課程を全廃する。私立大学に関してはこの限りとはしない
のっけから過激な提案を書いちゃいました。 この問題については前回のエントリ以降ずっとダンマリだったわけですが、別に何か案を練っていたからとかそんなことはなくて、単に新生活への適応にあたふたしていて時間がなかっただけなんですけどね。
で、他所様のblogをあまり見ていない間にポスドク問題については結構な議論があったようで。特に5号館のつぶやきのstochinaiさんのところは大変な激論が何度もなされたようですね(1, 2)。あまりにもコメント欄が長くなっていて、僕は全部読みきれませんでしたw にしても、何度テーマに取り上げても毎回激論になってしまうというあたりに、ポスドク問題の根の深さと浸透ぶりがうかがえるように思います。
そんなわけでドクター・ポスドク問題やその残酷物語の数々を取り上げると決まって色々な改善策の提案とかが持ち上がってくるわけなんですが、どれも良い決定打にならないんですよね。もちろん、中には非常に秀逸な意見や施策の提案もあるものの、僕個人が見た感じではこれで本当に抜本的な解決が可能なんだろうか?と思ってしまうものが少なくないのです。
僕の考えるところ、様々な提案が結局抜本的な解決に至らない理由というのはいくつかあります。
一つ目は、「そもそも余剰博士の絶対数が多すぎること」。実際多いです。毎年1万人ぐらいが新たに博士号の学位を授与されていると聞きますが、毎年1万ものアカポスが用意されているわけではないということは火を見るよりも明らかです。そして、アカポスにあぶれた博士たちに何か民間における適職を斡旋しようにも、例えば7割に当たる7000人を対象にしなければならないとなった時点で結構な負担です。以前にも議論になりましたが、派遣業にしてもこれだけの人数の失業者を毎年定職に就かせるのは至難の業だと思います。
二つ目は、 「博士という層に対する一般社会からの理解に乏しいこと」。よく言われるのが「博士=対人コミュニケーション能力が足りない、協調性がない、社会的常識がない」。こう言っちゃ何ですが、研究業界を見渡してみれば全部きちんと兼ね備えている人は少なくないんですよ。以前例に挙げた、PR*に3報載せたのに職がなくてフリーターを続けている昔のバイト先の先輩は、少なくともこの3つに関しては何の問題もありませんでした。普通に就活すれば企業にも入れたと思うんですが・・・ともあれ、「博士」「学者」という言葉を出しただけで世間の皆さんは色眼鏡がかかってしまうようですね。先日山口県にいる旧友の結婚式二次会で彼のお友達と話した時は、まるで上野動物園のパンダみたいな扱いをされたぐらいで。
三つ目は、「博士を含めたアカデミアの側の覚悟が足りないこと」。stochinaiさんのところの8月21日付エントリでの議論に大変面白いコメントが書いてありますので、引用させていただきます。
私のところに時々共同研究に来る博士院生が、職がないというので、一部上場企業の営業職を紹介しました。
優良企業としてあげられている大手です。専門の知識を生かして、大型機器の操作方法を展示会で示したり、顧客を回ってアドバイスをしたり、マーケッティングを考えたりという職でした。反応が好対照でした。
企業の担当者: ○○君なら、即戦力だから、うちはすぐに欲しいです。
学部生、修士院生: すごく良いじゃないですか。うらやましいです。
博士院生: 営業をする気はありません。研究を続けたいので。。
これが全て、というのは言い過ぎかも知れませんがほぼ実態通りでしょう。というか、正直僕もこういうオファーが学生時代にあったなら飛びついたかもしれませんね。オファーがなかったから今のようなポスドク稼業をしているというか、オファーが来るほど優秀じゃなかったということなのかもしれませんが。 ちなみに、大学時代のラボの先輩はD1の段階で某最大手企業から似たようなオファーを受けて、即座に中退して就職していきました。彼は賢かったんですね。それから、ぜひ皆さんに今一度お読みいただきたいのがlanzentraegerさんがお書きになった 「アカデミアへの進路の固定はどうしてなのか」。博士本人の意識はもちろんのこと、周囲の環境までもがアカデミアという隘路へと誘い込むようになっているということに問題があるのではと思います。その裏には「政府からの運営交付金の給付額が博士(大学院生)の数で決まる」システムがあったりとか色々と困った事情があるわけなんですが、ここでは置いときます。
四つ目は「博士のキャリアパスに対するコンセンサスが旧態依然であること」。上記の三つ目に完全に対応するんですが、その影響は決して無視できないと思うんですね。仕事柄学生さんと話をすることは多いわけなんですが、彼ら(彼女ら)と話しているとだいたい以下のようなキャリアパスを想定しているような印象を受けます。
- 学部卒:営業
- 修士修了:研究開発、技術営業
- 博士修了:アカデミア
で、結構怖いのが「研究開発をやりたいから院試受けて修士に行く」って平気で言ってしまうB3-4の学生さんが多いこと。別に、意欲とスキルと努力があれば学部卒で就職したって研究開発職に就くことはできるのでは?と思うんですが、どうもそうではないらしいです。何となくですが、最終学歴によってその後のキャリアパス(うっかりすると人生全体)が完全に階級別に分かれるかのような思い込みが、学生さんにあるようにも見えます。これをひっくり返した視点が(民間企業および大学や研究所などのアカデミア業界を含めた)世間一般にもあるのだとすると、「博士=アカデミア志望」というコンセンサスを変えるのは非常に難しいのではないかと思います。
五つ目は「日本の伝統的な年功序列のシステムに博士課程修了者や進路転換を目指すポスドクがそぐわないこと」。この辺の話は僕が書かなくてもいろいろなところで指摘されているので、割愛します。要するに、歳を食った「新規採用」なんてどこの誰がするのか?という話です。
そして、最後の六つ目は「博士課程が就職できなかった修士の溜まり場と化してきていること」。この件に関しては以前にも当blogで鬼のように厳しい話を書きまくった記憶がありますが、同じ事を考えている方って世の中結構おられるんですね。魔人ブウさんも書いておられますが、要するにできる学生は修士ぐらいでさっさといい企業に就職するなり身の振り方を決めて、できない学生がいつまでもだらだらと博士まで残るという傾向が強くなってきているようですね。恥ずかしながら、僕の後輩にもそういう手合いがいます・・・もっともそいつはさすがにまともに博論書いて修了してアカデミアに進むのは諦めて、普通にスーツ着て就活してどこかの企業にエンジニアの口を見つけたようですが。
・・・ということで、僕から見ると現状の博士課程以降の教育システム自体が「アカデミア」という隘路に学生を引きずりこんでいく、アリ地獄のように見えるんですね。そして、現在の博士供給過多の状態では「アカデミア=ごく少数の成功者と大多数の食いっぱぐれ」という図式は変わりようがありません。すなわち、今の日本においては「博士課程=大多数の食いっぱぐれを量産するためのシステム」だというわけです。
そして、この現状を「昔の高卒のレベルを今は学部卒でようやく満たせるかどうか」という「若者のレベル低下論」と結びつけて論じる風潮が散見されるのを考えると、これ以上各大学が博士課程を設けてドクターを世に送り出すことの意義自体に疑問を抱かざるを得ません。むしろ、このままの状態が続けば「昔の高卒のレベルを博士修了でようやく満たせるかどうか」というような話になっても不思議はないのでは?
これらの問題を抜本的に解決するために、僕が提案するのは「日本から博士→アカデミアというキャリアパスをなくす」ということ。具体的には、冒頭に書いたような3つの施策です。
・・・つまるところ、今の日本の状況からみてどのように博士課程のシステムを変えたところで「気軽に」博士課程に進学してしまう学生は減らないと思うんですね。上にも書きましたが理由は腐るほどあって、ボスの甘い誘い、研究室のアカデミア志向が醸し出す囲い込み、簡単にもらえる奨学金(東大に至ってはろくでもない制度を考え出しましたね)、根強いモラトリアム意識、とにかく博士課程がある限り甘い考えの若者がノコノコやってきてしまう可能性は高いでしょう。優秀な学生はその罠と危険性に感づいてさっさと逃げ散ってしまって、博士に残るのはボンクラばかり。これではいつまでたっても同じ事の繰り返しです。しかも、博士の学位さえあれば「大学の先生」(≒暇人or趣味人)になれるという思い込みが、怠惰な若者たちを無駄に惹きつけてしまいます。
これを、少なくとも国公立大および独法のアカポス(ポスドク含む)に限って「必ず海外で学位を取ってくること」とハードルを高くすれば、さすがに惰性で「大学の先生」を目指そうとする若者は減ることでしょう。真にやる気のある(そして優秀な)学生ならスカラシップを自分で確保してPh.D.ぐらいは取ってくるはずですから。それに、概ね海外のPh.D.の方が取得が大変なだけにドクターの質もそこそこ確保できると思います。そうそう、ディプロマミルの排除もお忘れなく。
ただ、学問の自由とかいろいろあるわけで、私大や私的研究機関(私企業を含む)にまで強制する必要はないと思います。単に、国費が無駄になる(せっかく多額の費用を投じて育成したドクターが職に就けない)のを防ぎたいというのが趣旨ですので。
・・・とまぁ、色々書いてきたわけですが、某元教授氏が提案された施策は「博士全廃」よりはもっと建設的かもしれませんね。今回のような暴論も含めて、もっと多くの議論がなされてもいいように思います。
「この奇策なら未来の問題は防げる、でも今の問題はどうするんだ?」ということについては、次回書きます。
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トラックバックしたつもりだったのですが、うまくいっていないかもしれません。こちらに関連エントリーを書きましたので、よろしくお願いします。
http://shinka3.exblog.jp/7126770/
コメント by 5号館のつぶやき — 2007年 10月6日
>5号館のつぶやきさん
遅くなりまして申し訳ございませんでした。
先ほどTBをいただいたまま承認待ちになっていたことに気がつきましたので、遅ればせながら承認いたしました。
関連エントリ、興味深く拝読しました。もちろん、いずれはドクター・ポスドク問題は自然消滅していくものと思いますが、現在学生たちの声を見聞している範囲では問題の所在を「熟知」している学生はまだ多数派ではないような気もします。自然消滅までの時間はかなり長くなるのではないかと僕は危惧しておりまして、その危惧を解決するために書いたのがこのエントリであるというようにご理解いただければ幸いです。
続編は、現役の研究者たちにとって耳の痛いネタになりますよ、とだけ申し上げておきましょう。
ご期待下さい。
コメント by viking — 2007年 10月7日
興味深く拝見致しました。細かい突っ込みをひとつ。
高等教育を国が放棄して、海外に丸投げするのは先進国には許されないことでしょう。
コメント by CJ — 2007年 10月8日
さっそく牙がむけたようじゃないかw
OD,PD問題の根源は,責任のなすりつけ合いしてることだろうな.
あとは,部分的(目に付くところだけ)をアメリカ式にして,周辺
を全く変えないところだな.
#周りってのには,産業界も当然入る.
ウチの学生でこのテーマでやりそうな人がいるから,そのうちイン
タビューお願いするかもよ.
コメント by CAD — 2007年 10月8日
>CJさん
仰る通りです。自国で高等教育が施せないということは、お雇い外国人を招くしか方法のなかった明治初期に逆戻りということを意味するわけで・・・なればこそ、「奇策」として提案したのだとご理解下さい。
>CAD氏
うん、端的に言っちゃえば責任転嫁の成れの果てなんだよね。「自己責任論」も責任転嫁の一形態だし。インタビューは・・・メールで連絡くださいなw
コメント by viking — 2007年 10月8日