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戸隠神社 |
高い山や巨木や巨岩に霊が宿るという信仰は、日本古来の神道にあった。そこへ渡来した大乗仏教には、すべての物に仏性があるという教えが中心にあり、仏教を教えた僧侶は神道の土着の信仰を巧みにとり入れたのだろうし、神仏はごく自然に融合したと考えられます。このことは、私達日本人の宗教感に深く関わっていて、すべてを自然に取り込んでしまう伝統は今も生きています。きっと高くて厳しい戸隠の山々は、神道と仏教の信仰の対象とされたのでしょう。やがて仏教は神道の力をしのいで優位にたち、僧侶は神官の仕事を兼ねていたらしいが、そては戸隠だけの話では無く、全国の寺社で当たり前のことでした。
やがて明治政府が神仏の習合を徹底的に弾圧し、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を強制して、神社から仏教を排除しました。そのため現在の戸隠には神社だけで、三千あったという宿坊や仏教の修験場のなごりはあまりありません。
そして戸隠神社は、「古事記」や「日本書紀」にもでてくる有名な神話「天の岩戸開き」に功績のあった神々を祭る神社(奥社、中社、宝光社、日之御子社)の総称として、現在に至っています。
奥社 (おくしゃ)
日本神話で名高い天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天の岩窟に隠れたとき、無双の神力でその岩戸を開けたといわれる天手力雄命(あまのたじからおのみこと)が御祭神である。奥社は何百メートルもの断崖の真下に建てられていて、その昔、修験者の霊場だったことを深く物語っている。参道は約2キロ、中程に茅葺屋根の赤く塗られた随神門があり、門をくぐりさらに進むと、両側はうっそうと茂る杉並木が続き、昼でも薄暗く神秘的な雰囲気が漂う。中社 (ちゅうしゃ)
御祭神は、天照大神が岩窟に隠れたとき岩戸をあけるために神楽を奏することを考案したという知恵の神、天八意思兼命(あまのやごころおもいかねのみこと)。御本社(奥社)に相殿として奉祀されていたが、宝光社との中間の位置に寛治元年(1087年)に分祀奉斎されて、今日に至っている。学業成就、商売繁盛、開運、家内安全などの御神徳があり、聖地戸隠詣でのなかではいつも多くの参拝者で賑わっている。宝光社 (ほうこうしゃ)
御祭神は、中社の御祭神の御子神様天表春命(あまのうわはるのみこと)で、技芸、安産、厄除け、家内安全などの御神徳があり、多くの信者の信仰を集めている。中社と同じく、御本社に天暦3年(949年)より相殿として奉祀されていたが、奥社より6キロの現在地に康平元年(1058年)に分祀奉斎されて、今日に至っている。日之御子神社 (ひのみこじんじゃ)
宝光社と中社の間にある小さな神社で、天の岩戸の前で大胆な姿で舞いを踊り神々を大喜びさせ、天照大神をして思わず岩戸の隙間から顔を覗かさせてしまった、(ストリッパーの元祖?)天錮女命(あめのうずめのみこと)を御祭神として奉斎する。戸隠山の神様が神仏習合された時代にも神社として終始しており、古来より舞楽芸能の神、開運の神、火妨の神として崇敬され、その道を志す者の信仰を集めている。社殿は茅葺で往時の姿を偲ばせる。境内には有名な西行桜がある。