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戸隠神社


中社宮前  峻嶮な戸隠山の山容と裾野に広がる豊かな水が、古くから農耕民に仰がれ、この水をつかさどる神の住む所とあがめていた戸隠。修験道が入り込んだのは嘉祥2年(849年)といわれています。現代の我々から見ると不思議なのが、戸隠の地は平安時代から明治維新までの間、神々を祭る地でありながら仏教の修行地として有名だったことです。すでに平安時代のはじめ、天台宗、真言宗による山岳密教が入り、戸隠は修験者のメッカでした。伊豆の走り井、駿河の富士山と並んで霊験あらたかな修行場で、諸国の山伏達が集まって隆盛をきわめました。この修行者達の宿泊施設を「坊」といい、戸隠三千坊と呼ばれたそうだから、いかに賑わったか想像でます。

 高い山や巨木や巨岩に霊が宿るという信仰は、日本古来の神道にあった。そこへ渡来した大乗仏教には、すべての物に仏性があるという教えが中心にあり、仏教を教えた僧侶は神道の土着の信仰を巧みにとり入れたのだろうし、神仏はごく自然に融合したと考えられます。このことは、私達日本人の宗教感に深く関わっていて、すべてを自然に取り込んでしまう伝統は今も生きています。きっと高くて厳しい戸隠の山々は、神道と仏教の信仰の対象とされたのでしょう。やがて仏教は神道の力をしのいで優位にたち、僧侶は神官の仕事を兼ねていたらしいが、そては戸隠だけの話では無く、全国の寺社で当たり前のことでした。

 やがて明治政府が神仏の習合を徹底的に弾圧し、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を強制して、神社から仏教を排除しました。そのため現在の戸隠には神社だけで、三千あったという宿坊や仏教の修験場のなごりはあまりありません。

 そして戸隠神社は、「古事記」や「日本書紀」にもでてくる有名な神話「天の岩戸開き」に功績のあった神々を祭る神社(奥社、中社、宝光社、日之御子社)の総称として、現在に至っています。



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   奥社 (おくしゃ)

 日本神話で名高い天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天の岩窟に隠れたとき、無双の神力でその岩戸を開けたといわれる天手力雄命(あまのたじからおのみこと)が御祭神である。奥社は何百メートルもの断崖の真下に建てられていて、その昔、修験者の霊場だったことを深く物語っている。参道は約2キロ、中程に茅葺屋根の赤く塗られた随神門があり、門をくぐりさらに進むと、両側はうっそうと茂る杉並木が続き、昼でも薄暗く神秘的な雰囲気が漂う。
奥社の左手にあるのが九頭龍社。御祭神は九頭龍大神で、創建の年月は不詳であるが戸隠神社の中ではもっとも古いといわれている。古くから戸隠の地を支配・守護する地主神として奉斎され、水の神、雨乞いの神、虫歯の神、また農業・商業の神として信仰を集めている。

   中社 (ちゅうしゃ)

 御祭神は、天照大神が岩窟に隠れたとき岩戸をあけるために神楽を奏することを考案したという知恵の神、天八意思兼命(あまのやごころおもいかねのみこと)。御本社(奥社)に相殿として奉祀されていたが、宝光社との中間の位置に寛治元年(1087年)に分祀奉斎されて、今日に至っている。学業成就、商売繁盛、開運、家内安全などの御神徳があり、聖地戸隠詣でのなかではいつも多くの参拝者で賑わっている。
天の岩と伝説をとり入れた太々神楽(だいだいかぐら)は、今でも春夏秋の例祭のほか随時奉納され、最古の様式を残す神楽としても有名。その独特の舞いに特徴がある。
境内には樹齢約900年に及ぶ天然記念物の三本杉があり、厳かな雰囲気の中に戸隠神社の社務所が置かれている。右手にはその昔対立していた真言派に暗殺された天台派の宣澄(せんちょう)がまつられている宣澄神社がある。

   宝光社 (ほうこうしゃ)

 御祭神は、中社の御祭神の御子神様天表春命(あまのうわはるのみこと)で、技芸、安産、厄除け、家内安全などの御神徳があり、多くの信者の信仰を集めている。中社と同じく、御本社に天暦3年(949年)より相殿として奉祀されていたが、奥社より6キロの現在地に康平元年(1058年)に分祀奉斎されて、今日に至っている。
杉の古木の中を200段あまりの石段を登ると両部新道当時の面影を残した社殿があり、その荘厳さに目を見張る。奥社と中社が天災などで消失、再建されたのとくらべると神仏混淆時代のなごりをとどめた建築様式や彫刻などの造りの見事さで貴重なものとされている。
中社と共に随時諸願祈祷や御神楽献奏祈願祭が行われてる。

   日之御子神社 (ひのみこじんじゃ)

 宝光社と中社の間にある小さな神社で、天の岩戸の前で大胆な姿で舞いを踊り神々を大喜びさせ、天照大神をして思わず岩戸の隙間から顔を覗かさせてしまった、(ストリッパーの元祖?)天錮女命(あめのうずめのみこと)を御祭神として奉斎する。戸隠山の神様が神仏習合された時代にも神社として終始しており、古来より舞楽芸能の神、開運の神、火妨の神として崇敬され、その道を志す者の信仰を集めている。社殿は茅葺で往時の姿を偲ばせる。境内には有名な西行桜がある。

参考文献 「戸隠手打そばの技術」
戸隠そば商監修 旭屋出版

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