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発信箱:当たり前のこと=藤原章生

 以前、国立極地研究所の渡辺興亜(おきつぐ)教授(当時)にこう言われた。「本物かどうか、新聞が評価しなければ誰がするんだ」。当時、登山の記事を書いていた私は、竹馬で富士山に登った人を「快挙」と伝えた。そんな姿勢を「面白いだけで大きく報じていいのか?」と諭されたのだ。

 似た言葉を昨年、国立情報学研究所の高野明彦教授から聞いた。「情報はブログで膨らみ、ニュース順位もランキングで決まる。そんな時代だからこそ、新聞は本物を選びぬかなくては」

 ボクシングの亀田一家報道を見ると、メディアは明らかに流されてきた。ボクサーとしての実力を評価すべきところを、一家の言動や物語など、リング外の面で注目してきたところがある。

 亀田親子に限らない。スポーツ選手を実績でなく笑顔で注目したり、女優をその演技でなく、会見の際の非常識な態度でおとしめたりする。そんなテレビに新聞も引っ張られ、大多数に読まれるかどうかだけが記事を書く目的になりつつある。評価基準は内容ではなく、読み手の人数だ。

 読まれるには有名人を出すのが手っ取り早い。有名人とは必ずしも専門分野で評価されている人ではない。テレビに出ている人のことだ。

 知らないことを断言するコメンテーターが繰り返し顔を出す。精神科医にしても脳学者にしても「この人しかいないの?」と言いたくなる。彼らに実力があるにしても、やはり、選ぶ側の努力不足だろう。「テレビに出ているから」と合点し、本質を吟味しない報道陣が多いのではないか。自戒をこめてそう思う。(夕刊編集部)

毎日新聞 2007年10月28日 東京朝刊

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