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ご心配をおかけしました・感謝をこめて

10月25日に書いた問題については、出版社の方が何らかの対応を考えて下さっているようなので、いったん取り下げます。応援やご提案のコメントを寄せて下さった皆さんには感謝しております。
お心遣いありがとうございました。

こういう事は、時期が来れば自然と明らかになるものと思いますので、これ以上何も言う事はありません。今後も、よりよいものを生み出していけるように努めていきたいと思っています。

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★10月25日に書いた問題については、出版社の方が何らかの対応を考えて下さっているようなので、いったん取り下げます。応援やご提案のコメントを寄せて下さった皆さんには感謝しております。お心遣いありがとうございました。 こういう事は、時期が来れば自然と明らかになるものと思いますので、これ以上何も言う事はありません。今後も、よりよいものを生み出していけるように努めていきたいと思っています。

12月8日アンチダイエット講座(ミーティング付き)参加者募集中!

12月8日といえば、太平洋戦争勃発の日だったり、かのジョン・レノンが凶弾に殉じた日だったり、歴史的になかなか意味深い日付と言えますが、ジャンル的には関係ないけどその日、10か月ぶりの久々にアンチダイエット講座をやることにしました…!

しかも今回は、ただ講義&ワークスタイルに終わらせず、参加者の皆さんで体験や気づき・アイデアを分かち合って学び合うという、「セルフヘルプ・ミーティング」の時間もたっぷり取ってみようと思ってます。

これはつまり、摂食障害ほか様々な依存症の当事者+克服者が集まって定期的に体験を分かち合う「自助グループ」ミーティングのアンチダイエット版というところです。

私の知人で精神科医のお医者さんが「摂食障害の人に一番効果があるのは、われわれ医師のカウンセリングよりも、自助グループのミーティング」と語っておられたんですよね。
やはり、体験した者同士の共鳴作用というか、相手が自分の鏡になって、気づかなかった所が見えるようになる効果もあるでしょうし、人同士が出会って生まれる、力の増幅作用というものがあるのだろうと思います。
どうぞ気楽に参加して、予想外の何かを持ち帰っていただけたらと思ってます。

★Information★
☆★アンチダイエット講座+学び合い・分かち合いミーティング★☆
2007年12月8日(土) 15:00~17:00

前半は講習、後半はみんなで体験を分かち合う「学び合いミーティング」となります。
千葉市生涯学習センター主催「まなびフェスタ2007」参加企画
⇒会場に登録してある講座名は
《ダイエット依存・摂食障害を卒業してスリムになる生き方講座》
 ⇒団体名は《アンチダイエット・カウンセリング》となります。
◆会場:千葉市生涯学習センター 3階「研修室2」
〔JR千葉駅東口より歩8分・市立図書館と同じ建物です〕
http://chiba-gakushu.jp/info/riyo/access.html
◆参加費: 『ダイエットやめたらヤセちゃった』1冊付きで2000円(消費税分サービス)
既に本をお持ちで必要ない方は400円 (※お茶用意アリ・おかわり自由)

※先着28名まで・ご予約はメインサイト「アンチダイエット・スリミング本舗」
のこちらのページからどうぞ!
http://www15.ocn.ne.jp/~antidiet/lecture.html

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自宅ノーエアコンで過ごした灼熱の今夏は爽快だった!

わが家は2001年以降、自宅ノーエアコンで通しています。転居をキッカケに放棄したので、持っていないのです。
さすがにお年寄りと病人には夏のエアコンは必要と思っていますが、今のところどちらも抱えていないので、扇風機と冷風扇とを、必要な人がその都度、自分の座る場所へ持って移動する方式でやっています。
暑いと寝つけない小学生の子は、タオルにくるんだ保冷剤を枕に置いてしのぎました…!
ただし、頭脳労働の能率アップのためにはエアコンは有難い。そこで昼間の集中的な執筆仕事の時は外出してエアコンのある場所でやり、帰宅後は噴き出す汗と、それをお風呂やベランダの夜風で癒す快感を存分に楽しみます♪

とにかく今年の夏は、記録史上最高気温の40.9度が埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で出るなど、ひときわ暑かった分、私はかえって爽快だったから面白いものです。

なぜかと言えば、トシのせいか(?)昨年までやや出にくくなってた汗が、これまでになく沢山湧いてきたからです。
不思議なことに、どんなに暑くても、寝つけないような夜は一度もなく、毎朝、汗びっしょりで目覚めると、スッキリ解毒された感じがして、洗濯するのも気分がいい。
そのせいか、昨年までは、毎夏、自分の顔に湧く汗の跡がカユくて困ってたのに、今年はまったくそれがなくなっていたこと。
また、いつもは手放せなかった扇風機さえ、今年はそんなに必要とせずいられたこと。
ひと言で言えば、体の耐熱性が向上した、という感覚なのです。

私は、現在の地球温暖化の原因は、CO₂だけのせいだとは考えていません。
それより、太陽光のエネルギー自体がパワーアップしていることを、年々感じています。
だから、できればそれを体で感じる機会を積極的に作ったほうがいいのです。
最初の年は、ちょっとツライかもしれませんが、年々、体の暑さ耐久能力が向上するのを実感できますよ…!

拙著『ダイエットやめたらヤセちゃった』第四章にも、夏にホットドリンクを常飲したり、エアコン無しで暮らすことで、結果的に体型がスッキリしてしまった、親子二代にわたる記録をご紹介していますので、よかったらご一読を

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アンチダイエット宣言!ダイエットをめぐる“不都合な真実”

残暑の灼熱度もやや弱まってきた感がありますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

さて、今月下旬か9月初旬に最新号が出る予定の、かのヴォイス社(精神世界系ワークショップ&メンタル系書籍で有名!)が毎年発行している好評ムック・シリーズに、特集企画とは別立てで、たっぷり4ページのアンチダイエット読物が掲載されます。
題して「アンチダイエット宣言!ダイエットをめぐる“不都合な真実”」
はい、ご覧の通り、映画『不都合な真実』のもじりですが、最近メディアをにぎわした、ダイエット情報のうさん臭さがよく見える時事ネタをいくつか取り上げつつ、アンチダイエット生活への手ほどきをしています。

この「アンチダイエット」という造語は、ダイエットの逆に大食いする、という意味で使っている人もいたりしましたので、知らない人にはワカりにくいかな?とも当初思っていたのですが、拙著『ダイエットやめたらヤセちゃった』の読者の皆さんは「アンチダイエットをするようになって」という言い方ですっかり親しまれているようなので、これから別の言葉を考えるより、この言葉が定着すればいいなと思っています。

いま一度この言葉の意味を説明すると、《ダイエットという思考回路を取り外して、本当に体が望んでいるものを与え、必要を満たしていくのが、アンチダイエットの考え方》です。
だから、ダイエットのために代謝が低下し、リバウンド太りに悩まされていた人は、体の自己調整作用が働き始めて、結果的に贅肉が落ちるという体験をしています。
また、今以上太るのを怖れて少食と過食の繰り返しをしていた人は、好きなだけ食べても別に太らない上に、過食が治まったという体験を。

私たちのみんなが、「ダイエットでヤセるという物語」に化かされていたんだなぁ、ということを実感できることと思います。

掲載誌はコチラ↓
「voice style vol.3 パワーストーン・コンプリートファイル」
本題のパワーストーン特集も他誌にない内容充実ぶりを保証します。編集者が毎号職人的こだわりのセンスを発揮する腕利きの女性なので☆

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今年も「エアコン無し生活」★わが家にない3種の家電とは?

皆さん、残暑お見舞い申し上げます!

今朝未明(16日4時15分)の千葉県北部の地震は、モロ震度4の中心にいたのですが、地震の起こる数分前に突然目覚めてしっかり体感しました。始まりから大した揺れではないと思いつつも、長々と続いたのが穏やかではなかったですね。とりあえず今日は、わが家のナマズを自称する資格を獲得しました。


さて、今年の夏は7月下旬までクールだった分を取り戻すかのように、立秋頃から灼熱日和が続きますね~
そんな中、今年もわが家はエアコン無し生活です。
PCもDVDレコーダーも配備してあるわが家ですが、たいがいの家庭にある3種の家電を持たずに生きています。
その3種とは、エアコン&電子レンジ&電気掃除機…!


〔理由その1〕エアコンは、夏には汗をかく自然の仕組みを止めたくない&世のヒートアイランド現象を少しでもやわらげたいから。
〔理由その2〕電子レンジは、食品の生命力が壊れそうな気がするから。代わりに、鍋を二重にして少量のお湯で蒸し器状態にすれば、電子レンジよりおいしく再加熱はできるもんです。
〔理由その3〕電気掃除機は、コードをずるずる引きずるのが嫌いなもので…クイックルワイパーのフローリング・畳タイプと、じゅうたんタイプ(←これ、非電化工房の人が発明した非電化掃除機と原理が同じのスグレ物ですよ)が揃ってれば用は足せるんですよ。取りこぼしはガムテープがあれば十分!

月刊「anemone」9月号掲載情報

連載エッセイ「体は心のカタマリだから」 
今月のお題は 「闇が怖くなくなるということ」 
ごくカンタンに言えば、成熟した年格好になってから、夜道を歩くのが好きになった私の心の変転のお話です。ご興味ある方は、どうぞのぞいてみて下さい☆

来月号から、連載タイトルを改め、とあるテーマに絞った新連載としてリフレッシュ・スタートしますのでお楽しみに…!

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体重のセットポイント説は、どこまで正しいか?

最近、読者の方から「体重のセットポイントって、やっぱりあると思いますか?」というご質問を頂きました。これは『みんな、やせることに失敗している』(森川那智子著)という本の中に書いてあって、そう言えば私もその昔読んだ覚えがあります。
読者の方の言葉を借りつつかいつまんで説明すると、“人それぞれ遺伝的に体重のセットポイントがあって、どう頑張ってもぽっちゃり型の人はぽっちゃり型に、 やせ型の人はやせ型に落ち着くようにできている”という、なんともダイエッター泣かせの説だったわけです。

さて、これが本当なのかどうか?ということについて、今のところ私が考えているのは次の2点です。

①セットポイントは「あるけど、変わる」。

②体型は、その時の生き方が形に表れたもの。

①について言えば、まず体を測る指標を体重一つにすると、立体を無理やり平面にするようで、体の中身を読み間違えてしまうから注意したいのですが(当ブログ記事「体重という呪縛にサヨウナラ」参照)、ともかく体重うんぬんというより、人それぞれ成人するまでに獲得した、先天的+後天的な骨格や筋肉の大きさ・太さがありますよね?
それらが大きければ、そこに付く肉の量も大きくなりますから、例えば見た目にスッキリ贅肉が絞られても、体重の数字は健康体重と美容体重の間ぐらいで落ち着く、というのはあるでしょうし、一方で骨も筋肉も脂肪も全部、生まれつき作られる量が少なくて、ダイエットしなくても美容体重以下という、か細い人がいたりする。
そういう意味では、人それぞれ当たり前に食べ・動いていた時のセットポイントは個体差としてはあり得る、と言えます。
そしてこれこそがまた、拙著『ダイエットやめたらヤセちゃった』でも重要な言葉として取り上げてる「恒常性(ホメオスタシス)」の表れの一つなんですね。
それは、本人の体調を安定させるために、その時々の“暫定(ざんてい=とりあえずの)ベスト体重”を維持しようとする働きなのだと言えます。

でも、「あるけど、変わり得る」というのが私の持っている印象なのです。なぜなら、上の②で言った要素が入ってくるからです。
例えば、若い頃、焼肉大好き・スポーツ大好きという固太りタイプの女性が、贅肉を落として引き締まり、体重50kgがベスト体重として安定したとします。
その女性がやがて、生き方が変わってベジタリアンとなり、ヨガや瞑想三昧の生活をしているうちに、筋肉が細くしなやかな形に変わって、47kgに落ち着いた、そういうものじゃないかと思うんですね。
出産を境に、代謝のペースや生活リズムが変わったためか、体型がガラリと変わる人も時々いますし。

だから、人それぞれ、親からもらったものも含めて、これまでの人生の中で身につけ、定着させてきた“体の働きのクセ”は、「個体差」として受け入れつつも、“だからもう変えられない”と悲劇的に考える必要もないと思います。
体は環境に適応しようとしますからネ。本人のメンタリティや動き方も環境のうち。体型は、それが表れてるだけのこと、と思えば責めたり恨んだりする必要もないことがわかるでしょう…!

 

 

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福島母殺害事件エッセイ・全文掲載

7月12日付の記事でお伝えした月刊「anemone」8月号掲載の「福島母殺害事件」にまつわるエッセイを、月が変わりましたのでこの欄に転載したいと思います。

この事件は私にとって、日本人全体に「早く心の中身を入れ替えろ」と迫る、最後通告的なメッセージに受け取れたのです。折しもこの夏は、天気も大地も大揺れの「荒れ事」が続いています。
きっと私たち一人一人が、未解決の課題をクリアして、生き方を変更していかなければいけない時なのでしょう。
以下の拙文が、皆さんそれぞれが心に抱えてらっしゃるであろう、「し残した宿題」を片づけるキッカケにでもなれば幸いです。

 

母の体を切り刻んだのは誰?

 それは今年の5月15日のこと、会津若松市内で17歳の少年が実の母親を手にかけた上でその首と右腕とを切り離すという、世にも異常な出来事が起こりました。この報道の持つ、他のどの殺傷事件とも一線を画する悲劇的な毒性に、底深い衝撃を覚えた人は多いことでしょう。

 はじめにすぐ想像されたのは、この少年が、長年母親から、身体的にか精神的にか何らかの虐待を受け続けた結果、死に絶えそうな自我を守ろうとして「やむにやまれず」やってしまった、つまりよくよくの愛憎の果てに、という図式でした。

 ところが実態は違っていて、本人の証言は「誰でもよかった」──というものだったから更に呆気に取られました。母という、その人にとってはこの世で最も重い存在とも言える相手に対する動機としては、あまりにも不釣合いに軽い言葉です。そう、この事件が異質なのは、「母」という存在の意義が徹底的に壊されているからなのです。

 たとえ理想的な親ではなくとも、自分を産んでくれた、育ててくれた、ただそれだけで無条件降伏なのが、誰もが持つ「母」に対する思いだったはずです。他人を殺【あや】める犯罪者でさえも〝自分の母〟だけは「悲しませたくない」「すまない」と特別視するのが自然な情としてありました。

 ただ、この数十年ほどの時代の変化の中で、確かに母は「見上げるもの」や「尊いもの」ではなくなってきたのは事実でしょう。それは、子育ての質が変わったからです。

 古きよき社会のように、親から子へ「かけがえのないものの価値」を教える、といった「心を育てる」意識がぬけ落ちて、その代わりにただ次々と必要とされる品物をあてがい、お金を支払い、という調子で、物質的に世話を焼き続ける事が子育て、のような意識にすり替わってきたところがあるのを感じませんか? 会津若松の少年の態度も、この変化の延長線上にあります。

 おそらく彼は、母親のことを単に、お金や身の回りの事など、物質的必要を満たしてくれる「世話焼き女」という意識で捉えていたのではないでしょうか。そこには、だから自分の好きにしていい存在、という得手勝手【えてかって】な甘えが感じられるのです。

それは丁度、母なる大地の体を、自分の欲動のままに切り刻んでも当たり前と思っている、そんな人類の集合意識を体現しているように思えました。

 地球の体を、みだりに侵しては申し訳ない神聖なものと感じることなどとうの昔にやめて、ただ自分に必要な資源を何でも与えてくれる、都合のいい相手と見て甘えている、そんな種族である私たちの姿。かの少年の犯した行為は、今の人類が地球に対して取っている態度を、そっくり引き写したものに見えるのです。

 〝ここまで来た世界は、もう手遅れなんじゃないか──?〟瞬間、そんな思いがよぎりました。それは一つの絶望的な〝なれの果て〟を示していましたから。が、次にそうではない可能性にも気づきました。

大きな闇が姿を現した所には、反作用的に多量の光が流れ込んでいくはずです。それならば、この衝撃をバネに、私たちの意識の世界に、大きな修復作用が働いていくようにと祈らずにはいられません。

自分を育ててくれたものや、尽くしてくれた誰かに感謝する心の欠落は、私たちの誰もが抱えがちな闇の部分と言えます。私自身もこの報道の後、自分の中にあったそのほころびを思い知らされるような出来事に引き合わされました。やはり、自分とかけ離れて見える異様な人物の行動も、私たち一人一人と集合意識のプールを通してつながっているのです。今はただ、遅ればせであっても、気づいた所から修正を重ねてゆくしかないのでしょう。

最後に、あってはならないドラマを現実化する形で、私たちの意識に巣喰っていた闇を、拡大して演じてくれた二人の魂に、天空から可能な限りの癒しの光が送られることを願ってやみません。

 

フジテレビ参議院選挙速報はオカルト仕掛け?!

選挙のたびに“毎度おなじみ、変りばえナシ”な結果を見るのに慣れていた日本人には久しぶりの、
《自民党 歴史的大敗》という結末が実現しましたね。
衆議院と違って、これがただちに政権交代に結びつかないだけに、与党にとっては辛くも「イエローカード(警告)」「お灸を据えられた」といったところなのでしょうか。

とは言え民主党も“第二自民党”であるとか、今回の年金不備騒動のルーツを作った当事者であるとの批判もついて回り、結局はより上位の黒幕が、対立する二つの勢力をパワーゲームの駒のように動かして、庶民の不安を紛らしているだけなのかもしれない、と感じたりもします。

まあ、たとえそうであったとしても、少なくとも今、日本人の集合意識は「現状にNOを言いたい」という思いがこれまでになく強くあって、天秤の針を反対にすることでバランスを取りたくて仕方がなかったということでしょう。
何しろ日本人は民族全体の性(さが)として、常に偏ったら引き戻す、本能的な「バランス取り癖(へき)」が強力ですからね。
この点、『ダイエットやめたらヤセちゃった』第3章「ダイエット幻想にトドメ!」にも、「ボケとツッコミ」の話と絡めて書いてあるので、お持ちの方は読み返してみてね!

バランスと言えば、今回の各局一斉の開票速報特番の中で、気になる事があったんですよ。
それは、かの東国原宮崎県知事や石原良純をフィーチャーしたフジテレビの特番。
なぜかメインになるスタジオの空間いっぱいに、CG合成したとおぼしきの透明色をした正八面体がふわふわ浮遊し、アトランダムな回転運動を続けていたのですね。
これは一見してそのようにデザインする必然性のない、妙な趣向です。そういう場合、隠された裏の意図があるはずなのです。

正八面体というのは、同じ大きさの2つのピラミッド型(=正四角錐)の底面をピッタリ貼り合わせた形で、実はエジプトのピラミッドも、地下構造は地上のピラミッドの鏡像のように、同じ大きさの逆さピラミッドになっているそうで、土を取り払って見れば正八面体ということになるわけです。

ということで、ひと頃「ピラミッド・パワーで願望実現」などというグッズ・ブームがありましたけど、この正八面体という形には、それ以上にオカルティックなパワーが感じられます。

余談ですが、プレアデス、シリウス系の各種チャネリングでも、この形は「人の意識を高次元に通じさせる」とか「エネルギーのバランスを取る」ものとして、最近(去年)になってにわかにスポットライトを当てられていたのです。

そう、「バランス」です。それが、不満を溜め込んだ人心をなだめるという“上から目線”なのか、世の中の偏りを調和的に変えたいという“下から目線”なのか、いずれかは定かではありませんが、どうやらフジTVの番組制作スタッフに、オカルティックなインスピレーションが働いていたのは間違いないのではないかと私は見ています。

新潟地震再び──この文明の賞味期限が迫っている

昨7月16日午前10時13分に起こった震度6強の新潟中越沖地震──思わず“何で新潟ばかり…!”と記憶にまだ新しい2004年10月23日の新潟中越地震を思い出し、この地区の人々への同情を禁じ得なかった方は数多いことと思います。

関東在住の私もまた、“申し訳ない──”という気持ちに駆られていました。なぜなら、その地震エネルギーの解放が、その地より遙かに人口が密集し、高層ビルが林立する、東海~関東の太平洋岸で起こってもおかしくない状況にあったからです。
この7月中旬に関しては、地震予知・分析方面からも、シャーマン方面からも、あちこちで危険シグナルが発信されていました。
そんなタイミングで日本列島を直撃した台風は、予測された進路が、太平洋ベルト地帯をねちねち舐めていくかのような、近年まれに見るタダならぬ本州縦走コースとなっていました。
なんでも、電磁波の関係で、台風というものは地震のエネルギーを孕(はら)む地区をなぞるように進むものらしい、ならば台風一過のあと、それが解放される可能性は大いに考えられることでした。
しかし、結果的に台風はそのコースを辿りませんでしたよね?
道半ばで見事に折れ曲がり、この数年、毎度そうだったように、またも太平洋沖へと大きく抜けていきました。

それもそのはずと言えましょう、この台風が日本の中枢部を直撃せず去ってくれるように、有名・無名の多くの霊力の強い方々が祈っていたことでしょうから。“まだこの日本を潰させはしない!”と願う人々の祈りの力はあっぱれなものです。
ところが、東海~関東が救われた代わりに、エネルギーのシワ寄せが新潟へこぼれた──ように感じられたものですから、私は新潟の人たちに“申し訳ない”と思わずにいられなかったのです。まるで日本列島の安全を辛くも維持していくために、前線で踏ん張る役割を引き受けて下さっているかのようで、頭が下がります。犠牲になった方々のご冥福と、被災された方々の安全を祈るばかりです。

昨2006年11月18日付の当ブログ記事「日本の中学生が大地の怒りを鎮めているよ」の中で、“日本の周囲に結界でも張られているんじゃないか?”という話を書きました。
その時は、M8超の巨大地震が千島列島沖でばかり起こって国内に殆ど被害が及びませんでしたよね?
今回のように、尊い犠牲を出しつつも、なぜこうも中枢部が守られてしまうのか? 私たちはその意味を深く受け止めて考えなければならないのだと思うのです。

コトは何も地震・台風だけに限らず、私たちの社会は今、自然環境、経済・金融システム、食糧供給、国際紛争などなど、ちょっと裏側をのぞいてみれば、いつ壊れてもおかしくない事態にじわじわと追い込まれています。きっと現在のような、無茶・不自然の横行でシワ寄せだらけの文明の“賞味期限”が迫っているのでしょう。
必要以上の資源を食い尽くしてなお飽き足らない方向に突進中の世界のあり方に、一人一人が自覚的にストップをかけること──それが、今の私たちに求められていることであるのは疑いようがありません。
それも、大がかりな破局が起きてからそうせざるを得なくなるのでなく、とりあえず平和で豊かな今の社会状況が保たれているうちに、できるだけ多くの人が、自分から気づいて生き方の方向転換ができるようにという天の計らいが、おそらくは必要あってかけられているのではないでしょうか?

私が『ダイエットやめたらヤセちゃった』を出版したのも、その思いがあってのことでした。

「食べ物は自分を太らせるニクい敵」と思いこまされての、拒食や過食嘔吐。
それは、毒含みの不自然な加工食品を大量生産して「もっと、どんどん消費してくれ」とお尻を叩く経済システムとセットになっている、グロテスクなものです。
その幻影から抜け出して、自分にとって必要な食物を、ありがたい気持ちでいただく──そんな態度を取り戻す「食べ物との仲直り」を、食糧が何不自由なく満たされている今のうちに、私たちは済ませておく必要があるのだと思うのです。

福島母殺害事件が意味するもの

このタイトルは、ちょっと旧聞に属する、オールド・ニューズとなってしまいましたが、今年の5月15日に会津若松市で起こったあの、高校生の息子が母親の首を手にかけた世にも異様な事件のことです。

猟奇的犯罪のニュースも慣れっこになってしまったような昨今にあっても、この事件にだけは他と違った“特異性”を感じました。そこで、この事件が訴えかけてきたものについて、事件直後に一気に書き上げた拙文が、ようやく今月9日発売の月刊「anemone」8月号掲載記事として上がってきました…!
ご興味ある方は、ぜひご覧下さいませ。「母の体を切り刻んだのは誰?」のタイトルで出ています。
オトメの祈りならぬナツメの祈りがこもっております…(θ_θ;)ゞ
 

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