「スカイライン伝説」
1964年5月。三重県鈴鹿サーキットで、日本の自動車レースの最高峰、第2回日本グランプリが開催された。
櫻井眞一郎率いるプリンスチームは、自慢のスカイライン2000GTと、日本No.1ドライバー・生沢徹のコンビでGTクラスにエントリー。下馬評では、圧倒的な優勝候補にあげられていた。しかしレース直前になって、式場壮吉が「ポルシェ904」での参戦を表明したことにより、事態は一変する。
ポルシェの技術力の結集とも言うべきポルシェ904は、レースのためだけに生まれた生粋のサラブレッド。その圧倒的な戦闘力は他の日本車を一切寄せ付けず、レースの興味は、「式場のポルシェ904がどんな走りを見せてくれるのか」という事だけに絞られた。
しかしレース中盤の7周目、奇跡が起こる。鈴鹿の最終コーナーを、生沢のスカイラインが式場のポルシェを押さえ、トップで立ち上がってきたのだ。メインスタンドに座っていた10万人の観客は一瞬我が目を疑い、そして総立ちになって歓喜の声を爆発させた――
これが、世に言う「スカイライン伝説」である。これ以降、日本車は本気で欧米の車に挑戦する気になり、その後の日本自動車産業の興隆へとつながったと言われている。
ところで、1964年といえば、ちょうどAVANTIが出来て1年が経った頃。石津謙介氏や故・浜口庫之助氏といった生粋の遊び人たちが、この店を溜まり場にして毎晩のようにバカ騒ぎを繰り広げていた頃である。そのAVANTI初期の常連客の中には、その「伝説」の主人公たちもいたのだった。今日は、久しぶりにAVANTIを訪れた彼らの話に、聞き耳を立ててみよう。
生沢徹さん(元レーサー)の
「スカイライン神話」の話
六本木のガキがポルシェを乗りまわすような今からは、想像も出来ないほど日本が貧しかった頃。ヨーロッパの車なんて現物を見る事さえほとんどなく、たまたま街角に止まっているのを見掛けただけで、息が止まるほど興奮してものだった。日本の車は、と言えばまだまだ発展途上で、「箱根を越えられるか」なんてテストをしていた時代だった。
そんな時代に行われた日本グランプリ。そのヨチヨチ歩きの日本車のレースに、ド金持ちの式場壮吉が買ってきた、レース仕様のポルシェが出てきてしまった。たとえて言うなら、F1のフェラーリとミニカがレースをするようなもの。本来、どう考えてもレースになるわけがない。ところがある周回、僕の運転する日本車が、式場のポルシェを押さえて鈴鹿の最終コーナーを降りてきた。夢のような光景に、スタンドの10万人が総立ち。それが今でも語り継がれるスカイライン神話なんだけど…
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racing spirit history(HONDA HP内・生沢さんのプロフィール)
The60sJapanGP
(60年代のレースの話題・『今蘇る!不死鳥伝説「生沢徹」』など)
第2回 日本GP in 鈴鹿
生沢徹さん(元レーサー)の
「スカイライン伝説の真実」の話
僕と式場は友達だったので、レース前に「頼む!1周だけでいいからトップ走らせてくれ!」と冗談で言っていた。でも実際にレースが始まってみると、そんな事を冗談でも言えないほど車の性能が違いすぎた。とにかくがむしゃらについて行こうとしたけど、あっという間に僕の車は、式場のポルシェのバックミラーにチラッとでも映るだろうか、というところまで離されてしまった。
ところが式場はあまりに速すぎて、3周も走ると周回後れの車に引っ掛かり始めた。しかも、今から考えれば長閑な時代だったもので、女性のドライバーが、危なっかしい運転でヘアピンあたりをウロウロしていた。高価なポルシェを駆る式場としては、絶対に車をぶつけたくない。だからそのオバサンを抜こうとしながらも、やや躊躇してペースダウンした。その隙に追い付いた僕は、チャンスはここしかないと思い、一気に式場とオバサンを抜いていった。実は、ぶつけても全然構わない車に乗っていたせいもあるんだけど。
そこからはもう死にもの狂い。必死に走って、なんとか式場の前でメインスタンド前まで帰ってこれた。たぶん式場は、レース前の冗談を憶えていて、その1周だけは我慢してくれたんだと思う。なぜならその後すぐ抜き返されて、レースは式場の楽勝だったから。
櫻井眞一郎さん(エス・アンド・エス エンジニアリング)の
「スカイライン2000GT」の話
第1回の日本グランプリの時は、私は仲間と見学に行き、鈴鹿のヘアピンの所にムシロを引いて、各周回でトップの車を当てる賭けをしていた。えらく儲かったので、「来年はレシオを上げようか」なんて言いながら浮かれて帰ってきたら、社長の中川さんに呼び出されて、「来年は飛行機屋のメンツに掛けて勝ちに行くから、よろしく頼む」と言われてしまった。中川さんは零戦の「ほまれ」というエンジンを作った事で有名なエンジニア。そこでエンジンは中川さんが、車体は私が担当して、日本グランプリで勝てる車を作る事になった。
1600ccクラスはスカイライン。エンジンをチューンして足回りも強化して、テストにテストを重ねて、このクラスでは絶対に負けない車に仕上がった。次の2000ccクラスはグロリア。これも練習走行で他を寄せ付けない数字が出せるようになった。社命としてはここまでで良かったのだが、こうなると欲が出てきて、最高クラスの「GT(グランド・ツーリング)」に挑戦したくなった。それで作ったのが、スカイラインの車体にグロリアのエンジンを載せた、奇妙な車だった。
フロントピラーの前でスカイラインのボディを切って、車の前を200mm伸ばし、グロリアのエンジンを無理矢理積んだこの車。確かにパワーウエイトレシオは凄かったのだが、ボディ剛性が酷くて、ハンドルを切ってから曲がり始めるまでワンテンポ遅れるような車だった。しかし、この車に補強に補強を重ねて、最後には絶対に負けないと自信を持つまでに至った。
そして迎えた日本グランプリのオフィシャル・プラクティス。もう勝った気で他の車を眺めていたら、変な車が一台走っている事に気がついた。その車はまるでエイのように地面にへばりついて、信じられないようなスピードで走っている。それが式場君の輸入してきたポルシェ904だった。ポルシェがエイなら、こっちはまるでダックスフント。その格好悪さと言ったら酷いものだった。しかもプラクティスの最中に、クラッシュしたポルシェを見たら、車体がバリバリに破れていた。こっちの車がクラッシュすると、鉄でできているため「潰れる」のだが、向こうはFRPなので「破れる」という違いは衝撃的だった。
驚きはしたけど、結局はクラッシュでいなくなってしまったので、ホッと胸をなで下ろし、明けてレース当日。1600ccクラスと2000ccクラスを制して、いよいよGTという段になったのに、いつまでたってもレースが始まらない。事務局に問い合わせたら、「今、式場君の車を名古屋の工場から運んでいるところなので、もうちょっと待ってくれ」と言われた。しかも、修理したのも運んでいるのも、事務局だと言う。「そんなバカな事があるか!」と怒ったのだが、「櫻井さん、お客さんはみんなポルシェを見たがってるんだから、勘弁してくださいよ」と言われて、仕方なく引き下がった。
しかし、いざレースが始まってみると、やっぱりポルシェの速いこと速いこと。生沢君がいつものサーカスみたいな運転で一瞬だけ抜いてくれたけど、結局レースは負けてしまった。でもお客さんは、スカイラインに暖かい拍手を送ってくれたし、売れないと言われたスカイラインもあっという間に売り切れ。あの一瞬が、よほど印象的だったのだろう。
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エス・アンド・エス エンジニアリング
The history of SKYLINE
jn6iii home page(スカイラインの歴史、掲示板など)
Numachanのお部屋!(スカイラインの歴史、スカイライン博物館など)
式場壮吉さん(元レーサー)の
「ポルシェ904の事情」の話
プリンスは力の入れ方が違った。1500ccのスカイライン、2000ccのグロリア、そしてスカイラインとグロリアを合体させたスカイライン2000GT、すべての車に徹底的なチューンナップが施され、さらに、我々では絶対に手に入らない、ダンロップのレーシング・タイヤ「グリーン・スポット」を全車装備。それはポルシェ904に乗る僕から見ても、よだれモノ。だから、僕がポルシェで走っていたことに対して、徹が言いたいことがあったという気持ちは分かるけど、こっちはこっちで、いろいろ言っておきたいことがある。
僕はレース前日、雨の中のプラクティスでクラッシュしてしまい、ボディだけは何とか一晩で直すことができた。ところが時間がなくて、ボディ以外にいじれたのはブレーキの調整だけ。そしたら、加速しようとすると車が左に流れてしまうことに、鈴鹿へ向かう途中で気がついた。もちろん直す暇など無く、レース中もそのまんま。タイヤは公道用の普通のタイヤだし、こっちが1台に対して向こうは8台。そんなに簡単なレースじゃなかったということだけは言っておきたい。
もっとも、車の性能からすればポルシェの方が速いのは疑いようがなかったので、徹が「お願いだから1周だけ僕にくれない?」なんて延々と言い続けた気持ちは分からなくもない。でも、いざ走り始めてみると、こっちの調子も悪いので、とてもじゃないがそんな余裕はなかった。
そんなわけで、僕はレースで一生懸命走っていた。そしてある時、周回後れのトライアンフにつっかえた。このトライアンフ、インから抜こうとすればインに来るし、アウトから抜こうとするとアウトに寄ってくる。なんとなく波長が合わずに、僕は立ち往生してしまった。ちょうどその時、追い着いてきたのが徹だった。後ろに迫った徹に気づき、ヤバイな、と思ったその瞬間、僕は一気にインから抜かれてしまった。
それでも車の性能が違うので、徹に抜かれたヘアピンの次、スプーンでは完璧に抜き返せるタイミングがあった。しかし、徹の「お願い」を思い出したわけではないのだが、何の気なしに抜くのをやめて、そのまま徹の後ろを走り続けた。そして最終コーナーを立ち上がってグランドスタンド前。スタンドの人々が一斉に立ち上がるのが、運転席からも分かった。僕はあの時、徹に道を譲ったつもりだったんだけど、実は日本のモータースポーツ界、ひいては日本の自動車産業に道を空けていたのかも知れない。
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PORSCHE 904CARRERA GTS
放送曲目リスト
Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
8'44" |
砂に消えた涙 |
伊東ゆかり |
King Record |
KICX 2048 |
17'06" |
ヘイ・ポーラ |
九重祐美子・ダニー飯田とパラダイスキング |
東芝EMI |
TOCT-6906 |
35'24" |
ダンケシェーン |
弘田三枝子 |
東芝EMI |
TOCT-6902 |
46'06" |
あしたがあるさ |
坂本九 |
東芝EMI |
CT25-9042 |
|