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2007年10月27日

◎原発差し止め訴訟 観念的危機では話にならぬ

 将来起きるかもしれない巨大地震に備えて、原発の運転をやめるべきだという原告の主 張が退けられた。昨年三月、金沢地裁で原告側が勝訴した志賀原発2号機の差し止め訴訟(控訴審係争中)とは、まったく逆の判決である。想定以上の巨大地震が起きるという前提に立ち、危険だから今すぐ運転をやめよと主張するのはさすがに無理がある。志賀原発に対する訴訟と同様、観念的で、抽象的な危機をいくら言い立てても、国民の共感は得られないだろう。

 中部電力浜岡原発の運転差し止め訴訟の争点は、一八五四年に起きた安政東海地震(M 8・4)を、耐震評価の目安とすることの妥当性と、それに基づく浜岡原発の安全性の評価だった。中部電力が浜岡原発の耐震性について考える際、国の中央防災会議が想定している東海地震モデルを基準にするのは、ごくまっとうな発想だろう。過去にあった最大クラスの地震が再び起きても、それに耐えうる設計にするという考え方は、安全対策の基本であり、合理的な判断だと思うからである。

 これに対し、原告側は想定を上回る「超巨大地震」が起きたら危険だと言い出した。そ の論拠として、原発敷地内を走る四本の「H断層系」が震源になったら、M8・5以上の地震が起きると主張したのである。しかし、多くの専門家はH断層系を活断層と認めておらず、この指摘は説得力を欠いていた。静岡地裁も同様の見方を示し、「耐震安全性は確保されている」と結論付けた。この判決文に矛盾点があるとは思えない。

 先に金沢地裁が出した志賀原発2号機の運転差し止め判決は、今回とはまったく逆だっ た。予見が極めて困難な巨大地震を想定し、「危険だから止めよ」という原告の主張を認めた。国の耐震指針をクリアしている施設を危険と見なす判決には、強い違和感を覚える。

 原告側は判決後の会見で、悔しさをにじませながら「地震地帯の原発が無くなるまで頑 張る」と述べた。日本のどこででも地震が起きる可能性があるとすれば、五十五基の原発すべてを止めたいと念じているのかもしれないが、電力供給の三割以上を原発に頼る現実は重い。原発の耐震性向上に手抜きは許されない。

◎外相の対話重視発言 北へのシグナルは慎重に

 高村正彦外相は、ここにきて拉致問題に関し「解決」とは違うとしながらも、さらに被 害者数人の帰国が実現した場合、「進展」とみなし、段階的な制裁解除を検討するとの考えを表明した。福田政権は北朝鮮籍船舶の全面入港禁止などの措置を半年延長する一方で、「対話」を重視し、何らかの前進があれば、それを条件に人道支援の再開を検討するものとみられてきた。外相発言はそれと軌を一にするものだ。

 これもシグナルだろうが、日朝関係をめぐって、北朝鮮側に前向きな兆候があるとされ る。先の南北首脳会談で、盧武鉉大統領が、金正日総書記に「日朝和解」が大事だと水を向けると、金総書記は「福田政権は安倍政権と違うから、出方を見る」と発言したほか、これと関連して宋日昊朝日国交正常化交渉担当大使が福田康夫首相を「対話重視を明確にしている」などと評価しているといわれる。高村外相発言にしても日朝協議を進展させるための北朝鮮へのシグナルのように思われる。しかし、したたかな相手だから慎重にやってほしい。

 拉致被害者について、北朝鮮が日本側に伝えたのは「五人生存、八人死亡、二人未入国 」であり、生存とされた五人は帰国できたが、政府は十七人と認定している。ほかにもいるといわれる。新たに被害者が何人か帰れば、進展といえばいえる。そのような展開は悪くはないのだが、米朝接近により、米国が北朝鮮をテロ支援国家としたレッテルを取り去る方向へ向かっており、もしそうなれば、日本が孤立させられるとの懸念も政府にはあるようだ。

 そうした懸念を持たないのは能天気だが、心配しすぎるのもどうか。北朝鮮がすべての 核を放棄するかどうかは疑問だし、米国がその世界戦略の上でいろいろ役に立っている日本を見放すかもしれないとするのも今一つ根拠が弱いのである。日本を見放すことは米外交の大失敗となるから、まずあり得ないと考えるのが現実的ではないか。

 まして「福田政権の出方を見る」といったとされる金総書記は、その会談で同時に「拉 致日本人はもういない」ともいったというのだ。孤立を恐れて日朝協議を動かそうとするだけでは相手のペースにはまる。


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