【ソウル堀山明子】韓国青瓦台(大統領官邸)の千皓宣(チョンホソン)報道官は24日、73年の金大中(キムデジュン)氏拉致事件を韓国中央情報部(KCIA)の組織的犯行と断定した韓国国家情報院の真相調査委員会報告書について「社会的な議論が起きて、青瓦台が立場表明する問題があれば明らかにする」と述べ、日本政府への対応は韓国国内世論を見守りながら、慎重に検討する姿勢を明らかにした。金大中氏本人や市民団体から政治決着を図った日本政府に対する責任論が浮上しており、主権侵害に対する謝罪には慎重になっている。
千報道官は警察庁や国防省でも過去の事件の真相調査が進んでいることに触れ、「各機関がそれぞれの判断でやっていることで、発表内容にいちいち青瓦台が論評するのは望ましくない」と述べた。政府諮問機関の判断に対し、韓国政府が措置を講じる必要はないという二重基準といえる。
日韓の外交当局は、報告書発表時の対応について、(1)発表と同時に柳明桓(ユミョンファン)駐日大使が説明し日本政府は抗議(2)月内に本国訓令を受け、柳大使が高村正彦外相に対し公式謝罪--という「2段階方式」で主権侵害問題を実務的に処理するシナリオを模索していた。主権侵害の事実を認めれば国際法上、公式謝罪は不可避との共通認識が外交当局間にはあった。
ところが、民主化運動活動家らが加わる調査委には「日本政府も事件後の隠ぺいに加担した責任があり、韓国政府が謝罪する必要はない」(調査委メンバー)との認識が強い。報告書には日本政府への遺憾表明も盛り込まれたため、謝罪を促す圧力にはならなかった。
公式に謝罪するシナリオは発表前夜まで模索されたが、最終的には金前大統領が事件の幕引きを望んでいないことが確認され、青瓦台は謝罪に慎重になったとみられる。
金前大統領側が24日発表した論評は、日韓両政府の責任を指摘。金前大統領の救援運動をしてきた「拉致事件真相糾明のための市民の会」(代表・韓勝憲(ハンスンホン)弁護士)は「真相を隠ぺいした日本政府は、被害者と韓国国民に謝罪すべきだ」と訴える声明を出しており、韓国世論が日本政府への謝罪論に向かう雰囲気は醸成されていない。
◇「形式謝罪」で決着も
金大中氏拉致事件で当時の韓国中央情報部(KCIA)による組織的関与が明確になったことを受け、日本政府は改めて韓国政府に対し、主権侵害への謝罪などを求める方針だ。しかし、日韓両政府は70年代に水面下で2度の政治決着を図ってきたこともあり、表向きの原則論だけでは割り切れない面も残る。日本政府は韓国側の公式謝罪によって法的問題もクリアしたい意向だが、停滞する日韓関係が一層ギクシャクする可能性もあり、形式的な謝罪で穏便に済ませるという「第3の政治決着」(日韓交渉筋)が図られそうだ。
「当時の日韓関係は不安定だった。できるだけ平穏な内に置きたいとの意識が政府にあっても不思議ではない」。町村信孝官房長官は24日の記者会見で、当時の日韓関係をこう振り返った。同時に「なぜここで調べ、こういう形で発表したのか。(韓国)政府の意図が分からない」とも述べ、不快感も示した。
報告書について外務省幹部は「国際法上の国家の主権侵害は明白。韓国政府への謝罪要求や関係者の処分、賠償請求などが想定されるが、慎重に見極めたい」と述べ、強硬な姿勢は見せていない。11月20、21日にシンガポールで開催される東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)や東アジアサミットの際に、福田康夫首相と盧武鉉(ノムヒョン)大統領による初の首脳会談が予定されていることも、その背景にある。【中澤雄大】
毎日新聞 2007年10月25日 東京朝刊