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社説:集団自決記述 「軍強制」復活ですむ話ではない

 どうしたことか。沖縄戦の住民集団自決について「軍の強制」記述を教科書検定で排した文部科学省が、にわかに記述復活も含め修正へ方針転換した。週末、沖縄県で立場や党派を超えて開かれた抗議の大集会に怒りと不信を思い知らされ、慌てて事態収拾に動いているように映る。

 だが、記述復活や修正で事は解決なのか。そんな取り繕いでは沖縄の怒りを真に理解できず、状況次第でころりと変わるような教科書検定制度への不信も募らせることになる。文科省は自らの言葉で、今回の転換と経緯について誠実に説明しなければならない。

 来春から使われる高校日本史教科書の検定で、沖縄戦の集団自決について従来は認めていた「軍の強制もあった」という趣旨の記述が改められた。公表は3月末。沖縄県民の驚きと怒りは強く、県議会のほか全市町村議会も検定意見撤回を求める意見書を可決した。

 この重みを政府・文科省は感得できなかったようだ。裁判や研究で軍命の存在に否定の証言や説もあることを検定意見の理由に挙げ、文科相が修正に動くことにも「検定への介入は好ましくない」という姿勢を通してきた。

 沖縄戦は国内で唯一、住民を無差別に巻き込んだ地上戦で、日米双方の死者約20万人のうち半数以上が沖縄県民とされる。惨劇が各地で起きた。日本軍は軍属以外の人々は足手まといと扱いがちで、壕(ごう)から弾雨の中に追い出したり、食糧を奪うこともした。スパイ視した住民や米軍収容所の住民を襲撃して殺害した例もある。

 個々の兵士は別にしても軍は住民の安全や保護は念頭になく、敵に保護された住民から日本軍の布陣情報が漏れることを恐れた。生き残った住民から詳細な聞き取りをし収録した「沖縄県史」(県発行)では、例えば、当時16歳の座間味村の女性が「明日は上陸だから民間人を生かしておくわけにはいかない。いざとなったらこれで死になさい」と兵士から手投げ弾を渡されたと証言している。

 死以外に選択の余地のない状況に追いやったり、自決を促すこと自体が軍・民の力関係からいって「強制」といわざるをえない。

 戦後沖縄には「島ぐるみ闘争」の歴史がある。米統治下で住民は基地拡大に抗し、祖国復帰運動を起こした。95年には米兵の少女暴行事件の捜査制約に怒りが広がり、8万5000人の大集会を開催。政府を動かし、日米地位協定の見直しや基地縮小論議へ発展した。

 そして今回、沖縄の島々から11万人(主催者発表)が集会に参加した。その怒りは、「本土の捨て石」とされた沖縄戦の凄絶(せいぜつ)な辛苦と重い教訓に対し「本土」はいかほどの理解や思いがあるのか、という不信と失意から発している。

 今回の「検定やり直し」を単に形式的な処理に終わらせてはならない。沖縄戦および戦後の沖縄は近現代史の集約であり、多様で奥行きのある「教材」だ。そうした視点で学校教育などでどう次代に「沖縄に学ぶ」を継いでゆくか。それを考える機会ともしたい。

毎日新聞 2007年10月3日 東京朝刊

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