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韓中日の子孫、410年ぶりの和解

  「先祖は敵として戦ったが、子孫は平和に付き合いたい」。1597年陰暦9月16日、李舜臣(イ・スンシン)将軍が13隻の船で133隻の倭軍を退けた全羅南道(チョンラナムド)の海南(ヘナム)と珍島(チンド)の間にある鳴梁(ミョンリャン)海峽で、26日、韓中日3カ国の壬辰倭乱(文禄の役)子孫らが会った。

  海南郡が26-28日、李舜臣将軍の業績を称えるために準備した「第410周年鳴梁大捷」に当時の主役らの子孫を招待した。 壬辰倭乱(文禄の役)当時、銃刀を向け合った韓国・中国・日本の子孫がここで410年ぶりに和解の手を取り合った。

  中国側からの客がこの日午後3時ごろ、海南に到着した。 壬辰倭乱当時、明水軍の陳リンの出生地である広東省翁源県から朱余旺県長(42)を含む8人だ。 鳴梁海戦で倭船を率いた来島道総の故郷である愛媛県からは来島保存顕彰会の村瀬牧男事務局長(60)と子孫7人がこの日午後遅く到着した。

  海南郡は今回、李舜臣将軍の肖像画と当時死亡した陳リン、来島の位牌などを収めた追慕館を新しく建てた。 中国と日本の訪問客はそれぞれ別々に追慕館に参拝した。 海南郡側は双方が自然にしこりを解消することを希望すると述べた。

  子孫らは27日午前、鳴梁大捷記念式場で並んで立つ。 住民らが船で鳴梁海戦を再現行事も参観する。 同日午後には追慕館の前で慰霊祭が行われる。 来島保存顕彰会の村瀬事務局長は「意味深い行事に招待されて感謝している」とし「3国の子孫が友情を固めるきっかけになればよい」と海南郡に伝えた。

海南=千昌煥(チョン・チャンファン)記者 <chuncw@joongang.co.kr>


2007.10.26 18:34:45

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