投稿日:2007-10-24 Wed
本当に突然で申し訳ありません。僕はこのブログをもう止めようと思います。
理由は、もう正直、このブログの運営に疲れたからです。自分の文章力にも限界を感じ、もうこれ以上優れた記事は書けないと、僕は悟りました。また、皮肉や悪口を残す人も実際に居ますし、僕はこのブログを運営することにより、大きなプレッシャー、重圧のようなものを受けています。それは、今後の病気の治療の妨げにもなりかねません。
タイミングは、確かにおかしいと僕も思います。しかし、最近の記事の内容が芳しくないことには、自分でもそれなりの責任を感じてきました。
これ以上、このブログを見てくれている皆さんに心配をかけたくないのです。
寂しいという気持は確かにあります。1年以上続けてきた、僕の大切なものでしたから。PCをつければ当たり前のようにブログを見続けてきましたが、その当たり前のものがもうなくなるのです。これまでここに刻んできた僕自身の道程を、一瞬にして消し去るという行為は、とても残念でなりません。
苦渋の決断でした。しかし、僕がこのブログに依存してはいけないという気持が、その寂しさに勝っていたというのも事実です。
今まで応援してくださってきた皆さんには、本当に申し訳ない気持でいっぱいです。「ネガ卒業」という目標を達成することもできませんでした。
でも、これはこれで良いのかなと、ふと思います。僕はこのブログがなくても、これから生きてゆける自信が持てたからです。
その自信を持てたこと、このブログからの依存から逃れることができたならば、それはある種の現段階での「ネガ卒業」ではないでしょうか。
物語には必ず終わりというものが来ます。最後にカッコいい言葉なんて僕には書けません。淡白とした、平凡な終幕になりますが、僕はこれで満足しています。
幸せの定義なんて僕には分かりません。でも、いつか、必ず、僕は幸せを感じる時を迎える、いや、掴み取ってみせます。このブログがなくても、それは出来ると信じています。
10月29日、僕の16回目の誕生日という節目の日に、このブログを閉鎖しようと思います。
今まで本当に、本当にありがとうございました。
投稿日:2007-10-20 Sat
ううう。最近本当に体の具合も悪い。
頭痛はするわ、喉も風邪をひいたように痛い。便通のリズムも滅茶苦茶。しかも頻尿気味。今もお腹がしくしく痛い。僕は心身ともにホントにおかしいんじゃないか?
昨晩も酷いものだった。恐ろしい鬱状態だった僕は、気が狂ったのか、自分の喉を爪でグリグリとえぐっていたのだ。多分最近見たアニメの影響があったのだろう。喉のところにある左側の頚動脈のところを重点的に、グリグリと。時に剃刀も使って傷つけていた。大切な血管でも破いて死のうとでも考えていたんだろう。ホントに痛くなってきて、僕は途中でその行為を終えたけれど、今も少しアザが残っている。一応応急処置はしたが、触るとまだ痛みがある。まぁ大したことはないんだけど。
今日そんなこんなで、病院に行った。今の僕の状況を説明すると、医師からこんな提案が出た。
「入院という手もあります」
僕に自殺願望があることを知ると、さすがに担当医もそれなりの対応を迫られた。自殺願望があるということは、生きるか死ぬかの、大変重大な問題である。勉強がどうだの、ギターがどうだの等の問題とは比較にならない。
僕は入院という一つの手段に、今まで抵抗し続けてきたのだが、さすがに今回ばかりは、その手もあるかな。と僕もすこし柔軟な姿勢で考えている。
一日だけで決められるようなことではないので、また2、3週間考えて結論を決めて欲しいとのことだ。また、抗鬱剤、睡眠導入剤もまた今回新たに追加されたので、その効果も期待したいところである。(でもこれで一日に飲む薬の量は決められた数だけでも、16錠になる。ちょっとこの数は多いんじゃないかな?)
入院か・・・そんな選択を迫られる状況にまでに、僕は来てしまったのか。
投稿日:2007-10-17 Wed
もう10月の中旬。一向に改善の見られない僕に対し、両親もさすがに焦りを隠せないようだ。
来年も現在のような状態に僕をしておくわけにはいけないので、強制的にでも来年はどこかの学校に僕を入学させるらしい。最悪の場合、北海道にまでぶっ飛ばされる可能性も出てきた。
これは親としての責務としては当たり前のことだが、僕の気持としては、正直、来年もこうやって休ませてほしい。学校には行きたくない。大体、今の精神状態で学校に行ってもうまくいくわけないじゃないか。これ以上のストレスを与えて、僕をどうしようというのだ。僕は自分の体を心配している。
しかしそんな僕の心配をよそに、両親は着々と来年の入試へ向け準備に取り掛かっている。
昨日と今日、家庭教師のアドバイザーのような方が家に来た。そこで何を話したかは正直あまり覚えていないのだが、何かしらの契約を結んでいたので、家庭教師が来ることが決まってしまったようだ。
ううう・・・親が焦るのも分かる。分かるが・・・あまりに強引なこの展開に、僕は憤りのようなものを感じてしまう。
もういやだよ。僕は疲れているんだ。正直このブログの更新も最近憂鬱に感じてしまうときもある。
毎日薬を十数錠も飲み、その副作用とも闘い、周囲、そして自分自身とも闘っている。今が確かに正念場なんだろうな。でも正直かなり苦しいよ。正念場とかそういう言葉はあまり使いたくない。今をどう乗り切るとかどう頑張ればいいとかそんなことにはもう飽き飽きしている。
この現実から逃れることができないのであれば、僕は何かしらの手段にでるかもしれない・・・
投稿日:2007-10-15 Mon
僕は前回の「チャレンジ」の2週間によって、学んだこと、悟ったことは確かにあった。2週間という短い期間でそれらを得られた事は、僕個人としては賞賛に値するものだったのではないかと思う。
だが、それら今回僕が獲得したものはあくまで精神論。ものの捕らえ方は様々だろうが、あくまで精神論のようなものなのだ。だから、脳内物質の欠如という重大、深刻、そして現実的、医学的なものに対しては、今回勝ち得たものはもろくも崩れた。
つまり、今、僕の状態は芳しくないということである。
この4、5日は本当に鬱状態が本当に酷い。せっかく勝ち得た生活のリズムもすっかり元に戻ってしまい、崩壊。家事はまってく手に付けれていない。夜は地獄のように苦しい。この苦しみは少なくとも僕の乏しい文章力では表現できない。あまりにも苦しいので、過去に処方してもらって残してある薬を一気に10錠近く(医者の許可なしで)飲んだという日もあった。酒を飲み、狂って大型のスコップを庭で振り回し続けたときもあった。もう意味が分からない。
親とのもつれもあった。僕のせいで、親もかなり苦労している。この前、言い争い(俗に言う親子喧嘩だろうな)では親子ともに馬鹿みたいに泣きじゃくるひと時もあった。
とにかく、今の状態が酷いので、今日ここに記そうと思った。
ただただ涙が枯れるまでなき続ける日々。僕はもう正直かなり疲れている。
投稿日:2007-10-09 Tue
「答えは必ず自分の中にある」
これは大内先生が地元紙の自らのコラムで、僕のことについて語ってくれた文章のタイトルだ。
コラムの内容は残念ながら著作権等の問題で、ここに載せることはできないが、僕のこれまでの生き様を詳細に記し、なおかつそれを音楽、先生と僕とのふれあいなどと照らし合せてある、実に感動的な文章になっている。(僕はこれを誇りに思っており、自室の壁にそのコラムを飾ってある。)本当に毎回大内先生には頭が下がりっぱなしだ。
「チャレンジ」と題したこの2週間、僕はとても永く感じた。このブログに記すことはあまりなかったが、自我との葛藤など、本当に様々なことがあった。本当に苦しい思いをすることもあったが、今振り返れば、僕なりになかなか健闘できたと考えている。
睡眠のリズムも、以前に比べれば改善されつつあるし、運動のジョギングも続けている。勉強・進路の話も少しずつ親と検討するようになった。
また、苦しい中で悟ったこともある。冒頭に述べた、「答えは必ず自分の中にある」ということだ。
他人からのアドバイスや教訓を受けることはもちろん大切なことだ。だが最終的には、自分のとる行動の結果は、結局自分自身に振り返ってくるもの。それに、人というものは他人を完全に理解するということは不可能だ。他人の生育暦、価値観等をどれだけ分かったつもりでも、それはその人自身の解釈。本当のところは、やはり自分自身でしか分からない。(それが家族や親であってもだ。)
他人に分かってもらえないと嘆いて、全てを人のせいにするというのはナンセンスなこと。
だから、結局答えというものは自分自身で模索してゆくのが今の僕には一番適切だと思った。自己啓発書のようなものはあくまでも参考にしておくというのがいい。
しかし人間というものは一人では生きてはいけない。でも、人はお互いを完全に理解しあうということもできない。若干矛盾してて、難しいんだな。人生ってのは。
でも、人とのふれあいってのは素晴らしいものだよね。
僕の文章はめちゃくちゃで、筋が通ってない分けわかんないものだな(笑)
でもこれでいいんだよ。前回も言ったけど、大切なのはマイペース。
投稿日:2007-09-29 Sat
「チャレンジの2週間」と題した25日から27日までの2日間、僕は無理をしすぎたようだ。
朝の4時に起きたり、一睡もしないで早朝に過酷なランニングを行うなどと、僕は無理矢理、元気でポジティブな自分を演じてきた。でも、そんな状態が長く続くわけがなかった。27日の夜、ついにがたが来た。
約2日間躁状態だった僕の状態は、一気に奈落の底へ突き落とされた。
27日の夜、何があったかは思い出したくない。本当はここに記すべき重大な出来事だったのだが、そんなことはできない。もう思い出したくない。忘れたいんだ。
28日は、激しい頭痛に襲われた。2時間ほど経っても一向に治る気配がないので、親にわざわざ鎮痛剤を買ってきてもらい、僕は事なきを得た。
いろいろ大変だったんだ。本当に。でももしかしたら、これは体からの警鐘だったのかもしれない。
あんまり無理をして自分を変えようとする必要はないと・・・
ある鬱の書物にも、「人生はマラソンだと心得る」なんてことが書いてあった。
マラソンで大切なのは、自分のペースを守ること。自分には自分にあったペースというものがあり、それを見失うと完走がおぼつかなくなる。つまり、乱れたペースで走り続ければ、その先に良いことなんて待っているわけがない。
そうだ。僕は自分の給水ポイントを無視して、羽目をはずし過ぎた。大切なのはマイペース。肝心なことを忘れて、路傍に迷っていたんだ。
確かに今の状態は芳しくない。だけど何も、焦って、無理をしてまで、状況の打開を図る必要は、今の自分には無いと思う。何に挑戦するにしても、焦らず、ゆっくり行うことが大事だと、この数日で学んだ。
投稿日:2007-09-27 Thu
昨日、大内先生のレッスンで、初めて自分のギターの演奏を録音するという作業を行った。
曲はもちろんニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」。僕にしてはそこそこ練習していた曲だったし、難易度も高い曲でもない。だからある程度は自信はあった。自分の音を聴くまでは。
自分のギターの音と本物の音を同時に再生し、聴き比べたとき、僕はショックを隠しきれなかった。あまりにも、音の違いが明白としていたからだ。
基本リフは3コードなので、確かに物凄く目立ったミスはしていなかった。だが、音のキレや正確性などの細かく些細なミスの多い僕の演奏は、本物のニルヴァーナの演奏とは、まるで「月とスッポン」。はっきり言ってお話にならないものだった。
そこで分かったのは、ニルヴァーナはとても緻密な演奏をしているということだ。
ニルヴァーナのジャンルはグランジ。グランジのイメージといえば、荒々しく、ノリで演奏するもの。だとその時まで思っていた。でも実際は違う。本当の荒々しさというのは、Voの印象であったり、ステージでのパフォーマンスやアクションであって、決して演奏が下手糞というわけではないのだ。(こういったことは、実際にギターをやってみないとわからないものだろう。現に僕もそうだった。)
これまで自分と本物の音との比較もしないで「Smells Like Teen Spirit」を演奏しきっていたと思っていた自分が情けなくなった。プロの本当の実力というものを、ここで初めて痛感した。
しかし、こういった体験をすることは良いことだと先生は言ってくれた。現に自分の10代のころの映像を見ると恥ずかしくなってしまうらしい(笑)実際にプロと自分の演奏の違いを痛感することは当たり前のことで、誰もが経験すること。極論で言えば、そういった経験をしなければ、ギターは巧くなれないということだ。
音楽は、そう簡単に習得できるものではない。甘くはない。そう感じずにはいられないレッスンだった。そして同時に、音楽は本当に奥が深く、面白いものだということも学んだ。
投稿日:2007-09-26 Wed
J.D.Salingerから「メタル入門に最適な曲をぜひ教えて」との要望があったので特集をしまーす。
題して、「今の若者にウケが良さそうなメタル入門曲特集」です。はい。
でもね、これ意外に難しい課題なんですよ。何って言ってもね、「メタル」って一言で言ってもいろんなジャンルがあるの。んで各ジャンルにおいてまったく音楽性が異なるわけ。だからリスナーがどんな音楽を求めているか分からない限り、「この曲を聴けー!」って堂々と言えないんだよね。
なので今回は、今までの僕の経験や、今のメタル市場等を調べ、これはまぁウケが良いだろうと思ったものを適当にセレクトさせていただきました〜。
ってセレクトしたら、なんじゃこりゃ。メロディアス、クサメロ、様式美ばっかじゃねーか(笑)大体普通のヘヴィ・メタルが一つも入っていないのはおかしいだろ。熱血メタラーがこれ見たら、「何でIRON MAIDENやJUDAS PRIEST等の超大御所が入ってねぇーんだ!」と激怒されそうな曲ばっかになりました(笑)いやちゃんとMETALLICAは一応入れてますよ。あくまでも今の若者にウケが良さそうなセレクトなんで。そこんとこは勘弁してください〜(笑)ホントはまだまだ入れたい曲は山ほどあるんだけどねぇ。
METALLICA「Battery」(スラッシュ・メタル)
メタル界屈指のモンスターバンドの代表曲であり、言わずと知れたスラッシュメタル界のアンセム。これライヴだからCDより速えー。いやはや、最高です。お腹いっぱいです。
SONATA ARCTICA「Wolf & Raven」(メロディック・スピード・メタル)
この辺から熱血メタラーに怒られそうだな(笑)メロスピ界の代表格SONATA ARCTICA。北欧の香りプンプンです。たまりませんね。 もぷぺらぽこぺぱんのお気に入り。
ANGRA「Nova Era」(メロディック・スピード・メタル)
来ました。このバンドでメタルにハマったという友達が2人もいます(2人かよ:笑)これブラジルのバンドなんですよ。クラシカルなスピードスタイルメタルでラプソディなどのフォロワーを次々に生み出していった偉大なバンドなのです。Tomのお気に入り。
DRAGONFORCE「Through The Fire and Flames」(メロディック・スピード・メタル)
現代メタル・シーン随一のスピードスター!演奏ぶっ飛んでるよなぁ。だからライヴで(笑)ハーマンとサムの超絶ツインギターがうなります!
CHILDREN OF BODOM「Trashed Lost and Strungout」(メロディック・デスメタル)
ラストは来ました!CHILDREN OF BODOM!僕の勝手なワガママで入れました(笑)でもね、ジャンルにデスメタルって付いてるからって毛嫌いしちゃいけませんよ。ホントにカッコいいんだから。聴けばわかる。
5曲も紹介しちゃって、すんげぇページを余分に使った気がする(笑)
どうでしたか?気に入った曲はありましたでしょーか?もしなかったとしてもね、最初に言ったようにこれ僕が適当にセレクトしたものだから、これがメタルの全てではないですよ。でもまぁとりあえず、「メタル=うるさいだけの音楽。下手糞がやるもの。」とかいう間違った世間のイメージは払拭できたんじゃないでしょうか。誰がなんと言おうとメタルは本当に素晴らしい音楽なのだー!!
P.S.今回の特集で僕がやたらテンション高かったのは、今の僕の状態が比較的良好なのと、メタルに関する記事が書けたからです。僕の意味不明な文章を読んで不快な思いをしたという方がおられれば、本当に申し訳ないです。もし、楽しんでいただけたのなら、なによりですが。
投稿日:2007-09-25 Tue
今日病院で、主治医と今後の治療方針等の話をしてきた。
正直、もう今ようなの薬物療法のみの治療では、病気もなかなか治らないし、このままではいけないと自分でも思っていた。先生も以前このような趣旨の発言もしていた。
「我々に出来ることは意外に少ないんですよ。こうやって薬を処方したり話を聞いてあげることぐらいで。肝心なのは、いかに竹田さんが自分で病気を治そうと考えているか。その意志なんですよ。」
今まで僕にその意志は、果たしてどのくらいあっただろうか。何をすべきかは大体分かっている。でも、病気を口実にそれを避けてきた。今の生活に馴染み、現実から逃げていたんだ。
だけどもう、このままではいけない。今の状況を打破しなければならない。だから僕は今自分が成すべきことを実行しようと思う。
今自分がしなければいけないこと、それは「脳と体の運動」だ。具体的には3つあると思う。
・荒廃した生活のリズムを、理想のものに整える。
・将来のことや頭を動かす等の意味合いで、勉強に取り組む。
・適度な運動を行うことにより、自然治癒力を高める。
僕はこの3つをなんとか実行したいと考えている。
医師から処方された薬の量は、最近にしては珍しく、2週間分。僕はこの2週間を勝負、そしてチャレンジの期間だと捉えている。
途中で間違いなく、鬱症状等で挫折はするだろうと思う。だけど、このままではいけないと一番分かっているのは僕自身。そこをどう乗り越えるかが勝負だ。何もやらないよりは、やって失敗したほうがずっと意義があると先生も言っていたしな。
よし!この2週間、やってやろうじゃんか!(どうなるかは分かんないけど:笑)
投稿日:2007-09-21 Fri
夏は終わった・・・んだよなぁ?なのに何だこの暑さは?!
冷房の効いた部屋で、メディアが異常気象がどうだのと騒いでいるところを楽観視していた僕だが、実際に外に出てみたらなんだこれは。さすがに9月の下旬に入ってこの暑さはちょっとおかしいと感じる。毎日学校に通っている皆はさぞかし苦労していることだろう。
そんな暑さの中、僕は今日実に一ヵ月半ぶりにギターレッスンに行ってきた。
僕は逃げたくなかった。ギターから、そして自分自身からも。何をすべきかは分かっていた。
でも正直不安もあった。一ヵ月半も連絡しないで勝手にレッスンから逃げ出し続けていた僕を、大内先生はどう思っているのだろうかと。もしかしたら、もう忘れ去られているかもしれないし、冷たい態度をとられるかもしれないと。
でも先生はやはりいい人だった。ずっとレッスンをすっぽかしていた僕を、温かく迎えてくれた。
ここ先日の僕の苦労話もやさしく聞いてくれたし、いろんな先生なりの人生論を語ってくれた。
大内先生は、音楽家としてだけでなく、本当に人間の良く出来た人だ。何というか、人として「深い」。曖昧な表現だけど、様々な人生経験を培って出来た先生の人物像、人生観は、素晴らしいものだと思う。
先生の話は、そこら辺の普通の精神科医のカウンセリングなんかよりよっぽどタメになる。こういう人と出会えてよかったと、改めて思った。
今後またレッスンにしばらく行けなくなるような状況になっても、今度は何の迷いもなく足を踏み出せると思う。
投稿日:2007-09-15 Sat
気が付けばもうセミは鳴いていない。夜、カーテン越しから吹き付ける風も心地が良い。
そうか、もう夏はとっくに終わっていたんだ。あまりにも淡白で面白みも無く過ごしていたから、印象に残るのは、ただ苦しかったということだけ。こんな夏は生まれて初めてだった。
僕の意志とは関係なく、時は過ぎてゆく。ただただ虚しく過ぎてゆく・・・
僕は時々、治療方針はこのままでよいのかと疑問に思うことがある。
確かに、薬の作用によって恐怖感、虚無感は薄らいだことに間違いは無い。だがこれはある種、足止めに過ぎないのではと感じる。(医学的知識のないものがこう言ってはなんだが。)薬によって与えられた代償も大きい。
また最近、新たな不安要素も出てきた。僕がこれまで15年間生きてきた「キャリア」をこのままでは失ってしまうのではないのかという不安である。
物心付いたときから、学校というものは当たり前にあった。そこで僕はいろいろとこれまで鉛筆またはシャーペンを握って勉強をし、友と友情を分かち合い、様々な経験を積んできた。それは今まで当たり前のことだった。だが、今その当たり前のものがなくなってしまっている。
幼稚園のころから遡っても、こんなに長い期間の休養を与えられた記憶はない。ずっと長い間、ただ薬を飲み続け症状を抑え、家のなかで虚しく過ごす。僕はこの状態が続いてしまうと、人生において今まで培ってきたものが全て忘れ去られ、無くなってしまうのではないかと危惧しているのだ。
具体例はもうすでに出てきてしまっている。毎度言っている記憶の喪失のみではない。
先日、久しぶりにシャーペンを持って文章を書くという機会があった。僕は普通に、今までどうりに文字を書こうとした、が、上手く書けなかったのだ。シャーペンを手に持つと、何故か手が震えるのだ。痙攣というものとはまた違う。額には汗も滲んでくる。僕は筆で文字を書くという作業すら、まともにできなくなってしまっていた。これでは勉強など話にならない。出来るわけがない。
このままの生活が続けば、さらに深刻な事態になりかねない。僕はどうすべきだろうか。
僕の不安をよそに、時は刻々と進んでゆく。
投稿日:2007-09-12 Wed
毎回毎回同じようなことを言っているが、本当に僕の症状は一日の中でも良くなったり、悪くなったりと波が激しい。思いどうりにはまったくいかない。
先日、久しぶりに友人宅に行き、友達と触れ合い、有意義な時間を過ごしたが、(といっても、つねに心底楽しい気分であったはずではなかったのは、皆の承知のことだろう。)家に帰り、また夜を迎えれば、不安感、憂鬱感等様々な症状に苦しまされる。またある日は、優れた映画に感動し、自分の人生に感謝をささげるような気分になったかとおもえば、数時間後にはそんな気持ちなんてすっかり消え去り、人生、いや全てに絶望し、自殺願望を抱く。もうずっとこんな毎日だ。(一日中死んだような気分の日も沢山過ごしている。)
このように、躁状態や鬱状態を繰り返していると、何を信じればいいのか分からなくなる。そして自分自身、本来の自分を見失ってしまう。本当の自分って、一体どんなものだろうかと疑問に思う。
人は他人のことを完全に理解することはできない。それがどんなに親密な関係であっても。だから、自身の本当のところは自分にしかわからない。自分で考えるしかない。
本来の自分とはどんなものなのか。
小学校のころ、まだ純粋で、悩みも特になく、けなげだった自分。
中学のころ部活に励み、友情を分かち合っていた自分。
今、病気に苦しめられている自分。
芸術に感動する自分。友達とはしゃいだり、スポーツで汗を流す自分。ギターをしている自分。一日中ネットをする自分。一日中ゴロゴロと無駄な時間を過ごす自分。万引きをする自分・・・
まだまだあるだろうが、どれも違う気がする。違和感が残る。 本当の自分って・・・何?
今はまだ答えを導き出せない。でもそれは当たり前のことだろう。僕はまだ15年しか生きてないんだから。自己というものはこれから作り出してゆく、育んでゆくものなのだろうから。
ただ、こんな毎日はいかがなものだろうか。まあいい。こんな状況下で、そんなことを考えている余裕なんてどこにもない。僕はただ、今自分が本当にすべきことからただ逃げ出して、自己探求に勤しもうとしているだけだ。余裕ないんだな。僕って。
投稿日:2007-09-06 Thu
ネガティブな話題、将来のことや自身の症状についての話は置いておいて、音楽の話をしよう。
今僕が使っているiPodで、再生回数がダントツで一位の曲がある。
NIRVANAの「Smells Like Teen Spirit」という曲だ。
91年に発表され、ロックの歴史を塗り替え、90年代における最重要曲と評される歴史的名曲。
NIRVANAをどのジャンルに位置づけるかは、議論が分かれる問題だろうが、厳密に言えば、HM/HRではない。グランジだ。HM/HRばかり聴いていた僕にとって、この曲と出会ったときは衝撃的だった。シンプルながらも、一度聴いたら忘れられないようなインパクトを持つリフ。口ずさみやすいメロディーライン。僕を夢中にさせるには十分すぎる要素を兼ね備えた曲だった。
そして同時に僕は、この曲を自分でも弾いてみたいと思った。
さっそくバンドスコアを購入し、練習。となるはずだったのだが、タイミングが悪かった。そのころの僕はかなり深刻な鬱状態にあって、楽譜を少し見ただけで、何もできなかった。
でも昨日、「逃げちゃダメだ」という気持ち一身で、ギターから逃げず、この曲に没頭した。
始めてみればさほど難しい曲でもなく、弾いているととても楽しい曲だった。ピックの持ち方?そんなことはもうどうでもいいさ。とにかく楽しく弾ければそれでオールオッケーなのさ。
願わくば今度、もぷぺらぽこぺぱん、でっかいELLEマンと一緒にこの曲を演奏したいものだ。
NIRVANA 「Smells Like Teen Spirit」
投稿日:2007-09-05 Wed
また薬が一つ増えた。ここ最近の鬱症状を抑えるための抗鬱剤だ。
現在一日に飲んでいる薬の量は過去最高。今は鬱の症状が深刻なので、これからの治療方針としては、薬はさらに増やしていくらしい。
簡単に言ったら薬というのは頭をぼやかすようなもので、それゆえに副作用は避けられない。僕の場合はやはり記憶力低下が目に見えてわかる。毎度のごとく言っているがど忘れも。思考もかなり低下しているように思う。今の僕に小学生の算数の問題を仮にさせたとして、果たして結果はどうなることだろうか。(誤解を恐れて言うが、薬を飲んでいなくても、精神疾患はこのような症状をもともと引き起こすものだ。薬の副作用が全てではないと思う。)
9月に入り、休学してから早くも3ヶ月が過ぎた。当初の予定ではもうこの時期には症状の改善が見られ、薬も減り、とっくに勉強に取り掛かっているはずだったのだが・・・現状はどうだ。僕の見込みが甘かった。休学さえすれば全てが良い方向に向かってくれると信じていたのに。
薬はさらに増え、症状も一向に良くならない。周りの人はそんなに焦ることはないよ。と励ましてくれるが、焦りを感じられずにいられるわけないだろう。来年高校に入る気があるなら、もうすでに勉強に入らなくてはならない。でもそれができないんだ。
留年・・・最悪な事態が、現実味を帯びてきた。来年を留年という形で送るとなれば、僕が高校1年になったときには同い年の皆はもう3年生、そして妹と同学年・・・
投稿日:2007-09-01 Sat
J.D.Salingerのコメントを見た2日前から、僕の心は大きく揺れ動き、精神的にずっと不安定だった。
J.D.Salingerのように僕のことを痛切に批判し、周りの観覧者を不愉快な気持ちにさせるものはいままでになかったものだった。そしてそのコメントの記入者が、小学校からの僕の大切な友人であったことも、僕の心を大きく傷つける結果となった。
だけどもう、J.D.Salingerのことを責めないで欲しい。彼はあのコメントのことを深く反省していると思う。そして、同時に分かってほしいのは、彼には何も悪気など一切なかったということだ。
僕宛のメッセージを読んで、それが分かった。彼は僕の回復を心から願ってくれていたんだ。あのようなコメントをしたのは彼なりに理由があった。このブログの閉鎖を希望していたのである。
彼は、このブログは僕にとって、療養の妨げになっていると考えていたんだ。ネガティブなことを一方的に書き綴り、自分だけでなく、このブログを見ているほかの人まで悲しい気持ちになる。そのようなことで、彼はこのブログの閉鎖を願い、あのような内容のコメントを書いた。だから僕を懲らしめてやろうなんて気持ちは一切なかったんだ。
このブログの存在意義。僕はこれを考えられずにはいられなかった。
僕がこのブログを始めた理由、それは自分の歩んできた道程。それを記すものが欲しかったからだ。決して、自分自身を駄目にしたり、皆に慰めてもらっていい気持ちになろうなんてことは一切考えていない。ただ、自分の歩んだ人生を振り返ることの出来る場所のようなものが欲しかったんだ。今なにも勉強等の活動をしていない僕にとって文章を書くということは決して悪いことだとも思わないし、皆に今僕がどのような状態にあるのか知ってもらうことも大切なことだと思う。ただ、前回の投稿のように、自殺等の、皆を不安にさせる悲しませてしまうような内容の記事を書いてしまったことに関しては、まさに痛恨の極みで、申し訳なかったと反省している。
J.D.Salingerには申し訳ないけど、いや、わかってほしい。僕はまだこのブログを続けたいと考えている。「ネガ卒業」という目標へ向け、四苦八苦している僕の様子を応援してくれる人が一人でもいてくれる限り、僕はこのブログには価値があると思う。
J.D.Salingerから教えてもらったものは確実にある。そして反省点も生かして、このブログを実りのあるものに、今後していきたい。
投稿日:2007-08-26 Sun
先週、先々週と続いた深刻な鬱状態はどうやら峠を越えたようだ。今は比較的落ち着いているが、依然として鬱状態にあるのは変わりは無い。今はただ、ギターを叩き割るような暴発行為をするという危険性が薄れたということだけだ。
昨日、友達の誘いもあって、久しぶりにまともにギターを練習した。
左手の感覚はまだ残っていたのだが、演奏中、どうも音が途切れる。そこで気が付いたのだが、僕はピッキング中に人差し指が弦に引っかかっていたのだ。ブランクがあってピックの持ち方を忘れてしまったのだろうか?僕は自分に失望した。もうダメだ。
ピッキングもまともにできないギタリストなんて、お話にならない。クズ同然だ。僕はますますギターに対する意欲をなくしてしまった。
峠は一応越えたといえども、体調は相変わらずか。毎回言っているように、鬱には波がある。またいつ前回のような大波が襲ってくるかわからない。まさに、一寸先は闇。もういい加減、どうにかならないものだろうか・・・
投稿日:2007-08-21 Tue
鬱には「波」がある。つまり症状が良くなったり悪くなったりするのを繰り返すということだ。
普通は、適切な治療をしていれば波があろうとも、少しずつ着実に病気の改善に向かってゆくものなのだが、今僕は、休学後最悪の状態にまで落ち込んでいる。
夜の恐怖感は確かに薄らいだ。が、絶望感、憂鬱感は日に日に増す一方だ。この1〜2週間は一日中絶望感、憂鬱感に打ちひしがれている。こんな症状は病院で治療を受けて以来、初めてかもしれない。
ギターに関しても絶望した。僕には才能が無い。無いのなら練習量で普通補うべきものなのだが、今はギターに触っても10分ももたない。上手くできないんだ。でも周りは自分に期待している。一緒にやっている友達はどんどん上手くなっていっていることだろう。先生も毎週楽しみにしているだろう。でももうイヤなんだ。今の僕にはギターは重荷でしかない。昨日の夜は僕はイラつき、焦り、重圧が頂点に達し、ギターを叩き割ろうとしていた。好きで始めたことなのに、何でこんなに苦しまなきゃいけないんだよ!
明日のレッスンは休むことにした。今の僕にできることなんて何もないから。もしかしたら、もうギターを止めることになるかもしれない。(また逃げ出すのか?僕は)
絶望感や憂鬱感はギターのように具体的なものから、漠然としたものまで様々だ。最近は家事もまともにできていない。楽しみもない。好きな音楽だってなかなか気持ちよく聴けない。もうずっと眠っていたいよ。寝ているときは嫌な気持ちは薄れるからね。でも睡眠のリズムは狂ったままだ・・・
全てが憂鬱、残酷、絶望的。もう死ぬしかないのか。といつも夜思う。実際に軽く自殺未遂も起こした。不自然に曲がったカーテンレールがそれを物語っている。
本当に・・・馬鹿みたいだな・・・
投稿日:2007-08-19 Sun
昨日、地元のお祭りに参加してきた。
祭りといっても小さな規模のものだし、僕はあまり人ごみは好きではないのだが、この地元には愛着があるし、何より小学校のころの祭りでの思い出が忘れられず、ほぼ毎年、このお祭りには参加している。今日は友達二人と一緒に祭りに行った。
地元なので当然、様々な中学のころの知人を見かけた。そこで僕が驚いたのは、皆それぞれ風貌がとても変化していたことだった。
中学時代、ごく普通の生徒だったのに、髪をおもいっきり金髪、茶髪にしていた人もいたし、タバコやチューハイを人前で堂々と飲むものもいた。義務教育が終わると人はここまで変わってしまうのかと、僕は戸惑いを隠せなかった。
もちろん何にも変わっていない人もいたが、背の伸びたものや、筋肉隆々になり立派なスポーツマンになっているものもいた。種類やタイプは個々別々ではあるが、僕は同世代の皆のそれぞれの「成長」を強く感じた。
皆の成長ぶりを強く感じた僕は、それを自分と照らし合わせた。自分はどうなのだろうか?
身長はずっと止まったままだし、運動もしていないので当然筋力も落ちている。勉強もしていない、頭を動かしていない。病気にも罹っている。そういえば先日、久しぶりに会った友人から、「顔がやつれたね」とも言われた。
僕は成長どころか、心身ともに、この歳で衰えてしまっているのだ。僕はまだ15歳。これから大人になる大切な時期に、心身は退化してしまっているのだ。同世代の知人に会い、その現実を痛感させられた僕は、お祭りだというのに、とても心が空しくなってしまった。
祭りが終わった後、また一人友人を連れて今度は花火をした。
とても盛り上がった。手持ち禁止の花火を手に持って暴れたり、ふざけあったり、走り回ったり・・・友人とこうして触れ合うのはとても久しぶりで楽しかったのだが、そんな最中でも、心の片隅にある虚無感は決して消えることはなかった。
どんなに楽しい。と感じても、心が全て満たされるということは、今の僕にはない。そういう現実にも、空しさを感じられずにはいられなかった。
僕はこの日、二つの現実を痛感した。この虚無感、いつになれば消えるのだろうか・・・
投稿日:2007-08-07 Tue
「朝青龍が急性ストレス障害」
このニュースに皆さぞかし驚きと戸惑いを持ったことだろうと思う。
相撲という過酷なスポーツで何度も優勝し、頂点を極め、心身ともに最強とも言っていいような人間でさえも、過度のストレスにより精神疾患に陥ってしまったのだ。
僕はこの事実で、「精神疾患に陥るものは心の弱い人間だ」という世間のとんでもない誤解と概念を払拭することができたのではないのかと考えている。(朝青龍には申し訳ないが)
「鬱になるのは気力が足りないからだ」等といまだに言い続けている人もいるが、これはもう完全に古く、間違った考えである。
そう、精神疾患は誰にでも陥る可能性を持った病気なのだ。どんなに強い信念を持ち、健全に人生を謳歌しているような人でも、ストレスや様々な心的要因が起これば、病気に罹ってしまう。
だから、僕がここで言いたいのは、決して、この種の病気に罹った人は悪くなんかないということ。
「鬱になるなんて、自分は駄目な人間だ」なんてことを嘆いたりしないでほしい。風邪やインフルエンザになった人を責めることができないように、誰だってなり得るものなんだから、病気になった自分を責める必要はまったくない。逆に、心が純粋だから、このストレス社会に適応できなくて病気になってしまったという可能性もある。そして同時に今の苦しみは決して永遠のものでもないということを認識しておくことも大切だと思う。
ときどき、僕と同じように精神疾患で苦しんでいる方がこのブログに訪問してくれるので、この文章を読んで、少しは気が楽になってくれたらと、心から願う。
投稿日:2007-08-03 Fri
ちょうど1年前、友達に誘われ、気軽に始めたこのブログ、気が付けばもう1年が経過してしまった。(本来なら中学生のうちにネガ卒業して、高校で素晴らしい日々を過ごす。というのが当初の目的だったのだが・・・)
「1年ってホント過ぎるの早いよね」と普通なら書くだろうが、僕の場合はそうじゃない。この1年は波乱で満ちていて、濃密で苦しく、とても長く感じたものだった。
1周年ということで、改めてこのブログを最初から見直したり、思い出したりしたが、本当にいろんなものに手を出してしまったなぁ。
万引き、酒、タバコ(←不良かw)輸入代行会社経由による薬の個人輸入。そしてリストカットや軽い自殺未遂・・・どれも今ではしていないけど、ホントに病んでたんだなぁとつくづく思う。(今も十分病んでるけどね)
鬱状態や恐怖感、虚無感にもたびたび襲われた。バットトリップ的体験をした日のことはいまだに覚えているよ。あれは冗談抜きで恐ろしいものだった。あれは完全に地獄に落ちたね。もう一生経験したくはない。
鬱状態も酷かったから、学校で嫌なことがあったらルサンチマンにどっぷり浸る毎日。授業中なんかはずっと自殺のことばっかり考えてた。
あのころは病院にも行ってなかったから、本当に、本当に苦しかったと思う。でもよく耐えたよ。
苦しい思いばかりしていたから、楽しい思い出なんてあんまり思い出せない。クラスマッチのサッカーで活躍できたこととか、札幌からおじいちゃんおばあちゃん達が遊びに来てくれたことくらいか?
いや肝心なことを忘れていた。友達とのふれあい。これは大きかった。中学時代は、僕の精神状態は狂ってたけど、友達関係は良かったと思う。(高校に入ってそれを改めて思い知らされたね)僕が苦しくても、慰めてくれたり、バカなことしてふざけあってくれてそれを忘れさせてくれた。本当にありがとうと言いたい。
そして何より良いことは、今こうして、ブログの更新を無事に行っていることだ。そう。僕はまだ生きている。何度も何度も死のうと夜な夜な決意するけど、結局次の日はやってくる。僕みたいな馬鹿には自殺なんて出来ないのかもね。
ネガ卒業・・・それはもはや僕にとって夢のような話なのかもしれない。現在休学中。きっと今の高校も辞めることになるだろう。鬱や薬の副作用で記憶力低下、ど忘れの症状も深刻。勉強なんてできる状況じゃない。「適応障害」「鬱」どちらも克服は非常に困難だろう。ハッキリ言って、将来に希望なんて無い。絶望しかない。でも僕はきっと生きつづけるだろうな。どんなに辛くても。
このブログも、まだまだしばらく続くと思う。僕が「ネガ卒業」できるまで。
何の面白みもない淡白で馬鹿みたいなブログですが、今後とも、応援よろしくお願いします。
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