[AC通信:No.175]
◆[AC論説]No. 175 ウェンホー・リーのスパイ嫌疑(2006/06/06)
6月3日、アメリカの新聞はウェンホー・リーが米国政府に対して
起した損害賠償の告訴が165万ドルで和解したと報じた。
但し、和解金の半分はメディアが情報源の提示を拒否したため法廷
侮辱罪で毎日500ドルずつ払ってきた罰金の総額75万ドルほどを含
む。政府側は残りの90万ドルを支払っただけである。これはウェン
ホー・リーの勝利ではなく、アメリカ政府の勝利である。
ウェンホー・リーは米国立ロスアラモスの元職員で台湾生まれ。1999
年にスパイ嫌疑で起訴されたが、これがロスアラモスの機密漏洩事
件の生贄(スケープゴート)だったのは明らかである。政府側はメ
ディアを使ってウェンホー・リーの嫌疑を書かせ、彼が囚人服を着
て鎖に繋がれた様子をテレビで流していた。
これまで何度もウェンホー・リー事件を書いてきたが、読者の反応
はまちまちだった。筆者はウェンホー・リーが台湾人だから書いた
のではなく、スパイ嫌疑はデッチ上げと責任転嫁の事件であり、ロ
スアラモス機密漏洩の根本を糺せば「パンドラの函」を明けたのが
クリントンであると警鐘を鳴らしてきたのである。
●有罪判決から民事訴訟へ
この事件の起こりはすでに7年前のことで、多くの報道があったが、
ロスアラモス研究所で核機密が中国に盗まれたという報告があった。
ウェンホー・リーが中国に核機密を渡した嫌疑で逮捕されたが、証
拠が挙がらないので家宅捜査とパソコンの押収、ゴミ捨て場を掘り
起こして「ウェンホー・リーが廃棄したテープを捜す」などが報道
され、証拠は上らぬままウェンホー・リーを59箇条の違法行為とし
て告訴したのである。無理やり彼をスパイにして核機密漏洩の責任
をなすり付けるつもりだった。
しかしウェンホー・リーは否認を続け、調査しても証拠が挙がらな
いばかりか、ロスアラモスの安全調査官が同研究所の機密データ管
理の杜撰さを告発するなど、研究所に不利な証拠が相次ぎ、59件の
告訴は「機密テープの違法持ち出し」の一件だけが彼の認めた事実
で有罪判決となり、残りの58件は却下となった。つまり、政府はど
うしてでもウェンホー・リーをスケープゴートとして有罪にしたく
てこの判決になったのである。ワシントンD.C.地方法廷のジャクソ
ン裁判官は判決の際に「私は政府を代表して貴方に謝罪しなければ
気がすまない」と発言したほどである。
それにも拘らず、政府側は一件でも有罪なら「ウェンホー・リーは
罪人」と主張している。だからウェンホー・リーは政府を相手取っ
て民事裁判を起した。この裁判でウェンホー・リー側がメディアは
不公平な個人情報を流してプライバシーを侵害したとして、ニュー
ヨークタイムス、ワシントンポスト、ロスアンジェルスタイムスな
ど五大新聞に「情報源の開示」を求めた。つまり故意に不利な情報
をメディアに流したのは政府であるということだ。
メディア側は情報源の提供を拒否したが、ワシントンの法廷は「メ
ディアの情報源の秘匿権利はこの事件に該当しない」として各新聞
社が情報源を提出するまで一日500ドルの法廷侮辱罪の罰金刑を宣
告した。これが去年6月の事で、メディアは一年間情報源の提出を
拒否し続けてきた。この罰金の累積総額が今回の和解でメディア側
が支払った75万ドルである。
おまけにメディアは和解に応じたのでなく、法廷に罰金を払うこと
に不満で、「メディアの情報源の秘匿権」を最高裁に提訴していたが、
最高裁は6月6日メディアの提訴を却下した。
●クリントンの核機密解放
核機密漏洩事件に至るまでの経緯を要約すると以下の通りになる。
1963年8月、アメリカ、英国、ソビエト連邦によって部分的核実験
禁止条約(PTBT)が署名された。しかしこの条約には地下実験の禁
止が含まれていなかった。
1994年1月、ジュネーブ軍縮会議は地下実験の禁止を含む、包括的
核実験禁止条約(Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty、CTBT)
の交渉に入ったが、インドなどの反対により批准には至らなかった。
しかし世界各国の圧倒的支持があったのでオーストラリアが主体と
なってCTBT条約を連合国に提案し、採択された。この条約は1996
年8月に発効されるはずだったのに、アメリカ、中国、インド、北
朝鮮、イランなど12カ国の反対で発効に至っていない。
アメリカの歴代大統領はCTBTの批准に熱意を燃やして反対国を説
得したが、なかでもメディアから「ノーベル平和賞の野望」と批判
されたのがクリントンだった。クリントンは中国を説得する為に核
機密の解放に踏み切り、中国人の科学者をロスアラモスに招聘する
など大いなる過失を犯した。やがて中国がアメリカの核機密を盗ん
だ確証があがり、大問題となって魔女狩りが始まった。
クリントンの過失と中国の機密窃盗は1998年のコックス委員会の
調査に詳しく報道された。コックス・レポートはトップ・シークレ
ットで公開されなかったが、クリントンの過失についての批判はプ
ラザー博士の報告書、「A Technical Reassessment of the
Conclusions and Implications of the Cox Committee Report. By Dr.
James Gordon Prather」に詳しく書かれている。
コックス・レポートが追及した問題点を要約すると;(1)中国は本
当にアメリカの核機密の壁を破る事ができたか、(2)中国はどうや
ってアメリカの核機密を盗んだか、(3)国内に科学者スパイがいて、
核機密を中国に渡したのか、(4)中国はアメリカから「盗んだかも
しれない」核機密をどのように利用したか、と言う4点である。ウェ
ンホー・リーはスパイ探しの「魔女狩り」の生贄となったのだ。
●クラウン・ジュエル(Crown Jewel)の設置
クリントンのノーベル賞野望とは、中国をCTBTの加盟国に引き入れ
るため「アメリカの核機密を公開し、中国人科学者をロスアラモス
に招待する」という条件を提示したことである。
核機密はトップ・シークレットである。ところがクリントンは「中
国がCTBTに加盟すれば核爆弾を作ることは出来ない、だからアメリ
カの核機密を解除しても安全である」、「機密を解除すれば機密でな
くなる」など詭弁を弄して国会を説得した。
更にクリントンはエネルギー長官ヘーゼル・オリーリに命じて、ロ
スアラモスの核機密の公開、及び中国人科学者が公開された文書に
アクセスできるようにクラウン・ジュエル(Crown Jewel)というプ
ログラムを作らせた。つまりクリントンは「パンドラの函」を開け
るプログラムを作ったのである。
これが後年のパキスタンとインド、イラン、北朝鮮の核開発という
「原爆後遺症」の来源と筆者は思っている。つまり中国が得た核機
密をパキスタンに流し、さらにパキスタンのカーン博士がこれを世
界中に広めた。中国がアメリカから獲得した核機密を外国に流して
も「条約で禁止されていない」からCTBT条約違反にはならない。しか
も中国は最終的にCTBTに署名しなかった。つまりクリントンはCTBT
条約加入の交渉で中国に騙されて核機密を解放した。核拡散の張本
人はクリントンである。
●文書の機密解除とウェンホー・リー
核開発にはウラン濃縮、爆弾の製造、核弾頭の形状など多様な分野
がある。アメリカの核開発は60年以上の歴史があるが、全部を機密
解除するのではない。このため機密書類を読み漁って、解除した文
書をクラウン・ジュエルのデータベースに入れる工作グループが必
要で、ウェンホー・リーはグループの一員だった。
もう一つのX部門は核爆発シミュレーションの開発である。核爆弾
の威力を知る為には核実験が必要だが、CTBTに加盟すればアメリカ
は核実験を行えなくなる。この為に研究所ではシミュレーションだ
けで新型核弾頭が作れるように、過去の核爆発データを収録したデ
ータベースを作り上げた。これはレガシー・ファイルと呼ばれ、ウ
ェンホー・リーも一時はX部門に所属していたという。レガシーフ
ァイルは解除されていない。
クリントンのお陰でロスアラモスに招聘され、中国が機密を盗んだ
疑惑が出てきて、ウェンホー・リーに嫌疑がかかったが証拠はなか
った。しかしヘーゼル・オリーリの後任のエネルギー部長ビル・リ
チャードソンは強引にウェンホー・リーをスパイ疑惑で解雇した。
でも証拠はないので実際の逮捕は八ヵ月後のことである。彼が生贄
に仕立てられたのは彼が台湾生まれで中国語が出来ること、妻のシ
ルビアが中国人であることなどである。
だがウェンホー・リーが逮捕されても中国人妻のシルビアはスパイ
嫌疑を掛けられていない。ヘンな話で、中国人科学者をロスアラモ
ス研究所に招待したので、ロスアラモスはシルビアを中国人の接待
や連絡係として起用し、これとは別にCIAは中国人の監視をシルビ
アに依頼したというのである。
その後ウェンホー・リーが逮捕され、政府側は躍起になって彼のス
パイの証拠を探しまくったが、59件の起訴で最後に有罪となったの
は「機密資料の不当持ち出し」の一件だけである。クリントンの大
号令によって機密解除の仕事に携わったグループのうち、ウェンホ
ー・リー以外にも資料を持ち出して仕事をした人が居たと報道され
たが彼らは逮捕されていない。
考えてみれば「すでに機密解除した、またはこれから解除する」機
密をもちだして何処が悪いのか。「機密を解除すればもはや機密でな
い」とクリントンが言った。機密を解除する権限は仕事をする当人に
ある。この資料はグレーゾーンでないだろうか。
●機密漏洩の発端
そもそも中国が機密を盗んだ証拠というのが、「差出人不明の誰かが
台湾のCIA秘密オフイスに中国の機密文書を送りつけ」、その中にア
メリカの多弾頭ミサイル(MIRV)、W-88弾頭の設計図があったのだ。
CIAは即日この文書をアメリカに送還して分析にあたった。
これが大きな波紋を呼んだのは勿論で、(1)中国側は何処から、ど
のようにしてW-88の設計図を盗んだか、(2)台湾側の誰が、どの
ようにして中国から書類を盗み出したのか、(3)なぜそれを台湾側
に渡さず、CIAの秘密オフイスに送りつけたのか、(4)なぜCIAの
秘密オフイスの在処を知っていたのか、などの疑問である。
だが、ウェンホー・リーのスパイ嫌疑が晴れた現在、ロスアラモス
機密漏洩の解明、スパイの摘発、イランと北朝鮮の核技術の獲得、
カーン博士の核機密の拡散などは一つも解明されていない。ウェン
ホー・リーがスパイでないなら真物のスパイが居るはずだ。
アメリカはクリントンの責任問題を取り上げない。中国が核機密を
外国に売却した疑惑、インドやパキスタンの原爆製造、核機密を外
国に売ったカーン博士の責任、などの諸問題がすべてクリントンに
戻ってくる。「パンドラの函」を開けたのは世界的な核拡散に繋がる
責任問題である。■
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