日報抄
韓国民主化運動のリーダー、金大中氏が東京のホテルから拉致された一九七三年八月八日、妻の李姫鎬さんが駆け付けたのがソウルの日本大使館だった
▼拉致は日本を舞台に起きたのである。夫の安全確保を日本政府に頼もうと、すがる思いの李さんは、「大使は外出中」と門前払いされる。真っ赤なうそだった。居留守を使った後宮虎郎大使は、その後の電話にも出なかった
▼拉致事件で主権と人権を侵害された国家は、どのように行動すべきか。そのモデルが六七年の東ベルリン事件だ。旧西ドイツにいた韓国人芸術家ら十数人が、韓国に拉致されたのである。西ドイツ政府は経済制裁を辞さぬ強硬姿勢で、全員を西ドイツに戻させた
▼原状回復と犯人の処罰。これが拉致事件に対する国際ルールであろう。金大中氏がソウルに現れた直後に、外務省の中江要介アジア局次長が韓国の外交官に会っている。韓国が公開した外交文書に驚く。中江局次長は、「韓国は、政府機関は事件に関係していないといい続けなさい」と入れ知恵をしたという
▼「日本外交に汚点を残した日韓政治決着を検討し直すと、この日、中江が韓国側に伝えた言葉がすべてだったことがわかる」。ジャーナリストの古野喜政さんは、近著「金大中事件の政治決着」でいう
▼韓国政府は二十四日、事件は政府機関の犯行と認めた。残された闇は、日本政府がなぜ金大中氏を日本に連れ戻す原状回復をしないまま、政治決着をしたかである。韓国の外交文書に出てくる政治家や外交官の発言が恥をさらしている。本当にその通りか。日本側の外交文書を公開させ、検証する必要がある。
[新潟日報10月26日(金)]