神戸小学生惨殺事件の真相 その2 深まる権力犯罪の疑惑 |
もくじ |
※のついている項目は図表です |
はじめに A少年のご両親にお会いして激励 みなさんの調査をぜひ生かしたい---羽柴修弁護士談 浮かびあがった頭部切断の真相 ---龍野教授ら法医学関係者が重大証書! 疑惑に満ちた三月「連続女児通り魔事件」 「挑戦状」のような文章は中学生には書けない! 犯行声明の投函場所は変えられた! 神戸新聞社社会部次長・織戸新氏の証言 ※神戸西と須磨北の消印 9・15「少年の供述」報道への疑問 馬脚をあらわした警察・検察庁 鵜の目・鷹の目・鳶の目---毎日新聞終身名誉社員 品野実 松本サリン事偉と神戸事件 『「疑惑」は晴れようとも』著者 河野義行 全国から寄せられた手紙 阿部猛/酒井博/元山俊美/伊橋彰一/浅野健一 「神戸事件と報道を考える会」のアピール 広がる真相究明の声 |
はじめに |
私たちの手づくりパンフレット『神戸小学生惨殺事件の真相』を読み深く共感してくださった全国数万の心ある人々の、熱い想いの届く日が、ついにやってきました。
九月十八日午後六時、当会会員の平井が、神戸市内の弁護士事務所で、A少年のご両親にはじめてお会いし、激励の言葉をかわすことができたのです。
A少年を信じるご両親に温かい支援を送りつつ、私たちは、真相究明の新しい地平をきりひらいていく決意です。深まる権力犯罪の疑惑をさらに追及していこうではありませんか。
精神鑑定の終了・家裁での審判の再開(十月上旬)を目前にしたいま、検察庁は、許しがたいことに、「供述・聴取内容の全容(要旨)」なるものをマスコミに流しています。真相究明の声の広がりに焦った彼らは、私たちの暴きだした数々の疑惑にこたえることからは逃げまわり、A少年を長期にわたり医療少年院に幽閉するために「少年の特異な性格」なるものを大宣伝しているのです。
だが、真実を闇に葬ることは誰にもできません。広がる真相究明の声をもっと大きなうねりへと高めることをめざして、私たちは頑張らなくてはならないと思います。そのためにここに、すべてのみなさんに、『続・神戸小学生惨殺事件の真相』をお送りします。
真実が白日の下にひき出されるその日まで、みなさん、ともに頑張りましょう---たたかいは今はじまったばかりなのだ。
神戸事件の真相を究明する会
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A少年のご両親を激励 |
九月十八日 神戸市内の弁護士事務所で
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■九月十八日午後六時、真相を究明する会の平井は神戸市内の弁護士事務所において、A少年のご両親とはじめてお会いして激励する機会をえました。真相究明のために立ち上がった多くの市民の気持ちと声が、ついにご子息を信じてこられたご両親に伝わったのです。 |
やや緊張した面持ちで事務所に入ってこられたご両親に、私は高ぶる気持ちをおさえ「ご両親ですね」と声をかけるのが精一杯でした。 七月初めに調査活動を開始して以来、ご両親とお会いして励まそうとしてきた究明する会の多くの会員と私にとっては、言葉で表現することができないほどの感動の瞬間でした。 持っていたパンフレットをご両親にさしだして、「真相を究明する会の平井です」と名のった私に、ご両親の緊張した顔が急に穏やかな顔にかわり、「わかります」と大きくうなずかれた。このご両親のお顔をみて、事件の真相を究明するための私たちの八十日間にわたる苦難にみちた活動がまったく正しいものであったことをあらためて確認することができました。それはご両親が、私たちの真相究明の活動に対して大きな信頼と期待の気持ちをもっておられるということを、私の身体の奥底からあふれてくる喜びとともに感じるものでもありました。 わが子を獄中に奪われ、親子の絆さえも引き裂かれる苦しみの中にあるご両親のお気持ちを思うと、私たちの真相を究明するための活動がご両親に勇気をあたえ、ご両親の支えになれるのだということを私は確信しました。 「お手紙は届きましたか?」「みなさん頑張ってほしいといっています」という私の激励の呼びかけに、「はい、いまたいへんで」と少年のお父さんはこたえられました。私たちの励ましの気持ちと、それにこたえられたご両親の気持ちとがつうじあい、結びあい、お互いに緊張していたものが解けたように思いました。 この間のマスコミの中傷に、じっと耐えてこられたご両親。「一連の事件については思いあたることがなく、犯人とは信じられない」という姿勢をつらぬいてこられた少年のお母さん。そして会社に出勤することもできずに、かけられたご子息への嫌疑に耐えてこられた少年のお父さん。このような中で苦しい心境にあることを「はい、いまたいへんで」という一言にこめておっしゃっていたのです。 私は、ご両親のご子息逮捕以後の厳しい日々を、しかしご子息を信頼して耐えてきた日々を思い、胸が締め付けられる思いがした。そしてご両親のご苦労を想うと、いまほどご両親との精神的な交流を深め、私たちの真相究明にむけた活動への確信と、連帯のきずなを強めなければならないときはないという思いを強くしました。だから、私は「たいへん苦しいでしょうが、どうか頑張ってください」と語りかけた。ご両親も何度も何度もうなずかれました。 私は、まだお聞きしたいこと、話したいことは山のようにあったが、伝えたい気持ちの十分の一も言えないまま、限られた時間をむかえてしまった。弁護士事務所の事務員が「弁護士との打ち合せをはじめます。どうぞこちらに」とご両親に声をかけ案内した。家裁の調査官との面接や、ご子息との接見や少年審判にむけた弁護士との打ち合せなどの忙しいスケジュールの合間をぬってご両親に会っていただいたことから、私はご両親とお別れせざるをえなくなった。「また是非、ゆっくりお話ししたいですね。お会いしていただけますか?」と声をかけました。ご両親は力強い声で「はい」と答えてくださった。私は「是非ご連絡ください」と名刺に電話番号を書いてご両親に手渡した。「息子さんのために一緒に真相を究明しましょう。頑張ってください。私たちも頑張ります」。……私は自然に頭を下げてしまった。 少年のお父さんは、私の言葉に一語一語うなずかれた。少年のお母さんは、大粒の涙を浮かべながら別れを惜しんでくださった。 この日・逮捕後はじめてご子息と面会した直後のご両親にお会いし、たとえ多くの言葉で激励することができなかったとしても、私たちの激励の気持ちを伝えることができて、私は感無量でした。そして私たちの激励に、ご両親が一語一語うなずいて、涙をながしてこたえてくださったことに、私は事件の真相を究明することの重要さをかみしめ、新たな気持ちで決意をしました。〈神戸事件の真相を闇に葬ってはならない〉、と。 ご両親との再会を確信し、最後に「息子さんを信じて頑張りましょう。また近いうちお会いしましょう」とあいさつして、私は弁護士事務所をあとにした。
私たち神戸事件の真相を究明する会にとっては、はじめて少年のご両親にお会いし、直接激励することができたのは、非常に意義あることだと思います。ご両親にお会いできた九月十八日は・私たちにとっても、ご両親にとっても、特別な日になったものと確信しています。
精神鑑定のための留置期間の期限(十月二日まで)が近づき、いよいよ家裁の審判が再開されようとしているなかで、九月十五日にマスコミは、警察の「聴取」の中でご子息がかけられている「容疑」に「思いあたるふしはない」と語っているご両親の言葉の断片をあげつらい、「両親は(少年の)容疑について気がついていない」という悪辣なキャンペーンをおこなっています。しかも、「男子生徒の通っていた中学校の教諭らが、この男子生徒の犯行ではないかと疑っている」という「供述」なるものの許しがたいリークと対応するかたちで。
神戸事件の真相を究明する会・平井
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みなさんの調査をぜひ生かしたい |
羽柴修弁護士談
(神戸弁護士会須磨友が丘・竜が台事件対策協議会代表)
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■第二回審判を前にして、九月三十日に中神戸法律事務所に羽柴弁護士を訪ねてお話をうかがいました。審判に向けての心境や、私たち「真相を究明する会」の活動について語っていただきました。 |
私としては、皆さんが発行した『神戸小学生惨殺事件の真相』というパンフレットは参考になると思います。 検事調書を見る前に、事件についての種々の疑問について実地調査し、トータルに分析されたものが出されていたということは、事件の問題点を整理するうえでひとつの意見として参考になったというのが私の個人的感想です。事件のポイントや視点がパンフレットでピックアップされていて。 私は付添人ではありませんが付添人もそうだったと思いますよ。 たとえば少年の身長と友が丘中学正門の門壁の高さの関係から門壁の上に少年は遺体の頭部はおけないのではないかという指摘とか、頭部の移動の指摘はあたり前のことですが、マスコミはまったくやっていませんでしたから。 パンフレットは捜査当局以外でこの事件について実際に調査された唯一の記録でありますし、マスコミがまったくやっていないことを独自にやられた貴重なものだと思います。この点でパンフレットは大きな反響を生んでいるのでしょう 。皆さんの調査はぜひ生かしていくことになるだろうし、生かされると思います。 私どもは、最近「精神鑑定の意見書」といわれるものがマスコミに流れたことをきわめて異常なことだと思っています。私どもはその内容について、本物かどうかを含めて、対応しないことにしています。 新聞記者の方も、皆さんこの件についての意見を聞かれますが、非行事実の認否について私どもがどうするのかあまり聞かないんですよ。 |
■真相を究明する会のパンフ第4号に、上記羽柴弁護士談話のオリジナルバージョンが掲載されているので、ここに掲げます。弁護士はかなりの削除訂正を行なっていますが、元のものにはかなり重大な内容が含まれています。 |
資料 9月30日の「談話」の原稿に羽柴氏は自ら手を入れた みなさんの努力を法廷でぜひ生かしたい
羽柴修弁護士談
私としては、皆さんが発行した『神戸小学生惨殺事件の真相」というバンフレットは、今後の審理をすすめていくうえで非常に参考になると思います。
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浮かびあがった頭部切断の真相 |
龍野教授ら法医学関係者が重大証言!
報道されているA少年の「自供」によれば、A少年は殺害した淳君の遺体の頸部を金ノコで切断したとされている。
「頸部を金ノコで切断するのは非常にむずかしい」
「頸部のように均一性の組織でないものを金ノコギリで切るのは非常にむずかしい」---神戸大学医学部保健学科長・石川齋教授(整形外科学専攻)は、私たちにこのように明言した(九月八日)。
南京錠の切断粉は付着していない
「(切断したときの南京錠の金属粉は)頭部の方にも胴体の方にもないですね」私たちの質問に、龍野教授は一瞬ちゅうちょしながらこのような決定的な証言をした。南京錠の切り粉が頸部の切断面に付着していない、ということは、"A少年が南京錠を金ノコで切り、同じ金ノコで淳君の頸部も切断した"という警察発表そのものが全くデタラメであるということだ。淳君の頸部切断に金ノコは使用されていないのだ。
見えてきた真相
では淳君の遺体は、いったい何を使って切断されたのであろうか。 |
首は段差のあるところで切断された!
「頸部は第二頸椎の下端部で鋭利に切断されとるんや。第二頸椎の椎体を前から切ったんやと思う。結局椎体が最初に切れていますからね。そしてそのうしろの椎弓を切っていますからね。」---このように龍野教授はきわめて重要な事実を私たちに語った。 |
図1でしめすように、第二頸椎はきわめて上の位置にあり、体の正面から見ると顎のうしろにかくれてしまう(イ)。顎のすぐ下から切りあげても、第二頸椎には届かない((ハ)。また遺体をあおむけにねかせて頸部を切断しようとしても第二頸椎を切ることはむずかしい(図2のイ)。では、どのように切断されたのか。 |
ある著名な元監察医は次のように語った。 「第二頸椎を前から切断するためには顎を上にあげなければ無理ですね。このような切り方は、段差がある場所でなければできません。タンク山のテレビアンテナ基地の平らなコンクリートの上ではできません。」 これは決定的な証言である。11頁図3にしめすように、遺体をテーブルの上のようなところにあおむけにしてねかせ、頭部をテーブルから外に出して下に垂らす。このような姿勢でなければ第二頸椎を前から切断することはできない。つまり淳君の頸部は、平らなコンクリートの上ではなく、このような設備のある別のところで切断されたのだ。 |
"タンク山のアンテナ基地の平らなコンクリートの上で淳君の頭部を切断した"という警察が発表したA君の「自供」は、警察によってつくられたストーリーでしかない。 ある元解剖学教授は「このような不自然な姿勢を遺体にとらせて鋭利な刃器で一気に切断することのできる犯人は、専門的な知識と高度なテクニックをもつ、複数の人間ではないか」と語った。 さらに「気管が上端部で水平に切られている」(龍野教授)という切断方法についての新たな驚くべき証言をえた。気管の上端部とは声帯の直下のことをいう。第五または第六頸椎の高さに位置する(図1のロ)。したがって遺体の切断は、淳君の頸部前面のこの位置から刃器を水平に入れてまず気管を切断し、すぐに斜め上にむけて第二頸椎前面のすぐ下まですすめ(図2のロ)、ここで顎をあげ頭部を垂らす形で第二頸椎の下端部を一気に後方に切りぬいた(図3のイ、図4)、と推定しうる(頸部を横からみると真一文字ではなく「へ」の字に切断線が入ることになる)。 |
これはきわめてむずかしい頸部の切断の仕方なのである。これをなめらかにやってのける犯人とは何者なのか。
専門的な知識と経験とそれにもとづいた高度なテクニックとを身につけた冷酷無比な人間以外に私たちは想像することができない。
頭部は置きやすいように切断された!
犯人が遺体の第二頸椎を切るというむずかしい切り方をあえてしたのは、切断した頭部を校門の前に置くことをあらかじめ考えていたからではないのか。 |
淳君の遺体を切断したものどもは、置くであろう首の安定度と、このような目線の"効果"をねらって頸部の切断方法を決めたにちがいない。わざわざ第二頸椎をねらって切るという異様な切り方の理由は、ここにあったといえる。 これらは、遺体の口にくわえさせられた「挑戦状」で「愚鈍な警察諸君」をあざわらったこととも合致する。
死斑は語る
「死斑は淡紅色、通常よりも赤っぽい」「腐敗(の進行)は遅い。とくに胴体の方が遅い」---殺害三日後の淳君の遺体の死斑についても、龍野教授はこのような決定的な証言をした。
頭部を切断しやすくするために凍結した
「凍結標本のように遺体を凍結させて頸部を硬くすれば、電動丸ノコで目づまりすることなく一気に切断できる」---このような注目すべき見解を、先の元解剖学教授は明らかにした。 |
疑惑に満ちた三月「連続女児通り魔事件」
三月十六日の昼すぎに神戸市須磨区のニュータウンで発生した「連続女児通り魔事件」。淳君殺害事件の容疑で逮捕されたあとA少年の犯行とされたこの事件も、私たちが調査したところ多くの疑問がでてきた。
犯人は左利き――
事件直後には龍野教授の司法解剖所見にもとづいて次のように報道されていた。頭部左側の広範な陥没・粉砕骨折という彩花ちゃん(一〇)の骨折の状況から、「棒状の凶器」で「左から右に(水平に)振り回して打ちつけた」、一撃で倒されている点から、正面ではなく背後から襲われたと判断」、「粉砕骨折するほど強い力で殴打するには、利き腕を使ったとみるのが自然で、犯人は左利き」(「神戸新聞」三月二十七日付)。
凶器は表面積の広い棒状のもの
「左側頭部の骨折の形状からして、上から降りおろしたんではなく、左から水平に殴っとんですよ。」---龍野教授はこのように明言した。
「犯行メモ」の疑問
「挑戦状」のような文章は中学生には書けない!
六月二十八日のA少年逮捕以後、神戸新聞社に届けられた「第二挑戦状」について、「挑戦状は少年にも書くことができる」という解釈がマスコミや多くの識者たちによって語られるようになった。たとえば、「あの犯行声明も引用やコピーで簡単につくれそうなものだ」(「東京中日スポーツ」六月三十日付)とか、「テレビゲームや漫画などで豊富な情報を吸収し、それを寄せ集めてあのような文章を作り出すことは不可能ではない」(「毎日新聞」六月二十九日付)とかというように。
「いま考えても、あの文章が中学生に書けるとは思えない」
『現代〈子ども〉暴力論』(「増補版」を今年八月に発行)など、家族論や犯罪論の研究で知られる社会評論家の芹沢俊介氏は、『正論』八月号掲載の「『酒鬼薔薇聖斗』という精神の決壊」という論文のなかで、「第二挑戦状」の文体について次のように述べている。(以下、同誌からの抜粋) 文体の特徴から読み取れるかぎり挑戦状の書き手の知的能力はかなり高いと思う。例を引きながらその理由を述べてみよう。右の文章は少年の逮捕以前に書かれたものであるが、芹沢氏は少年逮捕後の今日、私たちにたいして次のように語っている。 「いま考えても、あの文章が中学生に書けるとは思えない。もし少年が書いたとすれば大変な能力だと思う。私は少年が犯行にかかわった可能性があると考えているけれども、この謎はまだ残るし、追究していかなければならないと考えている。」(九月十六日)犯行声明の投函場所は変えられた!
六月三日に投函され、神戸新聞社に送りつけられた第二犯行声明。その投函場所を、兵庫県警捜査本部は当初、神戸西局管内としていた(神戸新聞社が独自に調査した結果を、警察も認めたもの)。ところが、捜査本部は今日では、声明の投函場所は神戸西局管内ではなく、「菅の台郵便局前のポスト」であり集配局は「須磨北郵便局であった」などと、大きく訂正している。
神戸西局員が神戸新聞社宛の茶封筒を目撃!
「六月三日午後七時頃に、神戸新聞社宛の横書きの茶封筒を取り扱った」---このように語っている目撃証人が、神戸西局には存在している。 |
パンフ19頁のカラー写真 |
既に小学生惨殺事件の発生が世間を震憾させているなかで、茶封筒の中身が犯行声明であることがわかった時点からわずか二、三日前に、証言者はこの特異な封筒を見て目に焼き付けているのであり、それを証言しているのである。これが見間違いであったなどということがどうしてありうるのであろうか!
間違えようのない「神戸西」と「須磨北」の消印
「神戸新聞社さんは、須磨北の『磨』の中の『石』の口の部分を神戸西の『戸』の口の部分とまちがったんだよ」捜査本部は神戸新聞社にこう説明したという(21頁の神戸新聞社社会部次長・織戸新氏の証言を参照)。 |
神戸新聞社も私たちと同じ質問を兵庫県警捜査本部にぶつけたという。しかし彼らは、はっきりした答を返さながったらしい。先の見解が捜査本部の鑑定結果だというのである。 ちなみに神戸新聞社は、「たしかめようにも、もう現物は提出してますし、『自供』があったと警察が言うので、投函場所の訂正記事を出さざるをえなかった」と私たちに嘆いたのであった。
矛盾のとリつくろいで決定的な馬脚を現わした捜査本部
七月十一日に捜査本部は、A少年をマイクロバスに乗せ、少年が「自供」したという「犯行現場」なるものをつぎつぎと廻ったのであった。そしてこの「現場めぐり」の最後に、友が丘地区のすぐ西隣りの菅の台団地にある菅の台郵便局へ寄ったのであった。 |
神戸新聞社社会部次長・織戸氏の証言 「消印のすべてを照合して神戸西と確定した」 |
九月二日、調査団は神戸新聞社を訪問し、第二犯行声明の投函場所はいったいどこなのかをめぐって質問した。以下は私たちと面談してくれた社会部次長・織戸新氏の証言である。 |
神戸新聞社に送られてきた第二犯行声明のはいった封筒の消印の文字は三文字のうち真ん中の一部分のみが判読できた。それは「「戸」または「中」の文字の一部分である長方形の口の部分であると読み取れた。三文字目も角張った字であることが読み取れた。 |