降旗 学の「長目飛耳」

腰痛が促した、アナログの極への転身

 成城学園前という土地柄、美容のケアで藤原のもとを訪れる女性も多いらしい。

 映像の世界から一転して、藤原はカイロプラクティックの道を選んだ。言うなれば、最先端のデジタル社会から、むかしながらの指先の感覚に頼るアナログ社会への転身だ。だが、この転身は間違っていなかったと藤原は言う。

 「いまでこそ誰でも簡単にコンピューターを使いこなす時代になって、グラフィックデザイナーはもちろんですが、会社員だって企画書や報告書を自分でデザインして表を載せたり、写真を貼付できるようになった。コンピューターを使いこなしていることには違いないんだけど、そのぶん人間もコンピューターに酷使されているんです。少なくても、映像の仕事に携わっていたころの私はそうだった」

 ひたすら端末に向かうデザイナーたちが消耗されているのを間近で見ていて、言葉にならない違和感を覚えていた。

藤原邦康(ふじわら・くにやす)氏

 「カイロプラクティックの仕事は、クライアントとのコミュニケーションがあって、反応があって、感情があるんです。痛みがひいたとか、肩が軽くなったという声を直に聞くこともできる。アナログだからできることだと思うんですね。半年前の技術はもう古いと言われるのがコンピューターですけど、人間の身体は100年経っても変わらないんですよ。これほどアナログな仕事はない」

 だが、アナログな技術は侮れない。

 アプライドキネシオロギーという筋反射テストがどういうものか、私は施術を受けた。時間にしてほんの五分ほどのデモンストレーションだったが、藤原は私の上半身に異常を見つけた。どこに問題があるかは時間をかけて調べてみないことにはわからないが、とにかく異常があるという。

 大当たりだった。

 何年か前に私は肩を負傷し、ときおり痛みが走ることはあるが生活に支障はないので、医者に処方してもらった消炎剤を塗布して済ましていた。藤原が指摘したのは、おそらくはその部位だろう。私は、わざと黙っていたのだが。

 現代はストレスと向きあう時代だ。いじめが社会問題になり、死を急ぐ子供たちがいる。子を殺す親、そして親を殺す子供。セクハラやパワハラに悩まされるひとがいて、中高年の自殺も年々増加の一途をたどる。心を病む時代でもある。

 だが、心ばかりではない。

 心のケアにカウンセリングやセラピーがあるように、身体のケアも求められる時代なのかもしれない。ひとは生まれるとき、産道を通るだけで相当な負荷を受けているのだそうだ。そのために、海外のカイロプラクターは生後間もない赤ちゃんの骨格の歪みを矯正するのだという。これが、カイロプラクティックを“医療行為”とみなしている国々の考え方だ。

カイロプラクティック

 右利きのひとは、箸を持つにも、メモを取るにも右手を使う。財布を開くのも右手だ。それだけで身体の左右のバランスは崩れてくるものらしい。何気ない所作の一つひとつが疲労となり、堆積されて変調をきたさないともかぎらないのだ。身体はシグナルを発していても、本人に自覚がないことが症状を悪化させる原因にもなりかねない。心にも、身体にもバランス調整は必要だ。

 近く、私は本格的に藤原の施術を受けてみようと思っている。
 それが明日の活力になるのであれば。
 ジョニー・デップだってカイロプラクティックを受けているというのだし。

オレア成城

(写真:山本 雷太)

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このコラムについて

テーマは“仕事と夢と男と女”。世の中にはこんな仕事もあるのかというような仕事、知ってはいるけど実態までは知らない仕事がある。そんな仕事に生きがいを見いだす人、夢に向かって走り続ける人、そして、仕事と恋の狭間で揺れる人々の思いを活写するルポエッセイ。タイトル「長目飛耳(ちょうもくひじ)」とは“遠くのことをよく見聞する耳と目”の意。

筆者プロフィール

降旗 学(ふりはた・まなぶ) 

ノンフィクションライター。1964年、新潟県生まれ。神奈川大学法学部卒。英国アストン大学留学。96年、第3回小学館ノンフィクション賞・優秀賞を受賞。主な著書に『残酷な楽園』『敵手』『松坂大輔 証明』他、剣崎学のペンネームで書いた『都銀暗黒回廊』など。近著は『草野球をとことん楽しむ』(新潮新書)

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