素人の宴会芸『源平芸能合戦』

 1960年は、池田内閣が“所得倍増計画”を発表し、大量生産・大量消費の時代が
開幕した年。お父さんたちは日本経済発展のために、会社人間となって“モーレツ社
員”化していったのだ。
 地縁・血縁といったそれまでの社会規範から、会社という存在が大きく頭をもたげて
きた。会社のためという思想が生まれたのは、この頃からだろう。それまでは、お国の
ためであり、家族のためだった。

 その頃、ライバル企業の社員たちが、自分の隠し芸を会社対抗(例えば、キリンビー
ル対アサヒビールといったような)で披露する『源平芸能合戦』という番組があった。
 現在のように、個人の目立ちたがりが受けを狙うのでなく、会社を代表して、という
のが時代にマッチしていた。隠し芸といっても、手品とかコーラスという真面目なもの
から、顔を描いた腹をクネクネさせて踊る“腹芸”や、お宮に女装した男が貫一を投げ
飛ばす“金色夜叉”といった宴会芸まで種々雑多だった。
 それを審査員が採点して勝ち負けを決めていた。大笑いさせてくれる宴会芸の方が、
概ね点数が良かったよなあ。

 司会は福ちゃん。スポンサーが福助足袋だったので、福ちゃん。他の番組で司会を
しているのを見たことがないので、福助足袋専属だったのかもしれない。
 そういえば、松下電器が提供していた『ズバリ!当てましょう』というクイズ番組の司
会をしていた泉大助も、松下のCM以外では見たことがなかった。メーカー専属という
形態が当時あったのかも……。

 前年の1959年は、世紀の大イベント、皇太子(現、平成天皇)御成婚のあった年
だった。婚約発表のあった58年11月から御成婚フィーバーが始まる。
 テニス・軽井沢・聖心女学院が良家のお嬢様ブランドになった。女の子の誕生した
家庭では美智子と名をつけ、「ご清潔で、ご誠実で」が流行語となった。
 電機メーカーが「皇太子の御結婚をテレビで見よう!」と宣伝。どうせテレビを買う
ならこの機会にと、婚約発表から御成婚の4月までの5ヶ月で百万台も売れたのだ。
 前年の4月にやっと百万台に達した状況からみても、この凄さがわかるだろう。
 “岩戸景気”という社会背景があったにしろ、皇太子御成婚は、その後の経済発展
の起爆剤になったことも事実だよ。

 御成婚の日は金曜日だったが、授業は午前中でおわり、紅白の餅をもらって帰宅
した。テレビは御成婚の特集一色だった。パレードを見たって面白いものでもなし、私
は友人たちと「ひなまつり」の替え歌を歌いながら野球をしていた。

灯りをつけましょ 百ワット
お花をあげましょ 若乃花
五人囃子のロカビリー
美智子とならんだ皇太子

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