後志広域伝道責任教職 吉 田 達 臣
岩内集会所は、後志広域伝道というプロジェクトによって建てられた集会所です。全国プロジェクトとして後志広域伝道が開始されたのは、もう10年前のことです。4年前からこのプロジェクトを北海道地区が引き継ぎ、その活動が継続しています。種まきの時期があり、やがて芽をふきだし、2年前のペンテコステに、初めての受洗者が与えられました。他教会からこれほど祈られ、また献金によって支えられた教会はないでしょう。
すごい勢いで成長していくということはありませんが、花の成長のように、芽が出て双葉が開き、茎が伸びている様子が目に見えて分かります。初めて与えられた受洗者は、この春、結婚のため岩内の地を離れましたが、また新しい種が落ち、今年のペンテコステに2人目の受洗者が与えられる予定です。
活動は毎週金曜日の午後1時30分から、第1週と第3週は礼拝、第2週と第4週は聖書研究会をしています。それ程人が集まりやすい時間帯ではありませんが、毎週2〜5名ほどの人が集ってきます。責任教職である大麻教会の吉田が寿都教会へ行く途中、岩内に立ち寄り奉仕をしています。その他にも英語の聖書研究会が毎週木曜日に開かれています。
特別奉仕者(VMS)として元宣教師のアービー・パチキ先生が、この教会で奉仕をしてくださり、英会話教室を開いています。英会話教室によって地域からの信頼を得、また岩内の人達と知り合うことができます。パチキ先生の人柄を慕って、多くの人達がこの建物に出入りして行きます。
宣教師によって建てられた教会ではなく、日本ルーテル教団が自らの力で生み出した教会です。ゆっくりとした歩みですが、少しずつ前へ進んでいます。宣教の最前線に立って強く感じることは、み言葉が強い力を持っていることです。岩内に住む幾人かの人の人生に、神様の言葉が着実に影響を与え、人を慰め、人を支え、人を導いています。道のないところを歩むのは大変ですが、一歩進むごとに道はできていきます。この教会は賃貸の建物ですが、北海道地区の教会の献金によって支えられています。昨年は献金のうちの25%を岩内の教会で支えました。月に一度は他教会の何人かの婦人達が、共に礼拝してくださり、献金をしていってくださいます。
日本ルーテル教団自らの力で生み出したこの教会の歩みを、これからも祈りによってお支えください。
☆ 4月から新しくフルタイムの事務局員として下枡幸枝さんが勤務することになりました。仕事の内容は庶務全般と「教会だより」の編集、レイアウトです。竹の塚教会員です。よろしくお願いします。姉妹のためにお祈りください。
☆ 統計表のためにご協力いただきありがとうございました。全教会から提出いただきました。ただ、2、3計数の基準が不正確なためそれを修正しなければなりませんので配布までにもうしばらくお待ちください。
☆ 連帯献金と退職金負担金の申告を感謝します。まだ申告されていない教会はよろしくお願いします。
事務局長 鈴 木 素 雄
2003年第3回常議員会は、予定通り、下記の日時で開催されますのでお知らせいたします。
記
日時:5月26日(月)午前9時30分より
場所:東京ルーテルセンター 1階会議室
チャプレン:木村繁雄師
座長:先本建夫氏、士反賢一師
議案・報告の提出期限は5月16日(金)まで
提出部数:1部
以上
2003年4月25日
宣教支援室
昨年秋会員の声を聞き、これからの伝道方策に生かしたいと願ってアンケート調査を実施しました。教団全体で約千人の活動会員を対象にお願いし、156名の方々から回答を得ました。ご協力を心から感謝いたします。
その内容をざっと振り返って見ますと、アンケートは五つの自由記述方式の質問と、一つの回答者の個人情報に関する項目からなっていました。そして回答は圧倒的に40、50、60歳代からであり、10、20、30歳代はどうなったのか。確かに6年ほど前のデーターではこの年代が少ないことは明らかですが、教会の将来を考えるときこの年代の声を生かす工夫が必要であると痛感させられました。
回答の内容分析に関しては、自由回答であったので当然回答は多岐にわたり、それを数値で表して分析することは危険であると判断しました。例えば、ある人は一つの質問に一つの回答を寄せ、ある人は10もの回答を寄せて下さったので、11通りの回答が出たことになりますが、それぞれの回答の重さを同じと見ることができるだろうかという問題です。そこで回答をパーセントなどの数値で表さず、大雑把ではあるが一つの傾向、流れを読み取り、それを報告とさせていただきたいと思います。
アンケート結果に見る 「望まれる教会」
それぞれご自分が属している教会の良いところ、妨げとなるところを自由に書いていただきました。そこから多くの信徒が今望んでいる「教会」、「説教」、「牧師」、「牧師夫妻」、「教会員」とは何かを表すキーワードがでてきました。以下は上記の項目ごとに出て来たキーワードを文にしたものです。
「教会」、参加の自由を認めながら、家庭的な雰囲気で暖かく、そして前向きで婦人会や奉仕活動が活発に行われて、祈りで結ばれているような教会を希望しています。
「説教」は、分かりやすく、霊的恵みがあり、充実し、励まされ、心に残るものが求められています。また、望まれる「牧師」は人柄よく、信徒に対して心から真剣に考えている人です。「牧師夫妻」には、暖かく、誠実で、尊敬できることを望んでいます。
また、「教会員」は、相互信頼を持ち、人を暖かく思いやりをもって迎え、愛があふれる人々です。
現在の問題点
教会というとき、そこで今問題となっていることは牧師の人柄であり、説教の重みであることはしっかりと受け止めていかなければならないと考えます。教会員も牧師に求められるものと同じものが基本的に求められていることが分かります。しかしそのような教会が、どんな使命をもち、どんな働きをしていくのか、残念ながらほとんど問題となっていません。
今後の取り組み・展望
(1) 求められている教会像は、暖かい雰囲気、自由で活発な教会で、そのため第一に人柄の良い牧師夫妻と分かりやすく良い説教、積極的な牧会が求められています。
そこで、牧師養成に際しては、人間関係の成熟を含めた全人的な成熟がさらに強調される必要があると考えられます。
(2) しかしそれだけで良いのだろうか。いろいろな困難を乗り越えて教会に定着している壮老年層は(1)のように望んでいますが、若い世代はどうでしょうか。そのためにはこの年代のニーズを探るために、この年代の会員達と泊りがけのブレーンストーミングの会を開いて、じっくり話し合ってみたいと思います。
(3) 活発な教会活動と積極的な伝道のために、教会はふれあいの場となるような、色々なプログラムを持つ必要があります。教会学校、青年会、聖書講座、講演会、バザー、コンサート、合唱団、讃美礼拝、地域への解放などなど…。
(4) 他から学ぶことはいつも重要です。伝道や若者の育成に取り組んで成果を上げている日本福音ルーテル教会の、色々な全国的規模の大会にNRKからも参加することを勧め、学び、リーダーを育成していくことを考えたいと思います。
(5) 1999年の教団総会は「礼拝共同体のみならず、伝道共同体を志向する教会づくり」を掲げました。それは、礼拝する私達がそこから伝道に遣わされるという意味があります。2002年総会は、「タラントを主に捧げる教会へ」であり、礼拝から伝道へ、牧会へ、教会形成へと進むために牧師の役割は重大です。牧師は「聖徒たちを整えて奉仕のわざをさせ…」(エフェソ4章12節)の任務を受けています。与えられた現場で全身全霊をもって取り組むことが全てにまさって必要なことと思います。
(6) しかしまた、宣教のわざは、教会に委ねられたものですから、教会として取り組むべきです。伝道フォーラム、修養会、サマーキャンプ等において具体的実際的な課題が十分な準備の下に継続的に行われるべきと考えます。
(7) 宣教支援室としてはアンケート結果をさらに検討し、取り組めるものから取り組んでいくつもりです。また基本的資料として毎年の教勢報告に、年代別統計を復活したらよいと思います。
札幌中央教会員 榎 本 薫
私は18歳で受洗しましたが、その思いをシュスラー牧師に申し出たときのことは忘れられません。
「先生、私洗礼を受けたいのですが」
「えー、本当ですか」
といったような会話だったと思います。あまりにも意外だったのでしょうか。それとも大きな喜びだったのでしょうか。シュスラー牧師の穏やかな満面の笑みは、私に大きな幸せを与えてくれました。受洗できることはこんなに大きな喜びなのだと改めて思いました。
これから長い長い信仰生活のスタートになるのです。若さとはその喜びだけが一杯で、その他のことは何も気がつきません。
八木重吉の詩を思います
きりすと
われにありとおもふは
やすいが
われみづから
きりすとにありと
ほのかにてもかんずる
までのとほかりしみちよ
きりすとが わたしをだいてゐてくれる
わたしのあしもとに
わたしが ある
社会人となった私の環境は今までと違って、たくさんの要素が加わります。そんな私は礼拝に出席していたものの青年会にはあまり参加せず、少し横から見ているようになるのです。不思議なことに、そのときの青年会の会長が夫になるとは…
結婚をして、子供に手が少しかからなくなった頃、何か自分が打ち込めるものはないかと考えるようになりました。
「書道」の出発点です。家の近くの会館で「書道教室」があるとのこと。年賀状を筆字で書くことが出来たら、という思いから習い始めました。
とにかく、遅い目覚めの得意な私ですから、淡々と通っていました。その当時、私はまだ若い方で、同じ団地の先輩主婦、定年退職後の男性から、書のほか子育て、家事のアドバイスなど、学ぶことが多く、地域の中で知人がたくさんできました。今でも地域でお会いすると懐かしく嬉しく、私の財産です。
この教室には5年ほど通いました。この間、書は漢字を古典から学ぶのが主ですが、仮名文字、細字と、基礎を学びました。そのうち私は仕事を持つことになって、教室に通うことが不可能になり、教室をやめ、結局数年間、書をやめました。
「それは極めて良かった」 創世記1章31節
総理府の生活環境意識調査で、「いま住んでいるところに、生涯、住み続けたいですか」との質問に、北海道の人の約57%が「はい」と答えたそうです。これは全国1位でした。つまり北海道に住む約6割の人たちが、自分の住んでいる北の大地を愛し、すべての季節を愛し、この地に満足している事を意味します。
でも北国の生活環境は決して心地よいものではありません。特に冬の季節は厳しい寒さと豪雪の連続であり、父なる神は、私たちからあらゆる恵みと祝福を取り去り、試練のみを与えていると思われるような世界。主の御業が全て止まってしまったような世界、それが北国の冬です。
そんな北海道に、人々はなぜ住み続けたいと思うのでしょうか。それは北国の春にあるように思います。厳しい冬が終わると、創造の主は北の大地に美しい花の季節を与えて下さいます。主はこの皐月の季節に、多くの草花に生命の息吹を与えられます。爽やかな風と、日の光りを与えて下さいます。梅と桜が同時に咲きます。すみれや木蓮も咲きます。勿論、こぶしの花や水仙・たんぽぽも咲いています。そのほか多くの草花が芽吹き、蕾が膨らみます。それは主の創造の御業が、一斉に始まったことを実感させるに充分なものです。
創世記1章31節に『神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった』と記されています。そして北国に美しい草花が咲き乱れる季節が巡り来るたびに、私はいつもこの御言葉を思い起こします。そしてこれらの草花は、あの厳寒の季節を神に守られつつ生き抜いたのです。主は創造の御業を休むことなく、すべての生命を慈しみ育てておられることを実感できるのが、北国の春です。主なる神が北の大地に創造される春の季節は極めて良いものです。その北国に住み続けたいと答えた57%の人々のなかに、私もいるのです。
樫 木 芳 昭
横浜の隣町、横須賀はカレーの町です。そのカレー、発祥の地インドから英国に渡り、それが明治期の旧日本海軍の兵食に取り入れられ、今日の形になったと言われています。そのカレーと並んで、旧海軍の兵食から普及したのが肉ジャガです。肉ジャガと言えば、これはもう北海道の男爵いもです。
この男爵、戦前の貴族の最下位の称号です。貴族など、私たちには別世界の代物のように見えますが、まったく無関係というわけではありません。宗教改革期にルターを支持し、反対派の魔手から彼を保護し、宗教改革を支えたのがドイツの貴族です。彼らにそのような力があったのは、彼らが日本の貴族と異なって自分の領地(ミニ国土)と軍隊を所有していたからだそうです。
西欧の貴族制度はさておき、爵とは何かと漢和辞典を調べたら、もともとはスズメの意味で、古代中国の宮廷で、皇帝がそのスズメの形をした杯(爵)と礼服、そして禄を愛顧のしるしに、あるいは功に応じて5階級に分けて家臣に与えたところから、中国では爵が貴族の意味になったそうです。(領地はなし!)
いまは聖餐式で杯の語が普通ですが、聖爵という語を用いた時期がありました。
『食事ののち、杯も同じようにして言われました。「取って飲みなさい。」』
聖餐の杯は神が与える聖なる爵、私たちに功績はなくても、神は聖なる爵を与えて、私たちの罪を赦し、天の祝宴に与らせてくださるのです。義の衣という礼服付きで!
リチャード&サンドラ・ネルソン
妻のサンディと私は、10年半前に来日いたしました。その後の歳月は、日本が私たちの故郷となりました。このため、皆さまにこのように手紙を書くことを悲しく思っております。
昨年12月11日に、3月末までにアメリカへ帰国しなければならないという知らせを聞き、私たち二人は驚きとショックを受けました。LCMS海外伝道部が財政困難な状態にあり、多くの宣教師職を削減しなければならないということは知っていましたが、まさか自分たちがその中に入っているとは思ってもおりませんでした。
近ごろは、日本ルーテル教団で始まった小グループ伝道にかかわることができて嬉しく思っておりました。皆さまご存じのように、世界中のキリスト教会で現在急成長をしているのが、小グループの教会です。私たちは、教団の小グループ伝道に携わることができたことを大きな名誉と考えております。これからも教団の皆さまと、この伝道のために祈ってまいります。
アメリカへ帰国したら、私たちには、世界中の小グループ宣教の研究とその促進に専念しているテネシー州ナッシュビルでの宣教を要請されています。私たちは、この機会を受け入れ、この年末あるいは来年早々にナシュビルへ引越す予定です。この伝道団体は信仰を基礎とした活動であるため、ナッシュビルへ引越す前に、支持者を得る必要があるでしょう。日本における小グループの働きと経験のゆえにこそ、私たちはこの活動に携わることを望まれたのでした。
私たちは日本を離れることを非常に残念に思っております。日本を去っても、十字架にかけられ、よみがえられた私たちの主とその救いについて知らない数百万人の日本人のことを考えずにはいられません。この世で迷っている人を捜して救うという神さまの大いなる目的が果たされますよう、皆さま一人一人を通して、神さまが力強く働きかけてくださることを私たちは祈ります。
日本で神さまに仕え、多くの皆さまと知り合う機会を与えてくださった神さまに感謝を捧げ、讃美いたします。再びお目にかかれる日まで、私たちの主が皆さまと共におられますように。
p.s. 私たちは当分娘の家に滞在します。
住所のお問い合わせ先 : dayori@jlc.or.jp
ネルソン師 E-mail : richardnelson46@hotmail.com
聖望学園校長 湯 口 隆 司
出エジプト記第3章は、神からの召しに対するモーセの迷いが良く現れています。「私はいったい何者でしょう」というモーセの問いは、私の気持ちと同様でした。状況や環境が変わる変化の時、神さまの答えはいつも明確でした。「共にいる」という短い言葉です。
「私はいったい何者なのでしょう」という根本的な質問は、しかし私個人だけでなく、校長として就任した聖望学園、さらには日本ルーテル教団そのものにも問われていると思います。それは当学園の「日本ルーテル教団の信仰にもとづく学校教育を行う」との目的からも明白です(寄付行為第三条)。いじめ、家庭内暴力、貧困、差別、戦争、大量破壊兵器、環境破壊、グローバル化など、今日の社会・世界は混迷の只中にあります。
「教団の信仰にもとづく」学園の役割も、社会変化の中で根本から問われています。市場主義、創造的な思考、自由と責任など新たな問題に対して教育現場だけでなく、聖書に立った視点と挑戦が必要な時期に来ていると思います。魂の救いの問題、癒し、和解と赦しなど現代社会が教会に期待する事柄はさらに広がっています。
この変動の中で聖望学園のモットーである敬愛信義は、きっと意味ある回答を生徒、保護者、教師に与えてくれると信じています。そのためにも日本ルーテル教団につながる皆さまのご支援、ご理解、お祈りが必要です。「私は必ずあなたと共にいる」という神さまの約束を信じ、この希望に堅くたち、これから聖望学園の教職員ともども歩んで参りたいと思います。
深川教会員 沼 田 浩
私たち深川エマヌエル教会は、白井真樹先生を新しく牧師としてお迎えする恵みに与ることができました。主の聖名をほめたたえます。
按手・就任式は、4月6日午後5時より当教会の礼拝堂でしめやかに行われました。
教団議長の樫木芳昭牧師によって按手が執り行われ、北海道地区内の教職者の方々が司式を担当してくださいました。按手の部で列席された教職者のみなさんが、お祝いの聖句を述べておられました。説教は、マルコによる福音書2章1節〜12節のみことばを用いて、『イエスが御言葉を語っておられると』というテーマで、鵠沼めぐみ教会牧師大和淳先生が取り次いでくださいました。就任の部の後、就任された白井先生の司式によって聖餐が守られました。
就任式の後、帰る時間が迫っているということで、日本ルーテル神学校校長の江藤直純先生からお祝いの言葉、励ましの言葉をいただきました。その後、レセプションに移り、当教会の婦人会の心づくしの手料理を食べながら、祝電披露、また、大和先生をはじめ、多くの先生、信徒の方々からお祝いの言葉がありました。
午後8時、105名以上の出席をいただいて、祝福のうちに終えることができました。感謝です。
大和先生の説教に、イエスさまがみことばを語られるとき、みことばに集中して従うときに力が与えられる、とありました。私たちも神さまの導きの中で、白井先生とともに、みことばを宣べ伝え、栄光を少しでも輝かすことができるように、互いに愛し合い、励まし合いながら、神の助けによって、神のしもべとしてふさわしく成長させていただきたいと願っております。
みなさん、どうか私たちの教会の新しい歩みを覚えてお祈りいただければ幸いです。
館林教会牧師 五 十 嵐 誠
この度、7年ぶりに牧会の現場に復帰することになりました。横浜教会を退任したとき、再び牧師にはなることはないと思っていました。それは、私を支え、愛してくれた会員へのお詫びと信じたからです。そんな中でも、亡き家内は私が教会で奉仕することを願っていました。その願いが備えられたとも言えます。
牧師を退任したとき、多くの方から「先生、楽になったでしょう」と言われました。おそらく、説教を念頭に置いてのことでしょう。しかし、私はそうではありませんでした。退任とは、毎週定期的に説教をする場を失うということで、本当に寂しい思いをしました。それは予想もしなかったことでした。知人の教会での説教や結婚式でのお話は楽しいものでした。今回、定期的な場所がかなえられました。
私は4月から館林教会を担当しました。他の教会の招聘もありましたが、健康や生活から、東京から通いで出来る点で館林になりました。館林は30年前に3年間、大宮との兼牧でおりましたから、帰ってきたとも言えます。館林は小さな、小さな教会・集りですが、立派な教会と牧師館があります。この恵みを前にして、静かに考えているところです。
私も年をとりましたから、出来ることは限られていますが、主が望まれていることを会員たちと見つつ、共に、励みたいと思っています。
復帰に当たって、かっての同僚たちの励ましを感謝します。
飯能教会員 面 川 弘 之
まさに「信じられない思い」だった。日曜礼拝後の役員会で「県へ出す備品台帳の整理を早急にやりましょう」と言って別れたその3日後だった「阿古先生が意識不明で慶応病院に運ばれた」という電話を受けたのは。
阿古先生は、1929年東京は新橋の生まれ、1953年4月、発足3年目の聖望学園に来られ、学園の草創期から発展に貢献された。私にとっては大学の、職場の、人生の、そして信仰の先輩にあたる。
学校では商業・簿記を教えられ、1973年から14年間は教頭として校務運営委員会を率い夜遅くまで連夜の会議やら、教職員の苦情処理やらに労を厭わず取り組まれた。地味で温厚な先生はめったに怒ることは無かったが、理不尽なことに対して会議のテーブルを激しく叩いて怒られた事もあった。
飯能教会で、かつて「ミス飯能」にも選ばれた美人で気配りの良い后代夫人と出会い、一男一女を得、今では6人のお孫さんに恵まれ、幸せな日々を過ごしておられた。
ご夫妻は40年も前から正月里親の奉仕活動を始められ、児童養護施設「神愛ホーム」の後援会を組織し、89年からは理事、92年からは理事長として同施設の移転問題や法人化へ尽力された。預かった里子は長じてご夫妻を「自分の両親です」と彼女に紹介したと言う。先生は旅行が好きで「時刻表を見ているだけでも楽しい」と言われ、将棋の天童市のことや沖縄旅行の思い出などを聞かせて頂いた。
先生の生涯は、好まれた聖句「ガラテヤ信徒への手紙5の22、23」を実践されていたのだ、と思う。神愛ホーム理事長、教団監事、聖望学園監事、教会の役員に加え、地域のボランテヤ活動までされていた。定年後を過ごすには多忙過ぎたのでは、と思うが、先生は喜んで実践されていた。ご夫人と共に2泊3日の九州旅行に出かける山手線の車中、心臓発作で召されるとは地味な先生に似合わない劇的な最後であった。先生亡き今、その存在の大きさに改めて気付かされている日々だが、及ばずながら先生の生き方に習い、信仰を全うし、天国での再会を望みたい。
● 札幌山の手教会
牧師 宮 崎 篤
去る4月6日(日曜日)に深川教会で行われました《白井真樹牧師按手就任式》の様子を只今、インターネットラジオ(録音)で放送中です。
アドレスは以下。
http://www.fmapple.co.jp/syl/page059.html
このラジオはADSLなどの高速通信回線でお聞きくだい。
ISDN等では音声が途切れたりすることがあります。また料金がかかる場合があります。
* 当記事は掲載時前後の情報であり、現在は聴取できません。
鵠沼めぐみルーテル幼稚園園長 大 和 淳
鵠沼めぐみ幼稚園は、1953年に県から認可を受けて以来、昨年、2002年度、創立50周年を迎えました。その開園以来 ― 実際にはそれより前、鵠沼めぐみ教会の宣教開始と同時に、初代宣教師マイヤー師によって開園したのですが ― 今も一貫して、日曜を保育日(礼拝と分級の教会学校)として守り続けている幼稚園です。キリスト教幼稚園の中で、そのような教育姿勢を貫いてる幼稚園は全く希有になりましたが、幸い、そのような伝統がこの地域の方々によく理解され、[ルーテル]と呼ばれ愛され信頼されて今日に至っています。そうして園児数70名足らずの小さな幼稚園ですが、歩いて通える地域の幼稚園として50年、現在は卒園生が父母となり、親子二代で通うことになった園児も少なくありません。
そうした地域から得られた信頼は、これまで関わってくださった多くの諸先生方の働きを通して培われたことを思うのですが、同時にまた、教会員の方々の常に変わらぬ祈りに支えられてのことであることを実感しています。
そのような伝統を担いながら、しかし、確実に変化している時代の中で尚より良い教育を求めて、一昨年、新たに教会員である遠藤公子姉を主任として迎え、現在、教諭5名、事務職員1名、非常勤教師1名という体制で幼児教育に取り組んでいます。
更に、本園の特色をもう一つ紹介するとすれば、卒園した子どもたちが、教会学校の平日化として開かれている[めぐみ教室]、そして教会学校につながっていけることでしょう。
『入園案内』には[「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコ福音書10章14節)のイエスさまのお言葉にしたがって、ここに集った一人ひとりの子どもたちが大地にしっかりと足をつけて将来に向かって歩んでいくことを祈り願い、鵠沼の子どもたちの心のふるさと、安らぎの場所として保育を続けています]と書かれていますが、更に一層教会が子どもたちの、また父母の[心のふるさと]となり得ますよう、教職員、教会員も祈りを合わせて、働き続けたいと願っています。
最後に『入園案内』から、教育方針を抜粋して、この紹介を締めくくりとしたいと思います。
◇ かけがえのない一人ひとりの可能性を伸ばす
どの子も、体だけではなく、自ら伸びていく力をそれぞれ内にもっています。一人ひとり違うその個性という可能性を大切にし、それがのびのび十分に発揮されるために、一人ひとりをどこまでもかけがえのないひとりの人格として尊重すること、何よりそこにわたしたちの教育の根本があります。
◇ しなやかな心を育てる
幼稚園という集団生活は、子どもたちにとっての社会生活です。大切なのは、その集団=社会にその子が適応すること、またさせることではなく、社会を創っていく力を養うことです。それには、自分がこの集団・社会=幼稚園にかけがえのない一員として必要とされている、そのことを子どもが実感し得てはじめて可能になります。そのような信頼から、友だちを思いやり、共に生きようとするしなやかな心は育っていきます。
◇ 命の尊さを知る
人は誰も一人では生きられません。それは、人は[生きている]のではなく、[生かされている]命であるということです。その命の尊さを知る柔らかな心、他の命を大切にする強い心を常に育みたいと願っています。
これら三つのわたしたちの教育の柱は ― キリスト教の精神 ― その教えに立っています。
前回LWFアジア会議の報告をいたしましたが、数に間違いがありました。
参加されたのは18か国より46教団・教会の120人の代表者でした。お詫びして訂正いたします。
■発行日 2003年5月10日
■発行者 日本ルーテル教団 〒102-0071 千代田区富士見1-2-32
電 話 03-3261-5266 Fax 03-3262-7759
■教会だより編集委員 高野公雄(編集長) 野村 治
樫木美佳留 下枡幸枝
■Eメールアドレス dayori@jlc.or.jp