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拉致から死刑判決、一転し権力トップに 金大中氏

2007年10月24日21時04分

 民主化運動の指導者だった金大中(キム・デジュン)氏は、軍事政権から弾圧を受けながらそのつど復活し、大統領まで上りつめた。拉致事件は苦難と栄光の原点でもあった。

 金氏が注目を浴びたのは71年の大統領選。軍事独裁をしいた朴正熙(パク・チョンヒ)大統領を90万票差まで追い詰めた。民主化を求める世論を吸収した金氏は政権にとって危険な存在となった。72年、朴氏が事実上の終身大統領制を導入すると、日本で民主化運動を展開。拉致されたのはそんな時期だった。

 解放後、軟禁生活を強いられた金氏に79年、朴大統領暗殺でつかの間の春が訪れたが、クーデターで登場した全斗煥(チョン・ドゥファン)政権は、光州事件(80年)の首謀者として金氏に死刑判決。米日の圧力で減刑されたが、事実上の米国亡命を余儀なくされた。

 帰国後、87年大統領選に立候補したが、金泳三(キム・ヨンサム)氏との一本化に失敗し敗北。92年大統領選では、その泳三氏に敗れて政界引退を宣言した。だが、政界復帰し、97年の大統領選では朴政権の初代KCIA部長だった金鍾泌(キム・ジョンピル)氏と手を組み、最高権力をつかんだ。00年の初の南北首脳会談も評価され、ノーベル賞(平和賞)を手にした。

 韓国大統領は強力な権力を持つが、金大中氏は在任中、自ら事件の封印を解くことはなかった。「真相が解明されれば、被害者の私が韓国政府を代表して日本に謝らなければならない」。当時の思いを側近にこう語ったという。

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