2.研究
最新論文 「有機農業と循環型社会について」(『香川大学経済論叢』第80巻第3号)
液晶の画面が一新され、領収書をみると、「マザーボードLCD」を何とかしたと書いてある。液晶を見せるために、どこかにあるランプを機能させねばならないらしいが、それだけのことに、これだけの処置が必要なんだな、ということがわかる。
ところで、この修理に、いくらかかったか。8万円近くかかって、保証期間中だからということで、その半額でOKとなった。保証期間中は無料修理かと思っていたらそうではなく、最初から、たとえ保証期間中といえども、修理には半分の金額をいただきますと書いてあった。
ノートパソコンのようなものは、持ち運びをしながら使用するものであるから、どんな使われ方をするか、わからない。だから、保証期間といえども折半です、というのはわからなくはない。一人一人の使い方など、確認しようがないもの、な。
だから、別に文句はないが、でも、いまの時代を考えさせられるよなあ。私の印象では、これは明らかに製作した方のミスだと思う。ノートパソコンを落としたわけでなかった。いつものように使用していて、液晶画面が突然プツンと切れただけである。
だから、ノートパソコン製作時に、何らかのミスをしたか、どこかの部品の品質が悪かったのだと思う。所詮、パソコンは、世界各地で部品を作っていて、それを結合して完成品にするものだろう。同じ部品の組み合わせといっても、自動車などの作り方とは明らかに違う。
そうなると、日本の企業がどこまできちんと品質管理が出来ているかという問題がそこには含まれることになる。設計図は日本から送っているのだろうけど、その後は、いろいろなところで部品が生産され、完成品の組み立てまで外国でやって、それが日本に輸送されるだけかもしれないし・・・、なあ。
まあ、それはそれとして、今度のことを教訓にして、同時に自宅のパソコンにも外付けのハードディスクをつけることとした。300メガを超えて、1万3千円ほどであった。安い。
実は、いま大学の外付けのハードディスクは、自分で買ったものである。自分で買ったものを大学の研究室で使うということは、本当はいけないことらしい。しかし、何せ、科研費も申請せず、研究費が通常の先生に半額になっても「構わないさ」と嘯いている人間であるから、少々の費用は自分持ちでやらねばならないのだ。
科研費の申請ただ、定年後は、大学の外付けのハードディスクは自宅に持って帰るから、結果として、二つのハードディスクが自宅のパソコンにはつくことになる。もう本体のハードディスクには、一切ファイル等の保存をしないようにしようかなあ。今年の申請もやらなかった。学部長が「安井さん、今年もやらないの」と納得できない顔をして言ったが、無視して「やらないさ」で終わりにした。
学部長の立場はわかるけど、科研費申請をしない人間をまるで罪人扱いにするのは、おかしいだろう。
国家予算にこれだけ赤字がある。とすれば、節約できるところは節約するというのは、法人化したとはいえ、国の予算で運営している大学としては当然の義務だろう。もちろん、多くの大学人は喉から手が出るほど予算はほしいに違いない。しかし、経済理論をやっている人間にとって、研究や教育に特別の予算など要らない。
いいかわるいかは、研究評価や教育評価をやれば済むことである。事実、そういうシステムがどこの大学でも動き始めているではないか。わが輩の最近の研究テーマは、日本の農業問題だ。前にも書いたように、言っていることは、小農といえども価値増殖を追求したらいい、というだけである。そんな理論を構築しようが、現実の農業問題には何の役にも立たない。しかし、農業資本家と農業労働者と土地所有者から織りなす関係で農業問題を考えるというパラダイムを転換しろ、というわが輩の主張は、いままでの既成概念を打ち破ることにはなるだろう。だから、農業経営を考えろ、攻めの農政を考えろ、といった議論がその延長上に出てくる。
こんなことは、何も農村に入って実態調査などしなくても、鉛筆と紙があれば構築できる、それが理論というものだ。だから、金は要らんのだ。科研費申請をどうこう言うまえに、俺の理論を批判してみろ、てね。