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筑前いじめ自殺1年:黒塗り そして非公開  厚い学校の壁

岩脇さん夫妻が情報公開請求で得た資料は真っ黒だった=高橋咲子撮影
岩脇さん夫妻が情報公開請求で得た資料は真っ黒だった=高橋咲子撮影

 晴れた日は雄大な立山連峰が姿を見せる富山市中心部の自宅で、岩脇克己さん(66)、寿恵さん(64)夫妻が一人娘、寛子さんのアルバムをめくった。誕生ケーキを前に破顔する少女。プールで、山で、遊園地で、家族に囲まれた笑顔が躍る。だが、成長の証しは、中学1年だった88年12月12日の髪を結わえてほほ笑む写真で唐突に終わる。

 寛子さんはこの9日後の21日未明、13歳で自ら命を絶った。同級生にわざとぶつかられて転倒し骨折したり、「岩脇殺すことにさんせい」というメモを書かれるなどのいじめを受けていた。同級生6人の名を挙げ「ねぇ、この気持ちわかる? 組中からさけられてさ、悪口いわれてさ、あなただったら生きて行ける? 私、もう、その自信ない」との遺書を残していた。

 どんな苦しみを味わったのか。なぜ助けてあげられなかったのか。

 夫婦は七回忌を前にした94年「仏前に供えたい」とクラスの生徒が書いた作文を情報公開請求した。しかし、富山市は「焼却した」。「いじめの原因が書いてあるのでは」と期待した学校の事故報告書はほとんどが黒塗り。学校の対応を記した経過表も28ページ中、判読できるのはわずか31行。黒塗り回答に加え、「不存在」「非公開」の回答を受けるたび、2人は異議申し立てを重ねた。

 96年には学校を相手取り損害賠償請求訴訟を起こしたが、8年後、敗訴が確定。裁判の中でいくつかの資料が全面公開されたが、十分な指導や調査をしなかったことが分かっただけだった。

 黙って逝ったわが子のことを一から十まで知りたい。多くの遺族は望むが、かなわない。鹿児島市で95年、自殺した池水大輔君(当時14歳)に関する生徒へのアンケート結果は遺族には概要しか説明せず、市議会とマスコミに詳細な内容を公表した。横浜市で98年に自殺した小森香澄さん(当時15歳)のケースでは、校長が「人権侵害になる」とクラスの調査にすら消極的だった。

 岩脇さん夫妻は「(自分たちの事例から)学んで学校を変えてほしい」と願う。寛子さんの死から20年近くたつのに「いまだに、なぜ死んだか理解してやれない」。克己さんが漏らした。

 2007年10月8日

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