また、朴孟雨(パク・メンウ)蔚山市長はあいさつで「胸を痛めた過去の歴史は忘れ、未来に向かって確かな友情を重ねていこう」と和解の手を差し伸べた。これに対し、幸山政史熊本市長は「歴史的に見て被害者である蔚山のほうが先に心の扉を開いてくれた」と感謝の意を伝え、「真の友人になるよう、ともに最善を尽くそう」と誓った。
熊本市長は、このような発言は一切していないと、市役所広報課は断言しています。
蔚山と熊本の悲しい歴史は、約400年前の丁酉再乱(慶長の役)で、日本軍を率いる加藤清正が蔚山に駐屯したことから始まった。その後、敗退し追われる身となった加藤清正は、蔚山の陶工や製紙・瓦・築城技術者ら1000人を自らの領地である熊本へ連れて行き、彼らに熊本城を築くよう命じた。蔚山の築城技術により作られた熊本城は「難攻不落」と言われ、江戸城・大阪城とともに日本が誇る3大名城になった。蔚山の技術者たちが強制的に住まわされた町は「蔚山町」と呼ばれ、今も「蔚山しょうゆ」を作る工場があるなど、城下町には当時を物語るものが残っている
この部分については、熊本市役所、国際交流課が、事実ではない点を抗議すると約束しました。
熊本市役所 熊本市役所 096-328-2111
回答者 広報課 しおなが氏
また、何故このような記事を掲載するのか、と言う抗議を朝鮮日報に行ったところ、
”記者が帰国中で詳細は不明” と言う回答であったと報告を受けました!