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薬害肝炎「放置でなく隠ぺい」…大阪の原告、心境語る

 血液製剤でC型肝炎に感染した疑いが強い患者の情報を厚生労働省と製薬会社が放置していた問題で、問題が発覚するきっかけになった「薬害肝炎大阪訴訟」の40歳代の女性原告が24日午前、読売新聞の取材に応じた。女性の症例は1987年に製薬会社から厚労省に報告されていたのに、女性がC型肝炎の罹患(りかん)を知ったのは99年。この間、女性は原因がわからないまま体調不良に苦しみ、家族関係も破たんした。「国や製薬会社の行為は放置ではなく隠ぺいです」と怒りをあらわにし、「失った時間や家族を取り戻せるなら人生をやり直したい」と訴えた。

 女性は9月中旬から肝硬変が悪化し入院中で、取材は病院の近くの大阪市内の公園で行われた。

 86年12月、三男出産の際に旧ミドリ十字(現田辺三菱製薬)の血液製剤「フィブリノゲン」を投与され、出産から6日後に急性肝炎を発症した。約1か月間入院したが、その後もだるさや吐き気などの体調不良が続いた。育児や家事が満足に果たせず、夫や義母の世話になることが多かった。

 夫には「何もしないな」と言われ、子どもたちから「本を読んで」とせがまれても体が言うことを聞かなかった。91年に離婚。子どもたちは夫が引き取った。

 C型肝炎の感染が判明したのは99年。2004年に肝硬変と診断された。報道などで薬害の疑いを知り、同年提訴したが、国と同社は投与の事実を否認した。

 しかし、厚労省が持っている薬害肝炎の疑いが強い418人の症例リストに女性の症例が記されていることが弁護団の調査で判明。医療機関の報告で同社は87年4月に血液製剤の投与を把握し、同年6月に厚労省に報告していたことも判明した。同社は女性の名前や投与量も把握していたといい、今年9月の口頭弁論で一転して投与の事実を認めたのを機に今回の問題が発覚。国も投与を認めた。

 読売新聞の取材に、女性は「早い時期に適切な治療を受けていれば進行を遅らせることができ、家族の理解も得られていたかもしれない。国と製薬会社は絶対に許せない」と語気を強めた。子どもたちとの音信が途絶えていたが、5年ほど前から二男と電話でやりとりするようになった。訴訟で闘っていることなどを知った二男から23日に「自分の肝臓を提供してもいい」と伝えられた、という。

 女性は26日、病をおして大阪地裁の法廷に立ち、本人尋問に臨む予定だ。

2007年10月24日  読売新聞)

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