核・拉致問題と米(日)朝問題の核心
朝鮮民族排外主義克服のための基本的視点
森 正孝
目次
T、はじめに
一、戦争国家へ堰を切った日本
二、 不可避となる排外主義との闘い
U、民族排外主義の克服のために不可欠な五つの視点
一、南北朝鮮の自主統一へ向けて「革命的」前進
@“ウリキリ”による統一
A 敵対的共存から平和的共存へ
B “BE REDS!”にこめられたもの
C われわれ自身にある冷戦思考の克服を
二、世界史上最長の休戦状態
@米・朝、中による休戦協定
A半世紀を越える“撃ち方ヤメ”状態
三、「北」に対する米国(日本)の脅威政策
@孤立無援の「抗米」
A朝鮮にとっての脅威の実態
Bブッシュ政権による朝鮮攻撃策動
・クリントン前政権が到達した米朝関係
・予防的先制攻撃論の展開
・「作戦計画―5027」と「作戦計画―5030」
四、核を保有せず、「核の傘」の外にあるのは朝鮮だけである
@「核抑止力」を宣言
A「核安保」に取り残された朝鮮
五、未決の戦争(植民地)責任
V、「核」をめぐる現在の朝鮮危機
一、94年危機より深刻な現在
二、六者協議の意義と問題点
@東北アジアの平和枠組みの可能性
A核心としの「不可侵条約」
B文書による「安全の保証」
W、むすびにかえて
T、はじめに
一、戦争国家へ堰を切った日本
「この一年、“拉致”一色に染まった日本の世論は、“拉致という小さな穴”からしか
世界を観ていない。それは、対北朝鮮政策や東アジアの平和を考える上において、政治的
な足かせになっている」こう論じたのは『ニューズウィーク』(03、10)のコラムニスト、
ディーナ・ルイス氏である。
在ソウル記者(共同通信)青木理氏はさらに、「日本の現状は・・虚偽情報が溢れ、感情
的バッシングが横行し、北朝鮮を単なる憎悪と蔑み、嫌悪と嘲笑の対象に貶め、理性的な
思考すら崩壊している」、その結果「有事法制、イラク特措法、ミサイル防衛・・・。
いまや集団的自衛権容認や憲法改正すら視野に入り、戦後の矜持は文字通り堰を切った
奔流のように蹴破られつつある」(03、10『現代』)と言う。
いつものことながら、外からこの国を眺めた方が、正鵠を得ている。
02年9月17日からこの方、前出青木氏の言を待つまでもなく、日本は大きく変わった。
とうとう、03年12月9日、アジア太平洋戦争開戦62年目の翌日、小泉内閣は自衛隊イラ
ク派兵を閣議決定。25日には先遣隊が出発、04年1月20日には、“第二次大戦後はじめて”
重武装した『日本軍』が他国の領土=戦場に軍靴を踏み入れた。ブッシュ米帝国の侵略占
領軍の同盟軍として、イラク占領支配の共同の支配者となるためだ。時を同じくしてミサ
イル防衛(MD)導入が決定され、武器輸出も解禁となる。その最大の口実は、「『北』の脅
威」と「その脅威から守っていてくれる米国との同盟関係」であった。
とうとうこの国は“戦争国家”へ向かって大堰を切った。この奔流の先には改憲があり、
その向こうには、「朝鮮有事」が想定されている。
二、 不可避となる排外主義との闘い
この間の「北朝鮮脅威論」と「北朝鮮への憎悪」の最大の“作為者であり推進者”であ
る「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会・会長、佐藤勝巳)は、03年
6月の「新運動方針」で、「昨年9月から10月の成果は、われわれの運動だけによってもた
らされたものではなく、米国ブッシュ政権が金正日政権を『悪の枢軸』と正しく位置づけ、
軍事力行使を含む圧力を行使続けているからこそ成就したものだ」と断じ、ブッシュの一
連の対朝鮮戦争策動を賛美(言外に、同じく『悪の枢軸』規定されたイラクへの侵略戦争を賛美した
ことに他ならない)する一方で、「03年下半期は、『拉致はテロだ!今こそ経済制裁実施を』
という全国民運動を展開する。救う会は、今後、拉致問題の説明や協力を求めるという運
動は原則として行わず、経済制裁が必ず必要だという啓蒙活動を行う」と、明白に言い切
った。
そして12月10日、彼らは、自民党・公明党政府関係者、民主党幹部らの出席のもと「経
済制裁法案成立を求める緊急国民会議」を開催。「衆議院選のさい実施したアンケートに8
割以上の当選議員が経済制裁に賛成した。この結果こそ国民の意思だ。もはや忍耐も限界。
すぐに送金停止を含む経済制裁を!」とぶち上げた。
これに呼応して自民党、民主党は朝鮮への送金停止を日本政府だけの判断で行うことの
できる「外為法改正案」を、自民党有志でつくる「対北朝鮮外交カードを考える会」は、
万景峰号などの朝鮮の船の入港禁止を可能にする「特定船舶の入港禁止法」を、04年の通
常国会に提出成立させるという。
今日、「対北経済制裁」の発動がどういう結果をもたらすかは、明らかだ。朝鮮政府自
身が「わが国への経済制裁は『宣戦布告』とみなす」と言明し、それをすれば「いっきょ
に軍事的緊張は高まり、韓国や中国の資本流出を引き起こし経済破綻が深まる。経済制裁
は政策として愚の骨頂だ」(小此木慶大教授)なのだ。
こうした“圧力と制裁”が拉致被害者たちの帰国の方策とはまったく無縁であり、緊張
と対立を深めることによって拉致解決をますます遠のかせてしまうことは火を見るより明
らかだ。
なによりもこの動きは、2000年6月15日南北首脳会談以降、急速に高まりつつある朝鮮
・韓国民衆の自主平和統一への願いと努力に真っ向から敵対することでもあるのだ。朝鮮
危機の波は一気に高まるであろう。
「日朝国交正常化」実現の闘い、そして朝鮮危機との闘いは、今後さらに強まるであろ
うこうした民族排外主義との徹底した対決を不可避としており、これに打ち克つ闘い抜き
には、日本の戦争国家化を阻む道はあり得ないと考える。
以下、この間の排外主義の中で歪められた米朝・日朝間の関係と経緯について、事実を
もとに明らかにしていきたい。
U、民族排外主義の克服のために不可欠な五つの視点
相互に密接にリンクしている米朝・日朝・南北関係を考えるに際して、次の5点を確認し
ておかねばならない。これらは、今荒れ狂う朝鮮民族への排外主義克服に向け、立場の如
何にかかわらず、「核・拉致問題を含めたいわゆる『北朝鮮問題』」を考えるうえで不可
欠の要素と思われるからである。
1、2000年6,15南北首脳会談以後、南北は、和解と統一へ向けて『革命的』前進をとげて
いること。
2、米朝関係は、未だに、世界史上例の無い最長期間の「休戦状態関係」にあること。
3、 朝鮮戦争以降今日に至るまで、「北」は、米国(韓日)によるこれまた史上最強の絶え
ざる軍事的脅威にさらされ続けていること。
4、 朝鮮問題に関わる六カ国(朝・韓・中・露・日・米)の中で、「核」を持たず、また「核
の傘」の外にあるのは朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮)のみであること。
5、
日本にとって朝鮮はアジアで「唯一つ戦争・植民地責任」を果たしていない国である。
以下、それぞれについて述べてみたい。
一、南北朝鮮の自主統一へ向けて「革命的」前進
@“ウリキリ”による統一
2000年6月15日の南北首脳会談と同南北共同宣言は、南北の自主統一へ向けて「革命的」
前進をもたらした。その核心は、「ウリキリ(外勢を排除した私たち朝鮮民族だけによる)
統一」である。
同宣言第一項は言う。「南と北は、国の統一問題を、その主人であるわが民族同士(ウリ
キリ)で互いに力を合わせ、自主的に解決することとした」
近現代を通して、米日両帝国主義の外部勢力に思いのまま翻弄され続けてきた南北朝鮮
の不退転の決意がこの“ウリキリ”の言葉に込められている。それを具体的に実現するた
めに“南北による徹底した対話と関与・(民族経済、社会、文化、体育、保健、環境、人
道問題などの)交流”(第三・四項)を約束したのである。
そしてその後、事態はこの「共同宣言」通り、いや大方の予想をはるかに超える速度で
進展していることは、周知の通りである。この流れを策定したのは金大中前韓国大統領で
あった。
A 敵対的共存から平和的共存へ
1998年大統領に就任するとともに打ち出されたいわゆる「太陽政策(包容政策)」は、次
の三つの原則を明確にした。?平和を破壊する一切の武力挑発を許さない、?吸収統一の放
棄(北進統一の放棄)、?南北の和解・協力を推進し “平和の構築”から“積極的平和の実
現”をめざす。そして、「『北韓』は打倒すべき対象すなわち“敵”ではなく、共存でき
る“友”である」と規定したのである。金泳三大統領時代の「敵対的共存関係」から「平
和的共存関係」へと大きくその基本的立場を転換したのである。2000年6,15はそれを国家
間で約束した。03年盧武鉉大統領は、朝鮮側への配慮から「平和繁栄政策」とその名称を
変更はしたが基本的には、より積極的な統一政策を打ち出している。
これを水路として、南北民衆の交流・相互往来は、経済・文化・技術・医療・教育・そ
してスポーツなどの分野で、「革命的」に前進を遂げつつあることは後述する通りである。
この南北和解・交流の流れは、後戻りすることは絶対にあり得ない。なぜなら、この流れ
は、「国家」がその端緒をひらいたけれども(実は営々とした韓国民主化運動のひとつの結
果でもあるが、それ故)国家の“独占物”ではなく、民衆の深いところからの大きな統一運
動となって流出し始めているからである。
B “BE REDS!”にこめられたもの
ひとつのエピソードを紹介しよう。
サッカーワールドカップ時、韓国の若者たちが着た「BE REDS!(赤になれ!)」と染め抜い
たあの真っ赤なTシャツである。赤のTシャツがサッカースタジアムやソウル市内を席巻し
た。あそこに込められていたものは何だったのか。
そこには、反共軍事政権時代、「赤(アカ=共産主義)」として、絵を描くにも「赤色」の
使用が“禁止”されていたあの反共=反北時代との明確な訣別を意味していたのである。反
共教育を受けてきた二十代以上の若者たちは、意識的にアカを着、十代の若者は当然のごと
く“燃える思い”をあの色に託した。“アカ”タブーは完全に打ち破られた。(因みに、仕
掛け人は民主労総であったという)
むろん、「タブー解禁」はこれにとどまらない。「反共教育」は「統一教育」と全国的に
改名され、軍事境界線南側にある「北韓監視台」は「統一展望台」とその名を改めた。それ
らの力が、02年6月の米兵による女子中学生轢き殺し糾弾の10万人の大集会、03年3月1日の
南北宗教者による「3・1独立運動84周年記念集会」の共催へと結実していくのであるが、0
3年だけで、1万5000人以上の人々が南北を行き来し、南北交易額も約7億5000万ドルにも上
っていることも報告されている(『朝日新聞』04,1,8)。(00年日朝間の交易額4.6億ドル、同年
南北間は4.3億ドル)韓国『現代』資本によるピョンヤン体育館の建設に加えて、同資本によ
る金剛山観光にはすでに南から40万人が訪れている。
朝鮮戦争以後半世紀に及んだ『北韓の赤いやつら(パルゲンイ)を皆殺しにしてしまえ』と
いう憎悪と嫌悪の敵愾心(現在の日本の「北」への敵愾心とは比べものにならない)は克服さ
れた。むろん「北」への“しこり”を抱えた多くの人々が残っていることも事実だし、それ
を政治的に利用しようとするハンナラ党などの一部右派勢力が存在することも事実だ。しか
し、敵対的関係を克服し「北」との和解と関与を進めようという国民的合意が形成されてい
ることもまた、疑いのない事実である。
明確に朝鮮半島では、「ウリキリ=民族自主」をキーワードに、冷戦体制は崩壊しつつある
のである。
C われわれ自身にある冷戦思考の克服を
しかし、当の朝鮮半島でこのような新たな時代を迎えつつある現在、日本であえてなお、
「北朝鮮問題」にこだわり、それを先行すべきだと叫ぶ人々が、私たちの回りに少なからず
存在する。私に言わせれば、その人たちは、旧態依然たる「冷戦構造思考」からの脱却がで
きないでいるか、朝鮮半島における変革のダイナミズムに、動的な視点で関わろうとしない
人たちではないかと思う。
そして何より、(日本のマスメディアと右派勢力の「反北キャンペーン」に唱和する結果を
生むことになるそうした言説は)この一年半の排外主義の嵐の中で“窒息しそうなしんどさ”
で生きてきた在日朝鮮人たちへの無感覚・思いやりの無さ=日本人としての近現代をつらぬい
て存在する対朝鮮人への歴史責任の無自覚・無関心を自己暴露しているに等しい。
「反共国家『南』」が、「北」と関与・交流することを通して変わろうとするとき、当然
にもそれは、「金正日独裁国家『北』」の自己変革を連動させることなしにはありうべきも
ない。“「南」は、確かに変わったが「北」は、変わりようがない”という言辞は、ために
する論議であり、間違っている。
事実、「北」も、むろん変化の度合や速度の違いはあっても、確実に変化しつつあるのだ。
例えば、南北閣僚級・経済協力会談の定例化、離散家族の再開や生死確認(すでに6回の相
互訪問が実現。6000人近い家族が半世紀ぶりに再会し、1万1000人あまりの人々が生死と住
所を確認している)、52年ぶりの京義鉄道、東海鉄道の開通・併進道路の連結による陸路で
の南北交流(38度軍事境界線の事実上の消滅)。アジア大会参加と南北統一旗での共同応援、
韓国の流行歌手の史上初の平穣公演と朝鮮全土での放送、南北同時のど自慢大会等
そして、04年1月19日、朝鮮は最高人民会議常任委員会副委員長名で「04年中に民族の祝日、
共同の記念日に民族共助で自主統一の活路を開くため『全民族的な会合』を平壌とソウル、
金剛山など合意される場所で盛大に開くこと」を提案した。
より根本的であり画期的なものに02年7月から始まった一部市場経済の導入を含む「経済管
理改善措置」(食料の一部を除く配給制の廃止、企業の自主独立採算制の導入、利益に応じた
賃金配分など)の広範な実施である。事実、筆者は03年平穣訪問時、平穣市内順安区域に
「総合市場」が建設され、9月にオープンしたのを確認している。また、平穣からそれぞれ約
50キロの南北にある沙里院と平城には広大な規模の商品市場が開設され一般民衆でごったが
えしているという事実を聞いている。04年年明け早々には、平壌にEUの経済先端事務所が開
設されるという。さらに新義州の特別行政区指定、金剛山、開城地区のそれぞれを観光特区
と工業特区に指定し建設を開始、外資導入を積極的に開始し始めた。
このことについて、韓国統一相の丁世鉉(チョン・セヒョン―-金大中時代の政権をまたいでの統
一相)は、年頭の『朝日新聞』のインタビューに次のように応えている。
「一昨年に始まった経済改善措置は昨年、国内に市場を開設するなどの措置により一段と
進んだと見ることができる。北朝鮮自身が嫌っていた『改革』という言葉も使い始めた。北
朝鮮は急速に変わりつつある。経済分野の改革を中心として、『象徴的』な変化を超えて、
『根本的』変化へ向かう前段階の『意味ある』変化の過程にある」(04、1,8)と。
外交関係について見ても、90年代初頭に105カ国との外交関係しかなかったが、以後、今
日までに154カ国にまでの増えた(因みに国連加盟国は191)。金正日時代になり、ロ・中との
交流相互訪問、ヨーロッパ諸国との外交関係が積極的に樹立されてきたのである。
このように、2000年6,15以前には想像すらできなかった事態が次々に起こっている。(こ
の流れの中に「日朝ピョンヤン会談」があり、「拉致の告白と謝罪」があった、と見るべ
きである)
経済・外交の変化が、必ずや政治体制の変化へとつながることは、歴史の必然であり、事
実、過去幾多の国々がそれを経験してきている。
「北の独裁云々」を言う前に、まず、このダイナミックな歴史的過程を、今、朝鮮半島で
朝鮮民族が南北一体となって経験しているという事実を率直に直視しそれを認めなければ
ならない。そして、大切なことは「北の民主化」も含め、朝鮮半島の未来はこのダイナミズ
ムの行方にあり、それは、朝鮮民族自身が決定すること(ウリキリ)であることを私たちは
厳に踏まえておかねばならないと思うのである。
二、世界史上最長の休戦状態
米ソの冷戦下、1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、米軍率いる国連軍と朝鮮人民軍、それ
を支援した中国人民志願軍の激戦となった。3年と一ヶ月に及んだこの戦争は、南北の軍民
300万人以上が死亡、米軍も3万4000人の死者を出し、1000万人に及ぶ離散家族を出すとい
う、悲惨な結果を生んで休戦となった。(この戦争の過程で、米軍は、国際法違反の今日でいう大
量破壊兵器の毒ガス兵器使用のみならず、日本軍731部隊の免責と引き換えに手に入れたデータを元に、
朝鮮半島中北部と国境線沿いの中国の各地で細菌戦を展開した。筆者はここ3年間、中国と朝鮮の米軍
細菌戦被害地に入り調査活動を行っているが、その内容については稿を改めたい)
@米・朝、中による休戦協定
第二次大戦後最大の被害を生む結果となったこの戦争は、「アメリカにとって勝利で終ら
なかった最初の戦争でもあった」(和田春樹『朝鮮戦争全史』)。「勝ち負け」を分けることが
なかったこの戦争は、1953年7月27日に停戦となり、「休戦協定」が結ばれた。
戦争が終結したわけではない。「休戦」である。協定当事者たちは、米・朝・中国の三国。
国連軍総司令官並びに米国陸軍大将マーク・w・クラークと朝鮮人民軍最高司令官金日成、
中国人民志願軍総司令官膨徳懐の3者であった。
「休戦協定」2条12項では、韓半島における平和が達成されるまで、軍事力の行使は行わ
ないこと、13項では、国境外からの軍事人員の派遣の禁止、武器弾薬の搬入の禁止、4条60
項には、停戦3か月以内に朝米双方は会談を開き外国軍の撤退問題をはじめ朝鮮問題の平和
解決をはかることが明記されが、これらはことごとく「南」に居座った米国によって破られ
た。(詳細は次項に見るが、「南」では、停戦協定年の10月、韓米相互防衛条約が結ばれ、
「駐韓米軍の永久駐屯」「無制限の基地使用」を確認し、翌54年11月の韓米協定では、「韓
国軍の作戦指揮権を駐韓米軍が掌握」することがうたわれ、以来3万7000人の米軍が韓国全
土80余カ所に駐留している。この駐韓米軍の任務は、在日米軍のそれとは決定的に違ってい
る。在日米軍のそれは極東からアジア全域をその任務としているのに比し、駐韓米軍はただ
ひたすら対「北」をその任務としている。朝鮮では、1948年12月ソ連軍が撤退し、1956年
10月には中国軍も撤退している)
A 半世紀を越える“撃ち方ヤメ”状態
こうして米朝は、名実共に“撃ち方ヤメ”状態の、いつ火を噴いてもおかしくない文字通
りの休戦という不安定な状況のまま、軍事境界線をはさんで対峙するという状態が50年続
いてきたのである。
その後、戦争当事国の片方、米・中が1979年国交を樹立することによって事実上停戦協
定が失効したため、以後、米朝のみが停戦状態を続けている。(ついでに言えば、朝鮮側
は日朝関係についても次のように主張する。「日本は1905年から40年間植民地支配した。
さらに朝鮮戦争では、米軍の兵站基地として機能し、朝鮮戦争に深く加担した。形はど
うあれ敵対国関係を続けてきた」林茂夫『駐「韓」米軍』によれば、朝鮮戦争期間をとお
して、実に3万人近い日本人が、朝鮮において、直接・間接的に戦争に参加している。そ
のほか「朝鮮特需」による軍事、通信、輸送、医療、軍需物資などに従事した労働者の果
たした役割は、米軍以外にはわずかな兵力を出した「参加国」とはケタ違いだ。日本は、
公式には朝鮮戦争参加国になっていないが、その加担度=犯罪度は米軍につぐものである。)
半世紀を越えて2国間が休戦状態である関係、すなわち半世紀を越えて互いに敵国関係に
ある国家はかつて地球上にも例がない。
この間、朝鮮が米国との2カ国間協議を主張し、停戦協定の平和協定への転換、さらには、
米朝不可侵条約の締結を要求し続けてきた根拠はここにある。しかし、そのどれをも米国
は拒否しつづけてきた。米国が軍事境界線をはさんでの敵対=南北分断固定化をその“国益”
とし推進してきたからに他ならない。
三、「北」に対する米国(日本)の脅威政策
「米国の北朝鮮への敵視政策」。この間の6者協議の中でやっと問題にされ、マスメデイ
アも(コトバのかぎりではあるが)とりあげ始めた。しかし、その実態となると、まったく
明らかにされていない。具体的にその事実を見てみよう。
@孤立無援の「抗米」
ひと言で言って、米国の圧倒的軍事的脅迫政策の中、朝鮮は孤立無援でこれと対抗する
ことを余儀なくされてきたといって言い過ぎではない。
前述したように朝鮮戦争直後、米国は南に韓米相互防衛条約を結ばせ、李承晩、朴正煕
政権らの反共軍事独裁政権をテコに、戦術核の搬入宣言(58年)、プエブロ号偵察事件(68
年)、翌年のEC121撃墜事件など、軍事境界線から朝鮮東海にかけて、「北」への具体
的な軍事的脅威政策をとった。これに対し「北」は、61年7月、相次いで朝ソ・朝中相互
援助条約を締結し対抗したが、(すでに48年ソ連軍、56年中国軍ともに撤退)、この条約に
はソ連軍、中国軍の駐屯権はなく、外国軍による朝鮮軍への指揮権もむろんなかった。つ
まり自前で、対米防衛上の負担の大半を担わなければならないという事態の中、90年ソ連
崩壊による朝ソ条約の失効、92年中韓国交回復による事実上の朝中条約の解消は、これに
拍車をかけた。朝鮮をして対米防衛上、圧倒的な軍事力の自力更生化とその負担を余儀な
くされるのである。
ちなみに朝鮮の軍事費は、21億ドルと言われている(02年「ミリタリーバランス」推定値)。
これに対し02年度米国のそれは、3510億ドル(世界の43%)。韓国135億ドル、日本470億
ドル。「北」包囲網を形つくる日米韓三国の総軍事費は4115億ドルということになる。
(「英国国際戦略研究所」)ざっと朝鮮の200倍。核弾頭といえば、米国は1万2000発保有、そ
のうちの3分の一の4000発が極東に配置され、ピョンヤンに向け照準が合わされていると
言われている。(『朝鮮中央通信』によれば、駐韓米軍には、2000発の戦術核兵器、劣化ウラン弾、
核運搬手段であるF16、F15などの戦闘機130余機、ランス、パトリオットなど250余発のミサイ
ル、原子砲が装備されている。また、03年5月31日発表の「駐韓米軍戦力増強計画」によれば、米国
は3年間に110億ドルをつぎ込んで、無人航空機、武装ヘリ、デイジーカッターなどの精密誘導爆弾、
電子指揮システム、最新型パトリオットミサイルPAC3などを導入するという) 日米は「北」が一
発持っているか持っていないかの核(実際には朝鮮はまだ核弾頭は保有していないのでな
いか・・)に大騒ぎしているのだ。物量だけではない。武器性能とても、一方は二世代前
の旧式兵器、一方は超最先端技によるハイテク兵器である。
客観的に見れば、朝鮮の抗米は(その意気込みは別として)、まるで象にアリが必死で対
抗してきた図である。その「アリ」を、「象」(米・日のみ)が“脅威だ!脅威だ!”と叫ん
できた。その結果が、ミサイル防衛構想であり有事法制であり、底なしの軍拡である。当
事国、韓国の世論調査の70%以上が、“北を脅威と思わない”との結果が出ているにもか
かわらずである・・・。
A 朝鮮にとっての脅威の実態
脅威を受けている側は朝鮮であって、断じてその逆ではない。
とりわけ、朝鮮にとっての脅威は、毎年行われてきた米国主導の米韓合同軍事演習であ
った。
中でも「チーム・スピリット」合同軍事演習は、朝鮮にとっては脅威中の脅威であった。
(02年「チーム・スピリット」は終結するが、現在これを引き継ぐ演習として「フォール・
イーグル」がある。また、コンピーターシュミレーション演習の「ウルチ・フォーカスレ
ンズ」も毎年定期的に実施されている。いずれも「北」攻撃を想定した演習である)
東西冷戦体制の最も激しい1976年に始まったこの「チーム・スピリット」は、その規模
(平均20万人の地上兵力の動員)、期間(毎年60日?90日の演習が26年間続いた)、武力(ミッ
ドウェー、エンタープライズ、キティーホークなどの空母、B52重爆撃機、ランス核ミサイ
ルの模擬弾など)において、これまた地球上最大・最強の対朝鮮攻撃訓練であった。
演習の主役は、沖縄、岩国(1万6000名の海兵隊員)の在日米軍であり、佐世保、横須賀
を母港とする空母である。浦項からの上陸作戦、渡河作戦を主要な訓練内容とし、例えば、
「米本土から横田を経由して運ばれた核ミサイル・ランスを、軍事境界線越に朝鮮のケソ
ン市の松岳山を目標にその模擬弾を発射する作戦」「軍事境界線を約百キロ北へ侵入し、
空地一体となって攻撃する『エア・ランド・バトル』作戦」、そして「特殊部隊を潜入さ
せ朝鮮の重要拠点に小型核兵器を設置し、リモコンによって爆破する『核リュック』作戦」
などがその展開内容である。文字通り「北」への核攻撃を念頭においた軍事訓練であった。
これにより、朝鮮ではどのような事態に追い込まれるであろうか。ひるがえって、日本が
同じような状況になった場合のことを考えてみればよい。26年間、毎年2ヶ月から3ヶ月、
目と鼻の先で敵国が(例えば中・ロ・朝の三国が一体となって)日本を攻め込む訓練を行う
のである。その恐怖心たるや容易に想像がつくであろう。
実際、筆者は朝鮮訪問時、この時の状況について次のような証言を得ている。「朝鮮では、
この期間『国家非常事態宣言』が出され、全土で職場、学校、工場、鉱山、漁業、農業など
は生産活動が停止される。全国民が国土防衛隊として戦線配置につく。全土は臨戦体制下
におかれ、人々は極度の緊張状態に包まれる。2ヶ月から3ヶ月間、生産がストップするこ
とによる経済的ダメージ、その間の恐怖心による人々の精神的苦痛ははかり知れない」と。
今日では、チーム・スピリットにかわって、数万人規模のフォール・イーグル、コンピー
ターシュミレーション演習ウルチ・フォーカスレンズなどによる脅威がなおも続いている。
B ブッシュ政権による朝鮮攻撃策動
・クリントン前政権が到達した米朝関係
さらに加えて、ブッシュ政権の登場とその対朝鮮政策は、朝鮮をして、急遽“予期せぬ”
厳しい警戒感を醸成させることになった。というのも、クリントン前政権時代、米朝関係
は、次のような和解路線に到達していたからであった。
94年危機(朝鮮の核開発疑惑―朝鮮NPT脱退―国連安保理制裁提案―米対北攻撃計画)を脱したクリ
ントンは、94年10月の「ジュネーブ米朝基本合意」(・黒鉛減速炉凍結、封印・03年までに軽水
炉建設・それまで米国は年間50万トンの重油提供・互いに核を含む軍事的脅威を与えない・米朝関係の
改善・連絡事務所を開設し、大使級の交換)を結び、99年9月の「ペリー・プロセス」(・朝鮮政府
の改変を求めず、あるがままの朝鮮との交渉・中長期的なミサイル開発の中止・経済制裁の緩和・朝鮮
半島の冷戦の終結)から、00年10月「趙明禄国防副委員長・オルブライト国務長官のワシント
ン・ピョンヤン相互訪問」そして「朝米共同コミュニケ」へと発展し、まさに米朝国交樹立
“一分前”のところまでたどり着いていたのである。
論筋からやや離れるが、後述する六者会議にも関係するので、このクリントン政権の最終
到達点・「朝米共同コミュニケ(共同声明)」に触れておきたい。
03年9月、六者会議の第二回会議開催に向けてニューヨークで持たれた南北、米、中、日
の五カ国政府当局者の非公式会議の集まりで、李根(リ・グン)朝鮮外務省米州副局長は「朝
鮮は、どうすれば米国の敵対政策が放棄されたとみなすのか?」との米国代表の質問に答え
て示したのが、この「朝米共同コミュニケ」であった。「われわれ朝鮮が必要なことは、ま
さしくこれである」と語ったという。(『共同通信』03,10、21)
00年10月、朝鮮国防委員会第一副委員長・趙明禄氏がホワイトハウスを訪れ、でクリント
ン大統領と会談の後、発表されたのがこの「朝米共同コミュニケ」であるが、次ぎのことを
明記している。
「双方はどちらの政府も他方に対して敵対的意思を持たないと宣言し、今後、過去の敵対
観から抜け出した新しい関係を樹立するために、すべての努力を傾けるという公約を確認し
た」「双方は両国の関係が、自主権に対する相互尊重と内政不干渉の原則に基づくべきこと
を再確認した」「双方は朝鮮半島における緊張状態を緩和し、1953年の停戦協定を強固な平
和保障体制へと変え、朝鮮戦争を公式に終息させる上で、四者会談などいくつかの方途があ
ることに関して見解を同じくした」
ここには、単に敵対政策放棄を超えて、朝鮮半島の冷戦体制を完全に解体させ、半島の平
和保障をも指向している。この先に見えるのは、駐韓米軍の撤退であり、「自主権の尊重」
すなわち朝鮮半島の統一であった。このとおり進めば、東北アジアの平和状況は今日とはか
なり異なったに違いない。
・予防的先制攻撃論の展開
しかしブッシュの登場は、この朝米和解路線を「腰抜け外交・軟弱外交」となじり、そ
れを根底からぶっ壊したのである。
ブッシュは01年1月、大統領就任演説でイラン、イラク、リビア、シリアと共に朝鮮を
「ならず者国家」と規定した。「ならずもの国家」とは、?テロ支援・黙認国家、A大量破
壊兵器所有、所有を追求する国家、B米国に敵対的で戦闘的イデオロギーを標榜する国家、
C世界の地域で米国の利益を脅かしている国家、D独裁者の存在する国家であった。朝鮮
はそのどれにもあてはまるものだという。
そして6月には「対北朝鮮大統領声明」を発表。?ジュネーブ米朝基本合意の履行につい
て改める、Aミサイルについて、検可能な製造規制と輸出禁止を求める、B通常兵器の削
減を求める――以上3項目のみにおいて、米朝の対話は可能である、とした。これにより、
米朝対話は完全にストップ。米朝基本合意も『履行を改める』と宣言したのである。(すで
に、「ジュネーブ米朝基本合意」は、軽水炉建設の意図的遅延―やっとその基礎部分が完成したのが03
年8月―、年間50万トンの重油の遅配、軍事的脅威政策、などによってブッシュ自らによって破られて
いた。)
つづいて、02年1月、年頭教書演説においてブッシユは、イラン、イラクとともに朝鮮を
「悪の枢軸」国と規定。3月には、朝鮮はじめ7カ国に対して、核の先制使用攻撃・戦術核
の開発を規定した「核戦略の見直し計画」が暴露された。極めつけは、9月20日(9,17日朝
平壌会談の3日後)に明らかにされた「米国国家安全保障戦略」(ブッシュ・ドクトリン)で
ある。明確にイラクとともに朝鮮を予防的先制攻撃国の対象としたのである。
・「作戦計画―5027」と「作戦計画―5030」
この過程で明らかになってきたのが、「OP(オペレーション・作戦計画)5027」と「同50
30」である。
前者は92年に、策定されたと言われているが、明るみに出された94年危機の際の「5027
−94」の内容は、おおよそ次ぎのようなものである。「米軍を迅速展開して、軍事境界線
に集結、空爆により抵抗力の破壊、東西から上陸し、24時間内に北朝鮮全域を占領。一定
期間軍政をひき、その後韓国主導の統一」(『ニューヨーク・タイムズ』94.2.6)。実際に
94危機に際して、寧辺の核関連施設へのピンポイント爆撃を含めて、これが実戦に移され
ようとしていた。しかし、攻撃開始直前のペリー国防長官、ラック駐韓米軍司令官らによ
るシュミレーションの結果、100万人以上の犠牲と米軍8万?10万の死者が想定されること、
経済損失は1兆ドルを上回ること、そして韓国金泳三大統領の強固な反対等によって実施
されることはなかった。
当時のペリー米国防長官はこのときのことについて次のように回想している。「1994年6
月、朝鮮半島は一触即発の危機に包まれ、火の海寸前だった。最後の決定を出す一時間前
に迫ったときには息の詰まる瞬間だった。このとき平壌に行っていたカーター元大統領か
らホワイトハウスに電話がかかってきた。一時間差で歴史が変わった」これを機にクリン
トン大統領は、『対決』から『対話』政策へと転換し、94年危機は回避されたのである。
しかし、ブッシュになってもこの危険な計画は続けられた。「5027−03」では核使用を
含んだ計画が立てられている。「?北朝鮮の寧辺核関連施設、ミサイル基地への先制攻撃。
A人民軍を一挙的に壊滅するための戦術核の使用。B韓国軍を前面に押し立てての全土制
圧。B金正日政権を転覆し、韓国政府による統一」という恐るべきものである。
さらに昨年6月に『USニュース・アンド・ワールドリポート』(2003.7.21)は、次のよう
な「OP―5030」を暴露した。「?有志連合による大量破壊兵器防止構想(PSI)を実施し、臨
検や封鎖によって北朝鮮の資源を枯渇させる。A「RC130」による偵察飛行を繰りかえし、
北朝鮮にスクランブル発進させ、希少なジェット燃料を消耗させる。また、臨戦態勢をと
らせることによって、北の備蓄物資・エネルギー・食糧を消耗させる。Bデマ、偽情報、
スパイを潜入させ、軍民をかく乱する。Cそれでも変化がない場合は、核施設へのピンポ
イント爆撃を行う」というものである。5027計画が、米軍単独による正面からの全面的朝
鮮攻撃計画だとすれば、5030計画は、コオリション(有志連合・当然日本も含まれる)によ
る、極めて挑発的そして現実的な作戦計画と言えよう。
朝鮮の『労働新聞』(03.6.20)は、これに対し「実戦段階に入った先制打撃戦略」と題し、
「『作戦計画5030』は過去のすべての戦争計画を総合し、今回のイラク戦争の経験と作戦
方式を添加して、第二の朝鮮戦争計画をより具体的な戦争シナリオとして完成したもので
ある。米国は戦争の相手を見極め、危険極まりない戦争賭博を直に取り止めるべきだ」と
真っ向から非難した。
四、核を保有せず「核の傘」の外にあるのは朝鮮だけである
@ 「核抑止力」を宣言
朝鮮は、このブッシュによる対朝鮮攻撃策動に対し、一つの「回答」を提示した。
03年4月、朝鮮外務省は「8000本の使用済み核燃料棒の再処理の最終段階に入った」と
初めて核開発を公式に言明。このとき同外務省は、「国際世論も国連憲章もイラク攻撃
を防げなかった。強力な軍事力を備えてこそ戦争を防ぎ、国と民族の安全を守れるとい
うのがイラク戦争の教訓である・・・われわれにも核抑止力を備える権利がある」とし
た。
6月には「朝鮮は核による抑止力を持つ権利がある」と『核抑止力宣言』を発表。つづ
いて7月、自ら米国ブッシュ政権に対して「8000本使用済み核燃料棒の再処理(プルトニ
ウムの抽出を完了した」(5?6個のプルトニウム型核兵器製造可能)と通告した。
さらに10月には、「正当防衛手段としての核抑止力の強化」を発表し、「それを、実
物をもっていつでも証明することが出来る」と『実物証明・物理的公開』宣言を行った。
(04年1月9日訪朝した米国「非政府調査団」に、朝鮮は抽出したプルトニウムを実際に見
せた、と伝えられている)。
これが、この間の恒常的軍事威嚇政策に加えてのブッシュ政権の核先制攻撃論や「502
7作戦計画」「5030作戦計画」そしてイラク侵略戦争に対する朝鮮側の回答であった。
この過程は、明らかに核兵器保有へ向けてその開発を示すものである。(残るのは、
「核実験」と「核兵器保有宣言」である)
断っておくが、筆者は決して「核抑止力」容認の立場に立つものではない。ましてや
冷戦構造の崩壊した現在、それが“有効”であるとも思わない。しかし、「弱小国」朝
鮮が超核軍事大国・米国の脅迫に対抗する力として核抑止力に頼らざるを得ない現実が
あることは理解せざるを得ない。そこまで追い込んだのは他ならぬ米国自身であるから
だ。
A 「核安保」に取り残された朝鮮
現在、朝鮮の核問題にかかわる6カ国で、「核の傘」の外にあり、核兵器を保有してい
ないのは朝鮮だけである。米・中・ロは核保有国であり、韓国・日本は米国の「核の傘」
の下にある。それぞれの政府も認めるところだ。
朝鮮はといえば前述したように1961年7月、ソ連・中国とそれぞれ「相互援助条約」
(友好協力および相互援助に関する条約)を結んだ。それは、朝鮮が第三国から武力攻撃
を受けた場合、ソ・中が軍事援助をするというもので、事実上当時、朝鮮はソ中の「核
の傘」にあった。しかし、91年ソ連の崩壊によって条約は失効、92年中韓が国交を樹立
することによって実質上中国の「核の傘」も解消されてしまったのである。朝鮮だけが、
北東アジアの核安保の中にあって取り残された存在である。この事実は、米国からの激
しい攻撃策動にたいして、核抑止力を宣言せざるを得ない根拠となっている。
繰り返し断っておくが、筆者は、朝鮮の核開発を容認するものではない。むろん核全
面否定の立場に立つ。だからこそ、その切っ先の向く先は、まず、大量の核保有を背景
に、核先制使用を公然と宣言したブッシュ政権の朝鮮戦争策動と、その傘のもと米国に
追従し、有事法制・朝鮮排外主義を煽り立てる小泉自民党政権に対してでなければなら
ない。みずから「核の傘」にいながら、それが原因となっている朝鮮の核開発を一方的
に非難する日本のマスメディア等にその資格はない。
五、未決の戦争(植民地)責任
朝鮮戦争における米軍への全面協力と加担、そしてそれ以降の朝鮮分断固定化(1965
年日韓条約による「韓国は朝鮮半島の唯一つの合法政府」規定等々)にも日本は、深くかかわっ
た。
もともと日本の植民地支配そのものが朝鮮分断の遠因であり、それ自体、日本は米国と
の密約(1905年7月のタフト・桂密約―米国は日本の朝鮮支配を認める代わりに、日本はフィリピン
支配を認める?)によって強行されたものであったことを考えると、日米両国はまさに近現
代朝鮮にとっての「100年の宿敵」と言われてもいたしかたない。
とりわけ、“日帝四十年”(1905「乙巳条約」?1945)の歴史によって被った朝鮮人民の
悲惨は、はかりしれない。日朝関係の正常化において、何はさておいても最優先の課題は、
この植民地支配の清算であり、(過去の清算=過去の克服という性質上)、それには一切の
前提・条件をつけてはならない。それは、「経済協力」や「ODA援助」といった類のもの
では断じてなく、明確に謝罪の意を込めた賠償でなければならない。
この負の歴史的関係の克服に向けて、その第一歩を歩みだすはずであったものが、昨年
の9,17「日朝ピョンヤン会談」であった。しかし、事態は以前にもまして深刻化してい
るのは周知のとおりである。当時、マスメデイア等にもわずかではあった強制連行問題・
過去清算の論調は、反北キャンペーンによって完全にかき消された。
03年10月、外務大臣川口順子は、国連において初めて拉致問題をとりあげ、朝鮮非難の
演説をおこなった。しかし、これが朝鮮はむろんのこと、アジア諸国からの冷笑と反発に
あったことは記憶に新しい。彼らは言った。「ここ国連の場で、日本はよくぞ“拉致問題
の解決”を言えたものだ。94年、同じここ国連人権委員会は『軍隊慰安婦』について《ク
マラスワミ報告》にしたがって、日本政府に次の五つを勧告した。《日本政府は軍隊性奴
隷制度の国際法違反の責任を負う。したがって、賠償、文書による公式謝罪、所有するす
べての資料の公開、次代への教育、責任者処罰をすべし》と。しかし、あれからやがて10
年、日本政府は、何の手立ても講ぜず黙殺しつづけている」と。同じように11月のASE
ANにおいても、拉致問題は見向きもされなかった。
米国ではいざ知らず、アジアでは日本の「拉致問題」の突出主張が何の説得力もないこ
とは、まさに“身から出た錆”(アジアに対して戦争・植民地責任を果たしてこなかった無
責任・不誠実さの結果)である。
拉致問題の真の解決は日朝正常化交渉において、日本の植民地清算の誠実な実行ととも
に、双務的に解決されるべきである。
V、「核」をめぐる現在の朝鮮危機
一、94年危機より深刻な現況
今回の「米朝核問題」の発端は、02年10月、米国国務次官補ジェームズ・ケリーによる
「ウラン濃縮による核開発疑惑」のリークから始まる。
朝米対話再開を求める世論と他方、日朝正常化交渉へのけん制もあって、10月3日、ブッ
シュは初めてケリーを三日間、平壌に派遣した。その2週間後の16日(拉致被害者5人の帰
国の翌日)、突如ケリーは「北がウラン核開発計画を認めた」と発表し、「朝鮮は94年米
朝基本合意に違反した」と猛然と非難し始めたのである。(日本のマスメディアも一斉に
トップニュースで朝鮮非難。日朝正常化交渉もこれをもって完全にストップした)
前述したとおり、米朝基本合意の履行をサボリ、これを事実上破ってきたのは他ならぬ
ブッシュ政権であった。
その最も基本的約束(それは朝鮮経済にとっての死活問題)である「朝鮮の電力資源=黒
鉛減速炉原発の凍結と引きかえに03年までに建設完了の軽水炉原発の建設」が遅延(未だ
に基礎部分しかできていない)され、「軽水炉建設までの間、朝鮮の電力を補うため供給
される毎年50万トンの重油(毎月4万トン供給)」が決まって送られないという事態が続い
たため、致し方のない朝鮮は、凍結されていた黒鉛減速炉を始動し、電力供給を始めたの
がこのときの経緯であった。
周知のとおり、核材料には高濃縮ウラン(ウラン235を90%以上に濃縮したもの)と使用済
みウラン燃料棒からプルトニウムを抽出する方法があるが、当時から今日まで、朝鮮はい
っかんしてウラン濃縮は否定している。
しかし米国は11月、重油供給の停止を宣言し03年度の予算から排除を決定。軽水炉凍結
も示唆(その後、米は03年7月軽水炉建設停止決定。同11月KEDO一年間の中断決定)。対抗
して朝鮮は、寧辺の核施設の再稼動、IAEA監視員の退去命令、さらに03年1月になりNPT条
約からの脱退を宣言したのである。こうして、「94年危機」の再来とも思われる事態とな
った。(その後の朝鮮核開発の動きは、前述したとおりである)
朝鮮危機を一方でうかがいながら、ブッシュはイラク侵略戦争に突入。米国ネオコン・
グループの「イラクの次は朝鮮」の声がささやかれる中、中国が腰をあげたのであった。
中国の介在によって、北京3者会談が開催された。
二、六者協議の意義と問題点
@東北アジアの平和枠組みの可能性
03年4月の北京(朝米中)三者会談を経て、8月、六者(朝米中韓ロ日)協議が行われた。中
国の勢力的な公式非公式の折衝の結果、04年2月(あるいは3月)には、第二回目六者協議が
開かれると伝えられている。
この協議の直接課題は、たしかに朝鮮の「核問題」であるが、重要なのはそれと同時に
朝鮮半島の非核化(駐韓米軍の核も含めて)、朝米の戦争状態=敵対関係の終結、さらに、朝
・米日の国交正常化にむけた包括的な課題が提起されているということだ。後述するよう
に、核問題の解決とともに、中長期的な朝鮮半島の平和と安定へ向けた枠組の構築につな
がる“可能性”を秘めているということである。もっとも、この会議を核問題に限定せず、
包括的論議の場にしようとしているのは米日以外の四カ国であり、とくに米国は、「朝鮮
の核廃棄」(先核放棄論)のみに議論を絞り込もうとしている。ついでに言えば、日本の対
応は、独自の東北アジア平和構想が全く持てないため、“拉致”と米国追従の姿勢しか示
すこができず、無残としか言いようがない。
“可能性”と述べたのは、あくまでこの協議が、人民が直接関与できない国家間の協商で
あるとともに、大統領選をひかえたブッシュ政権の政治的思惑に左右されるという問題が
あり、過分の期待を寄せることはできないが、朝鮮半島と東北アジアの安定と平和へ向け
た可能性があるとすれば、私たち人民がそれを真の平和構築へと変えていく主体になって
いかなければならないと思うからであり、あくまで反戦平和の決定権とその主体は、人民
に在ることは、強調しておきたい。
A核心としての「不可侵条約」
協議における論点は、要約すると次のとおりだ。
朝鮮の基本的立場を一言でいえば、「米国が朝鮮に対する敵対政策を放棄すれば、同時
に、朝鮮は核開発を完全に放棄する」というものである。8月の会議では、朝鮮はこれを、
<同時行動原則>と呼んでおり、その行動順序を次のように提案した。
@朝鮮は核放棄を宣言する。同時に米国は重油供給を再開し人道的経済支援をおこなう
A朝鮮は核施設と核物質凍結およびIAEAの査察を受け入れる。同時に米国は不可侵条約を
締結する。
B朝鮮はミサイル問題を妥結する。同時に朝米・朝日外交関係を樹立する。
C朝鮮は核施設を完全に解体する。同時に米国は軽水炉を完成させる。(『朝鮮中央通信』
03,8,29)
この手順に従って行動するとともに、双方は次の責任を一括して負うこと(一括妥結方案)
も提案した。米国は、「朝米不可侵条約締結。朝米外交関係樹立。朝日、南北の経済協力
保障。軽水炉遅延による電力損出補償と軽水炉の完成」。朝鮮は、「核兵器生産の凍結と
核査察の受け入れ。核施設の解体。ミサイル試験発射の保留と輸出中止」
これに対し米国の基本的姿勢は「?朝鮮がまず完全な核放棄(検証可能で不可逆的な放棄)
をした後でなければ、関係正常化の対話はない。安全の保証もない(先核放棄)、A不可侵
条約は適切ではなく興味もない」と、朝鮮の提案を拒否するだけでなく何ら対案を提示で
きなかった。イラク戦争の混迷と朝鮮政策をめぐる政権内の葛藤で、方針が出せないでい
るというのが現状である。
問題の核心は、「敵対政策放棄」を物理的に保障する「不可侵条約締結」問題である。
これが解決すれば、あとの問題は一挙に解決する。しかし、ブッシュ政権は、これを頑固
に拒否している。その理由として、「米国は1928年に不戦条約を締結して以来、、他国と
条約を結んだ前例がない」「条約は連邦議会の批准を必要としており、それは困難だ」
(『朝日新聞』03、8、29)をあげているが、これは本質的問題ではない。ブッシュの恐れ
ていることは、「不可侵条約締結」により、米朝休戦協定の失効に始まり、対朝鮮敵対政
策が解消され、それによって駐韓米軍の根拠がなくなり、韓米軍事同盟の解体、韓国に対
する支配力の消失、ひいては朝鮮統一の動きが加速化され、結果、東アジア米軍10万人体
制を根底から崩壊させていく力(日本の有事法制の無力化)にまで、次々に連鎖して行くか
らに他ならない。戦争屋・ブッシュにとっては最も恐れるシナリオだ。
B文書による「安全の保証」
こうして「敵対政策放棄」には一切触れず「先核放棄」に固執する米国に対して、朝鮮
は03年10月、前述した「核抑止力強化宣言」「核の物理的実証公開」による圧力をかける
一方で、中国、ロシもそれぞれ「核解決の主な障害は米国」(王毅六者会談首席代表)「米国
の姿勢の転換が必要」(ロシュコフ同代表)との非難がされる中、米国側に新たな動きが生ま
れた。
『ニューヨーク・タイムズ』(03,10、23)によると「米国は北朝鮮が核を放棄するという
条件で、条約ではなく文書によって北朝鮮を攻撃しないという保証(書面安全保証)をする
つもりだ。この『保証』は北朝鮮が核を放棄する前でも提供する用意がある」と報じた。
続けて「ブッシュ政権の重大な方針転換だ。国務省筋の意見として、パウエル長官の勝利
だ」とも報じている。折からバンコックで開かれていたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)
に参加していたブッシュは、「米国は朝鮮を侵略する意図はない。北に対し安全保障を提
供するつもりであり、それは六者会談に参加した当事者たち全員が署名した文書によるも
のと考える」と述べた。これが確定的方針だとすれば、当初からブッシュが主張してきた
米国の基本方針「先核放棄」の撤回にもつながるものだ。
朝鮮は、さっそくこの「提案」に対して反応を示した。『朝日新聞』(03,10,30)による
と「10月28日、ニューヨーク北朝鮮国連代表部次席大使・韓成烈氏は、朝米不可侵条約締
結というこれまでの要求を取り下げる、と明言した。さらにブッシュ米大統領が提案した
『安全の保証』の文書化については、『大統領の親書』でも受け入れる意向を表明。ただ
し、米国が攻撃も侵略もしない、体制転覆をはからずに現体制と共存する、との方針が確
認できなければ、検証可能かつ不可逆的で完全な核の放棄には応じられない、との原則的
立場を改めて強調した」と報じた。
次いで、これを追認する形で朝鮮外務省スポークスマンは、「(文書による安全保証を)
米国が受け入れにくい不可侵条約の代わりの『書面不可侵保証』と受け止める。朝米平和
共存の意図から出たものであり、それを考慮する用意がある」とし、さらに「米国の憂慮
を考慮して同時行動原則に関する表現上の問題も調節しうる」と、同時行動原則の内容に
ついても再考する余地のあることを表明した。(『朝鮮中央通信』03,11,16)
12月に入り朝鮮は、<同時行動原則>の第一段階措置について、次のようなより突っ込ん
だ内容を提案した。「朝鮮は、核活動の全面凍結をする。それは、?核兵器の実験と生産を
行わない、A平和的核エネルギー工業の中止である。同時に、米国は、?テロ支援国リスト
から朝鮮を外す、A政治、経済、軍事的制裁と封鎖を撤回、B米国と周辺国による重油、
電力などエネルギー支援を行うこと」そして本年に入り1月6日「米国が核問題の解決に真
に関心があるなら、六者会談を続けるための核心事項であるわれわれの行動措置案を受け
入れられない理由はない」と改めて「核放棄」と「安全(不可侵)の保証」の米朝同時行動
原則を強調している。(『朝鮮中央通信』04,1,6)
この間、中国を中心に中朝、中米、日韓米など幾度となく折衝が行われており、事柄が
錯綜してはいるが、基本的な推移と問題点は以上に要約できる。
現在、ボールはまさしく米国ブッシュの側に投げられている。
W むすびにかえて
本稿が読まれるころには、すでに第二回六者会議が開催されているかも知れないが、米国
の現状―イラク侵略戦争の混迷や対朝鮮政策をめぐるネオコン・グループと融和派との確
執、さらに大統領選モードに入った現状―からして、米国は投げられたボールを正面から
打ち返す状況にはない。韓浩錫(ハン・ホソク)在米統一学研究所が予測するような「第二
回会議は、朝鮮が核兵器放棄の意思を表明すると同時に、全体で『安全の保証』を文書化
する意思を共同声明で表明する」ことになれば、次々回に「文書の内容」に入ることにな
ろう。11月選挙で、米国大統領に誰がなるかで局面も変わるであろうが、“ブッシュより
悪くなる”ことはないのであって、前述したとおり、冷戦時代には考えられなかったこの
6者会談の枠組みを崩すことなく推し進めるべきであろう。
繰り返しになるが、はっきりしておかなければならないことは、解決すべき問題は、「北
朝鮮問題」ではないということだ。イラク侵略戦争もそうであったように、イラクに問題
があったから起きたのではない。徹頭徹尾ブッシュによる米帝国主義の侵略意図(石油略奪
と中東のイスラエル化)によって引き起こされたものであり、問題にされるべきは、米帝国
とそれに随伴する英・日帝国主義である。朝鮮問題についても全く同じである。
今朝もワイドショーで「北朝鮮ネタ」が放映されている。「イラク自衛隊出兵」が、重
なるように報道される。
戦後初めて、他国の領土にわが国の軍靴が印された今、「他民族を抑圧する民族は、決し
て自由ではありえない」のレーニンの言葉を改めて噛みしめなければならない。「戦後は
じめて北朝鮮という便利な『敵』を見つけた、というか、こしらえた(日本)」(辺見庸『今、
抗暴のときに』)のこの一年半の不自由で荒涼とした風景の中で、これに抗い、状況を見抜
く眼力を養い、民族排外主義と侵略戦争に反対する輪を強化拡大しなければならない。人
民の反戦平和の力こそが、戦争に対する最大の「抑止力」であることを肝に銘じつつ・・・。
(了)
2004年1月23日記す。
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