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書評

日本の怨霊 [著]大森亮尚

[掲載]2007年10月21日
[評者]野口武彦(文芸評論家)

■皇位継承めぐる暗闘と鎮魂の古代史

 天皇家の歴史を語る書があるのならば、天皇家に祟(たた)る怨霊(おんりょう)の歴史を語る書があっても不思議ではない――と著者は本書執筆の動機を語る。

 京都には上下(かみしも)の御霊(ごりょう)神社が鎮座し、「東京に遷都した後の天皇家の負の遺産」を引き継いだかのようにそれぞれ八柱の御霊を祀(まつ)っている。

 いちばん有名なのは雷神と化した菅原道真(みちざね)であるが、この一冊で「天皇家に祟る怨霊の中心人物」として主に描かれるのは、井上内親王と早良(さわら)親王という二人の皇族だ。

 井上内親王は聖武天皇の皇女で、十一歳から二十年にわたって伊勢神宮の斎王だった聖処女である。退下(たいげ)して白壁(しらかべ)王(後の光仁<こうにん>天皇)と結婚。四十五歳という「神業的出産」で他戸(おさべ)親王を生む。

 奈良時代政治史には皇位継承をめぐる暗闘が絶えない。天武天皇の嫡系は競争者を排除しすぎて、称徳女帝の代で途絶え、権力闘争を避けて飲酒に身を晦(くら)ましていた天智天皇系の光仁天皇が六十二歳で即位するに至る。

 井上皇后の至福は一年余りしか続かない。宝亀三年(七七二)三月、天皇を呪詛(じゅそ)していたという嫌疑で皇后を廃される。他戸親王も廃太子。母子は同じ日に死ぬ。不審死である。代わりに立太子したのが山部(やまべ)親王(後の桓武天皇)とあればプロットが読めよう。

 早良親王は桓武の皇太弟である。こちらは延暦四(七八五)年九月、謀反の容疑で幽閉され、憤激のあまり絶食して死んだと言い伝える。

 それから果てしない怨霊の跳梁(ちょうりょう)が始まる。宮中で怪異が続出し、桓武天皇は不安症候や不眠ノイローゼに悩まされる。華やかな平安遷都の裏面には、祟りへの恐怖と不安の影が落ちている。死者の怨念が生者の歴史を動かす。

 著者は怨霊の世界を覗(のぞ)くのではなく、魂の重心をあちら側に掛け、歴史の深みに眠る怨霊と交信するが、文体には達観したユーモアがまじり、行きっぱなしにさせず無事にこちら側へ連れ戻す。

 日本の「鎮魂の文化」は、怨霊への畏(おそ)れを知り、「勝者が敗者に謝罪し、鎮魂する」希有(けう)な逆転の論理だという指摘が心に訴えかけてくる。

    ◇

 おおもり・あきひさ 47年生まれ。古代民俗研究所代表。『悲のフォークロア』など。

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