韓国政府が事件から34年を経て公式に認めた金大中事件への「韓国中央情報部」(KCIA)の関与。金東雲・1等書記官(当時)の事情聴取を拒否して政治決着を図った韓国が、真相究明調査で再び表舞台に事件を持ち出した。日本の捜査関係者には、「いいかげんに終わらせたくない」という解決に向けた強い思いと、国家機関の犯罪と向き合う無力感が複雑に交錯している。
初代内閣安全保障室長・佐々淳行さん(76)は当時、警察庁外事課長。「今ものどにトゲがささったまま」だという。国会でも頻繁に取り上げられ、佐々さんが答弁した回数は240回に上る。
事件は73年8月8日午後1時すぎに発生した。警視庁に一報が入ったのは、約1時間後の同2時14分。この日、金大中氏と面会予定だった自民党の故・宇都宮徳馬議員が連絡を受け、警視庁警備部長に電話した。
「実は、金大中氏が日本に入国していることすら知らなかった」。佐々さんは言う。理由は金大中氏が日本側の警備を断ったためとされるが、発生当初は「KCIAと日本の警察が共謀して誘拐した」とさえ言われ、拉致を防げなかった警察は批判された。
「だからこそ、事件をいいかげんに終わらせてほしくない。警察は妥協していないという姿勢を示したほうがいい」と悔しさを隠さない。
警視庁は麹町署に「金大中氏逮捕監禁事件特別捜査本部」を設置し、初動捜査に152人を動員した。現場から韓国大使館の金書記官の指紋を発見、1カ月後には、韓国に帰国した金書記官に出頭を要請したが、韓国政府に拒否された。
発生から1年後、捜査本部は大幅に縮小され、10年後の83年8月には、専従捜査員数人を残して捜査本部を解散。93年に金大中氏が初めて聴取に応じ、被害届を出したが、捜査に進展はない。
当時、警視庁外事2課長だった井上幸彦氏(69)は「現場は捜査に没頭していた。容疑者の一人を断定したことは大きく、それがなかったら、事件そのものがうやむやになった可能性もある」と振り返った。
今、捜査幹部からは「変わらず韓国に捜査協力を求めていく」「何の進展や変化もないのではないか」と強気と弱気の声が漏れる。主権を侵害されながら、国家の壁に阻まれた特異な経緯と、30年を超える年月がのしかかる。「政治決着を図られても捜査を断念したわけではない。粛々と報告書を受け止め、粛々と捜査を進めるだけ」。ある幹部は静かに語った。【遠山和彦、棚部秀行】
◇公表は評価できる 「全報告・金大中事件」を出版している伊藤成彦・中央大名誉教授の話 過去の事件の真相を公表した韓国側の姿勢は評価できる。日本の捜査当局は建前では捜査を再開させるのだろうが、実際には動かないだろう。主権を侵害された日本と韓国に、事件に対する温度差があるのは理解できるが、今回の一件を契機に、日本の捜査当局も事件捜査を終結させ、事件当時の捜査内容を公表すべきだ。金大中氏は真相を明らかにしてほしいが、処罰は求めないと話している。
◇身柄の要請に障壁 森下忠・広島大学名誉教授(国際刑法)の話 02年に締結された日韓犯罪人引き渡し条約によると、金東雲元書記官の身柄を日本に引き渡すことは法的に可能だ。日本の捜査当局は、韓国側に身柄の引き渡しや捜査協力を要請すべきだが、すでに政治的決着がついている事件でもあり、要請は表面的で、結局韓国側に拒否されてうやむやになってしまう可能性が高い。両国間で事件が決着してしまっていることが最大の障壁だ。
毎日新聞 2007年10月24日 11時35分 (最終更新時間 10月24日 13時25分)