小さな生活汚水が大河の汚濁源となる。落ち葉を集めてたき火もできない。環境問題は一人一人が今できることから始めようと言う が、伝統の火祭りを中止するとなると話は別だ。白山市長が「火祭りを中止する意向」との記事があった。会場問題などがからむようだが「地球温暖化防止からみて適当でない、時代に合わない」からという 同じ紙面に「鞍馬の火祭」が紹介されていた。この対比は皮肉である。鞍馬の火祭や京都の大文字送り火を温暖化対策のため止めようと言えば笑われるのがオチだ。では、京都の著名な火祭りと地方の火祭りは別次元の問題か。そうではなかろう 環境保全とは先祖の残した豊かな自然を子孫に伝えることであり「命」は「炎」に例えられることも多い。伝統行事は燃え尽きることのない命と祈りの連鎖の上にある。古都の祭りも、北陸の火祭りも同じである 人間の存在自体が地球環境に最も悪い、とは単なる皮肉ではない。この厳然たる事実を踏まえた環境教育が大切である。が、ふるさとの歴史や祖父母の生きた時代を知る教育がなければ「自分の時代さえよければ」の風潮はやまないだろう。
|