1983/6/27日PM2:45分ごろ、朝倉は白井宅に車で向かった。バッグには金槌2本、着替え用ジャージ上下などが入っていた。金槌1本はすぐ出せるように外側のポケットに入れていた。
呼び出しに応じて出てきた白井の妻(41)に、いつもどおり「明け渡しの件で来た」と繰り返したが、「主人がいませんので、私には分かりません・・・・・・」と型通りの答えが帰ってきた。
朝倉は、奥に下がった家人を追いかけ居間に入った。12畳の洋室で、食事用テーブルの周りに白井の妻と次男(1歳)、玄関寄り出入り口のところに三女(6歳)がいた。
朝倉はバッグから金槌を取り出し、2人の子どもが見ている前で、白井の妻の正面から金槌を振り下ろした。その場に倒れ、うめきながら這って逃げようとした家人を、金槌を持ったまま追いかけた。流し台の前で襟を左手で掴んで引き寄せ、金槌で頭を殴打。5回目の打撃で、金槌の柄が折れ、鉄の部分が床に落ちた。死因は脳挫傷。この日は41才の誕生日で、前日には次女(9歳)の誕生日を祝ったばかりだった。
「話し合っていて一番気に入らなかったのが奥さんだったね。答えなかったり鼻で笑ったり、奥さんは脅迫的だった」
次男(1)が遺体にすがって泣き始めた。朝倉は、居間に引き返してバッグの中からもう1本の金槌を取り出した。倒れた母親の胸に両手をかけて泣いていた次男の頭を殴打。そのまま母親の上に重なるように動かなくなった。死因は脳挫傷。
居間に引き返すと三女(6)が、恐怖のあまり、顔色を変え、両手を震わせ立ちすくんでいた。朝倉は頭を金槌で殴打、うめきながら仰向けに倒れた。さらに首をしめて殺害。死因は窒息死。
朝倉は3人の死体を浴室に運び、居間などの血を拭き取ってから、浴室に戻った。白井の妻と次男(1)の着衣を包丁で剥ぎ取ったが、三女(6)だけは不憫に思い服を着けたままにしておいた。その後、3人の死体は浴槽に入れ、蓋をして隠した。剥ぎ取った着衣は洗濯機で水洗い、2階に持って行ってその場にあったビニール袋に入れた。
午後3時過ぎ、次女(9)が帰宅、ソファーに座っている朝倉を見て、何も言わないで2階に上がろうとした。そのとき、朝倉は「お姉さんはいつ帰って来るの?」と訊いた。「学校の遠足で29日の夜帰ってくる」と答えた。長女(10歳)は林間学校に参加していて難を逃れた。
「子供もいずれ大きくなれば私に復讐してくると思いました。だからはじめから殺そうと思っていたんです」
朝倉は次女(9)の前に立ち塞がると、首を両手で絞めた。次女(9)は手を振り解こうとしたが、1分ぐらいでぐったりとした。朝倉は遺体を床に寝かせると、傍らにあった掃除機のコード゙を二重にして再度首を絞めた。次女(9)の遺体も服を脱がせて浴槽に入れ、着ていた服を水洗いして2階の袋に入れた。服を剥ぎ取ったことについてはこう言っている。
「死体を気の済むようにしてやろうという気持ちが先でしたね。バラバラにすれば復讐も出来なくなるし。とにかく、それまでの恨みからそのくらいの気持ちになった」
朝倉は白井家の主人である白井明を殺害する準備に取りかかった。血で汚れたジャージを着替え、外に停めてあった車から手斧、手袋などの入った袋を持って白井宅に戻った。
白井は、同僚と寿司屋で飲んでから、午後9時半ごろ帰宅した。明渡しの交渉を試みるが決裂。朝倉が手拳をみぞおちに叩き込むと白井は唸り声を発して前かがみになった。朝倉は手斧を取り出し白井の首左側へ振り下ろした。起き上がろうとしたが2度目の打撃で死亡。
朝倉は襟首を掴んで死体を浴室まで引きずっていった。服を包丁で切り、遺体は浴槽に入れた。着衣は同じように水洗いして脱水し、2階へ持っていった。この時、洋服のポケットの財布から1万3500円を抜き取り、財布はゴミ箱に捨てた。その後、1階居間に飛び散った血を拭い、血がしみ込んだカーペットを浴室で洗浄、玄関の土間に干した。時刻は夜10時を回っていた。「勝ったと思って安心」して朝まで熟睡。
28日朝4時半過ぎ、血のついたジャージを着替え、外に出て車を門の前に移動。トランクからは電動肉挽き機、大型の肉切り包丁、ノコギリ、ビニール袋などを取り出し、宅中へ運び込んだ。再び、車を元あった場所に戻して停めた。
朝倉は、玄関脇階段下から浴室までの廊下に、解体に必要な道具を手順を考えて並べた。浴室に手斧、ノコギリ、肉切り包丁を持ち込み、下着一枚と医療用ゴム手袋をつけて解体作業に取りかかった。
まず、浴槽の中で白井(48)の首切断を手斧で数回試みるが失敗、洗い場に引きずり出しノコギリで切断。次に、肉切り包丁で、左肘関節、左肩関節、左足首、左膝、右手、右足を切断。胴体のみとなった白井(48)の腹部を包丁で裂いて内臓を摘出、ノコギリで胴体を横に切った。さらに、死体を小さく切断、18部位に分け、4つのビニール袋に分けた。内臓は包丁で裁断、電動肉挽き機にかけてミンチ状にしてトイレに流した。一体の解体を終えたのは朝6時半。
朝倉は、次に白井の妻(41)の解体を試みるが、包丁が折れ疲労してもいたため、同じ浴室で体を洗った後、ジャージを着て、居間のソファーの上で休んだ(午前7時)。
午前9時ごろ、白井の妻の母親が「電話が通じないので家の様子を見てくれ」と隣家の主婦に依頼。応対した朝倉は、「この家の人たちは昨夜、引越しました」と答えたので、隣家の主婦は白井の妻の母親に電話で伝えた。
午後0時40分過ぎ、2人の警官が白井宅に急行、ビニールひもで固定してあった裏口ドアの隙間から、警官が家の中に向かって声をかけた。「今、行きますから、ちょっと待ってください」と言って、朝倉は反対の表玄関から飛び出し車で逃亡を図るが、回りこんだ警官に見つかり逮捕。石神井署に身柄を拘束された朝倉は、落ち着いた口調で犯行動機を供述。
林間学校に参加して殺害を免れた小学5年の長女は、翌日も事件のことを知らないまま、貸し切りバスで出された菓子を「弟に持って帰る」としまいこんだ。後、「家族はみんな交通事故で死んだ」と親戚から聞かされた。
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