◇主体性・連携でサロン運営--医療の方向性、指し示す
ひとりのがん患者が先月、逝った。松江市の三成一琅(みなりいちろう)さん。享年62。がん死亡率全国2位で「がん医療後進県」とまでいわれた島根から、全国の患者代表として国のがん対策の方向性を定める厚生労働省の「がん対策推進協議会」委員に選ばれ、「がん対策推進基本計画」の策定にかかわった。患者の立場から発言し行動するその姿を取材し続けた私は、患者側の主体性と連携こそが課題が山積する日本の医療を変える一つのカギを握っていると確信するようになった。
三成さんは流通業界に勤務していた02年に膵臓(すいぞう)がんと診断され、「余命半年」の宣告を受けた。半年後には肝臓に再発。放射線や抗がん剤による治療を続けたが、さらに頸椎(けいつい)やリンパにも転移した。
「企業戦士」だったが、がんになって初めて患者が薬の副作用や痛みによる苦しみに耐えることしかないというがん医療の問題点を知った。患者同士が励まし合い、学ぶ場が必要だと感じ、ほかの患者・遺族と共にがんについて自由に語り合える場である「がんサロン」の設立に奔走。06年7月には、松江市立病院内での開設にこぎつけた。
三成さんの生前、三成さんが代表を務める同病院のサロンを取材した。毎回10人ほどが集まり、情報交換をする。「セカンドオピニオン(診断や治療方法について主治医以外の医師の意見を聞くこと)はどこで受ければいい?」「地域での緩和ケアを充実させてほしい」。サロンで出た患者の意見を、三成さんは県や病院関係者のもとに足しげく通って伝えていった。
私が三成さんの取材を始めたのは約2年前。「がんは隠す病気」との認識が強く残る地方で、がんを語り行動を起こす患者はまだ珍しい存在だったが、三成さんに共感した患者の手でサロンは急速に広がり、現在、県内14カ所に設置され、さらに広がりつつある。
がんサロンなどの活動が認められ、がん対策推進協議会委員に選ばれた今年4月ごろから体調が悪化。痛みをこらえながらも「地方代表だから」と上京、医療の地域格差是正を訴えた。「手がしびれて重いのは持てない」と泊まりがけでも荷物は薄いかばん一つ。まさに命がけだった。
8月、松江市立病院で倒れて入院。先月11日、家族が見守る中、亡くなった。遺族によると、意識がないはずなのに病床で時折パソコンを打つような仕草を見せたという。まだやり残したことがあるという思いが強かったのだろう。
だが、三成さんは確実に大きなものを残した。同市立病院や島根大病院のサロンでは、病院と連携して月1回の勉強会を開始。患者と医療従事者とが交流することで、互いの距離が少しずつ縮まりつつある。地域のサロンには地元中学の生徒や研修医、看護学生が訪れ、医療教育の場としての役目も担い始めている。
島根大医学部にはがん専門医を育てるコースができた。今月から、三成さんが審議作成にかかわった国の基本計画を基に、患者をまじえた県のがん計画の審議も始まる。
官民挙げての島根のがん対策は全国から注目され、県外からの視察も多い。がん対策推進協議会座長の垣添忠生・国立がんセンター名誉総長も何度か来県し「患者が連携して行政・医療を動かす島根の取り組みは素晴らしい」とたたえた。
これまで島根では度々、医師不足や医療格差がクローズアップされてきた。人口10万人当たりのがん死亡者数は333・5人(06年)で秋田に次ぐ全国ワースト2位。医師は都市部に集中し、離島や中山間地では足りない。昨年は離島・隠岐で一時、常勤産婦人科医がいなくなったためお産ができなくなり、島の妊婦全員が本土に渡って出産する事態にもなった。
そのような島根でがん対策が急速に進んだ理由は、要望だけでなく主体的に学び、医療や行政関係者と連携して対策を進める三成さんら患者の姿があったからだ。
三成さんらがん患者の取材を通して思う。患者が医療に関心を持ち、医療や行政側と共に行動しない限り「患者のための医療」などありえないと。このことは、がんに限らず、今後の医療の方向性を考える時の一つのモデルになると思う。
取材ノートにつづった三成さんの言葉もそれを訴えている。「患者の意識は少しずつ変わってきた。でもまだ医者に任せきり。不満があってもそこで止まっている。そうじゃないんだ。互いに学び意見を交わせば(医療は)少しずつ変わっていく」
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毎日新聞 2007年10月23日 東京朝刊
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