今から64年前の昭和18年10月21日、2万5千人の学徒が雨の神宮外苑を行進した。「出陣学徒壮行会」。学業の断念を余儀なくされ、多くの若者たちが、太平洋戦争の激戦地へと送られていった。その中で、飛行兵を志願した者の多くが、爆弾を積んだ飛行機もろとも敵に突撃する“特攻兵”となった。 昭和18年、ガダルカナル島からの撤退など戦況は急速に悪化。翌19年に万策尽きた海軍が、特攻作戦をレイテ沖海戦で敢行した。これに続き、陸軍も特攻隊を編成。そこに多くの学徒兵も投入された。パイロットとしての訓練は、わずか1年。さらに陸軍は、主な兵器を本土防衛に回したため、特攻隊の装備はほとんどが旧式のものだった。最後の戦闘となった沖縄戦。陸軍特攻隊は、慣れぬ海上で成算なき攻撃を繰り返し、300人を超える学徒兵が海に散った。陸軍の特攻作戦はどのように遂行されたのか。陸軍特攻の司令官が残した日記と元特攻兵の証言を軸にその真実を浮き彫りにする。
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