小和田家と村上市 市報むらかみ ご成婚記念特別号より抜粋(平成5年8月発行) |
|||||
雅子さまと村上市とは、とりわけ深いご縁があります。小和田家の祖先は、旧村上藩主内藤侯(五万石)の藩士で、祖父の金吉さん(明治33年没)の本籍地は、村上市本町一現在の飯野一丁目)。一族のお墓も西真寺(寺町)と本悟寺一細工町)にあります。
三面川は、世界初の鮭自然ふ化増殖法「種川の制」を創設したことで知られていますが、この鮭増殖事業による育英制度で、旧藩士の子弟は学問に励みました。祖父の毅夫(たけお)さんも村上鮭産育養所の奨学資金で学んだ「鮭の子」のひとり。県立高田高校の校長を最後に教職を退きました。 雅子さまの父親 恒さんは、外務事務次官(平成5年8月現在)。新発田市で生まれ、高田市(現在の上越市)で育ちました。六年前、恒さんは優美子夫人(54)と両親の毅夫さん静さん(89)とともに村上へお墓参りに来られ、市郷土資料館を訪れたとき、足が不自由な静さんを「私がおぶいます」と階上へ上がり、二階に展示されている城下絵図から本籍地を見つけられて、「ここに私たちのご先祖が住んでおられたのですね」と感慨深げに話していたといいます。故稲葉元法相の秘書時代、恒さんと面識がある若林市長は、「恒さんはもの静かで、とても冷静なお方という印象があります」と語っています。 小和田家では年越しに「塩引き鮭」を愛好されているのも、「鮭の村上」と、とりわけご縁があるからでしょう。 皇太子さまと雅子さまとの出会いは昭和61年秋。その後、雅子さまの英国留学などで交際は約5年間中断。昨年夏に再会後、皇太子さまの熱心なプロポーズを雅子さまが受け入れられご結婚が承認された。 (はまなす) 初夏から初秋にかけて五弁の花を開くバラ科の植物。お印は、東京芸術大学の吉田左源二名誉教授がデザインした。
市では、このご成婚をお祝いし、小和田家に記念品として花瓶と花台のセット。両殿下には硯箱文鎮のセットを贈呈しました。いずれも村上高等職業訓練校漆器科が制作し、労働大臣賞を受賞した大作です。雅子きまの祖父に当たる小和田毅夫さんも、お祝いとしてやはり文箱を贈られました。 |
|||||
| | お問い合わせ E-mail: info@city.murakami.niigata.jp 掲載中の記事・写真・イラストの無断掲載・転用を禁じます。 Copyright (C) 1998-2001 MURAKAMI City Office. All Rights Reserved. |