(cache) スリジャヤワルダナプラコッテ(仮) | 閉鎖病院 大阪市立少年保養所

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閉鎖病院 大阪市立少年保養所


大阪府貝塚市橋本 Map

廃スポット探索で病院だけは行く気が起こらなかった。
何故かと言えば遊園地やホテルと違い
病院は病に冒されて行く場合が殆どで辛い思いをされた方が多いはず。
幾らいい加減な私でも廃病院探索は避けていたが
有名サイト、蛙の結核隔離病棟を見て考えが変わった。
1枚の写真に大阪市立少年の文字が見て取れる。
調べていく内、 大阪市教育委員会 告知に
大阪市立少年保養所の記述があった。 という事は大阪市の施設だ。 
管理人が許可を取ってくれたので、合法的な探索だの
公立の施設だから無断進入すると即通報と書いてある。
しかし、腑に落ちない。 公立ならば管理人は大阪市に雇われている訳だ。
(実際の管理はラX−警備) 
管理人独断で見学を許可するのは越権行為だろう。
それとも 旧尼崎警察署見学会 のように
大阪市教育委員会は結核病棟見学を許可しているのか?
教育委員会公認なら私も少年保養所を見てみたい キラキラ
と言いたいところだけど、そんな訳ないだろうが。
個人のサイトに掲載のみだったら文句は言わない。
或る日、SNSコミニュティを見て吃驚。
蛙サイトで見た結核隔離病棟と同じ写真が載せてあり
おまけにそこで11月某日 結核病棟見学、鍋パーティ、看護婦コスプレ
を取り混ぜた閉鎖病院inイベントを行なうと書いてあった。
子供達の苦い思い出が染み付いている病院で
乱痴気騒ぎをするとは許されない行為だ。


蛙サイトで見た結核隔離病棟は少年保養所だと
確信しているものの、実際この目で確かめなければ。
大阪市立少年保養所は1948年 (昭和23年) 転地療養を必要とする
結核療養児の為に開設、1992年 (平成4年) 休止になった。
水間鉄道・三ツ松下車、西に向って約2km歩く。
木々が鬱蒼と繁った細い道を抜けると左手に田畑が
右に少年保養所が見える。 しかし、フェンスが病棟の廻りを囲み
木と笹薮の間から建物を垣間見るのが精一杯。
画像の矢印方向に歩いてみたが、病棟を間近に見る事は出来なかった。



草木に飲み込まれてしまった少年保養所。
閉鎖から15年間、手入れされず放置されたまま。



本館を見ない限り、少年保養所と断言出来ない。
元来た道を戻り、北へ回って貝塚養護学校へ。
学校の正門前を通り過ぎると少年保養所へ向う舗装道が見えてきた。
緩やかな坂道の前に立ちはだかる鉄の門。
運の良い事に門の横に山道があり、笹を掻き分け本館へ向う。



本館手前にある家か小屋か分からない建物。 



本館を見て蛙サイトの結核隔離病棟=大阪市立少年保養所と確認。
側に近づいてみると窓のカーテンが半分開き、光が洩れていた。
明らかに管理人がいる! 玄関脇には青い自動車が。
これは不味いと早々に退散 走る

数日前、閉鎖病院inイベントの参加人数を見れば約40名になっていた。
その中には有名廃墟サイトの管理人もいる。
私のように場所を明かす奴を目の仇にしている人達だ。
廃墟は人の目に触れず、静かに朽ち果ててほしい。
と言っている舌の根の乾かぬ内に結核病棟で狂宴を繰り広げるのか!?
大の男なら白衣コスプレなんぞせず、節を貫いて欲しい。
関西ノスタルジア | 17:00 | - | -