東京芸術大には東京美術学校時代の一八九八年から、卒業制作で自画像を描く伝統があるそうだ。最近手にした河邑厚徳著「芸大生の自画像 四八〇〇点の卒業制作」(NHK出版)で知った。
同書は洋画家藤田嗣治や現代美術家村上隆氏ら八十四人の自画像と経歴で構成。その中に岡山県出身の洋画家児島虎次郎(一八八一―一九二九年)と同佐藤一章(一九〇五―六〇年)の名前もあり、児島は大原美術館の名画収集の偉業にも触れながら、熊谷守一、青木繁らと共に「天才たちを輩出した一九〇四年組」と紹介されている。
ところが、佐藤は「調査しましたがわかりませんでした」とそっけない。郷土では、日展初の地方展・岡山展開催(四八年)や岡山大教育学部の特設美術科創設(五三年)に尽力した人物として知られる。県立美術館では作品を収蔵しているし、出身地の矢掛町は収集にとどまらず、名誉町民としてたたえている。それだけにがくぜんとしてしまった。
児島を含めほとんどの作家像はきちんと描かれており、日本美術史の一端を知る本であるのは間違いない。しかし、佐藤の件に関していえば、取材不足は否めない。地方からさまざまなメディアを通し情報発信される現代。どうしてこうした事態が起こるのか。
地方と中央の間に微妙な“ズレ”があるとすれば、それを埋めるための役割が地方紙にもあるだろう。地方と中央の距離を縮める方策とは何か。郷土の群像をつまびらかにする記事を書き続けながら、読者の皆さんと共に考えていきたい。
(文化家庭部・金居幹雄)