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1:「カリスマ社長」
秋 ついに勇退
37年勤め上げ
2:池田元首相より早かった
給与倍増計画
変わった社員の目
3:ひざ震えた新会社
工場建設の決断
4:存亡かけた大阪商人との
真剣勝負
5:江戸期の参宮街道、再現
老舗の味から人情まで、
「参拝客に伝えたい」
6:参拝客へ持てなしの心、
復活
春から地域ぐるみで「施行」
7:「経営者は未来から
考えなければ」
「赤福理念の書」で指南」

人物略歴  
はまだ・ますたね
  1937年5月6日、三重県伊勢市生まれ、68歳。慶応大学経済学部卒業後の60年4月に赤福入社、同年9月専務、68年社長。同年マスヤを創立して社長。75年日本青年会議所副会頭。93年「おかげ横丁」を開設。現在、伊勢商工会議所会頭、国土交通省の「観光カリスマ」、伊勢神宮崇敬会理事、皇学館大学理事。趣味は碁。同市内で母、妻、長男家族と8人暮らし。
[1] 「カリスマ社長」秋 ついに勇退
   --37年勤め上げ
 
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 「この秋には、私も長男に社長を譲ります」

  会場から小さなどよめきが起きた。今年3月8日、名古屋市西区の産業技術記念館で開かれた観光立国シンポジウム。「老人文化の特徴」について話していた浜田益嗣さんが、自身の社長勇退を初めて公表した。全国に知られる浜田さんだけに、さっそく翌日の経済紙に掲載された。「赤福、37年ぶりに若返り――長男が今秋社長に」

  社長交代は浜田さんにとって、唐突な話ではなかった。長男には5年前から伝えていた。「07年に迎える創業300年は、11代目当主が取り組みなさい」と。

  言われた長男は特に驚いた表情も見せず、来るべきものが来たという感じだったそうだ。今のところ10月1日付の役員人事で専務の長男・典保さん(43)を社長に昇格させ、浜田さんは代表権のある会長に就く予定。

  それにしても、この時期の交代理由は何か。浜田さんは淡々と語る。「私が長くやり過ぎたのと、創業300年の節目を後継者にまかせるためです。若い者にとってもけじめがつくし、責任感も強まります。私も創業260年の翌年に社長となり、貴重な体験を積みました」。もちろん、後継者の成長や経営の安定という好条件にあることは言うまでもない。

  しかし、長男に譲るのは「赤福」本体の社長だけ。赤福グループ企業数社の文化や伝統、生活にかかわる事業は、今後も浜田さんが全体を掌握していく考えだ。

  「こうした取り組みには40代の息子より、70近くの人生経験を持つ私の方が成功しやすい。私のライフワークとして打ち込み、将来的には孫に継がすつもり」。浜田さんは意欲満々だ。

  とはいえ、37年間も社長を続けた最大の理由は、31歳という若さでの就任。父親の9代目当主が、浜田さんの生後9カ月の38年に25歳で戦死。浜田さんが祖母と母の女手だけで育てられ、大学卒業と同時に経営者となったからだ。いわば、1人で2代分を勤めたことになる。

  「オーナー経営者に定年はないものの、やはり37年は長いですね。特に、卒業当時の弊社はさまざまな問題を抱えており、社会に出たばかりの若造には、本当に厳しい毎日でした。今日があるのは、社長をしていた気丈な祖母らのお陰としか言えません」と当時を振り返る。

  60年当時の赤福は、従業員94人で年商約8400万円だった。「どうしたら経営者として認められるか」「どうしたら売り上げが伸びるか」。浜田さんはそればかりを思い続け、やがて一つのアイデアを考えついた。

  赤福(本社・伊勢市)は餅菓子「赤福」の製造・販売と店舗の企画・運営の会社。伊勢神宮内宮の門前で1707(江戸時代の宝永4)年に創業。1954年株式会社に改組。93年には門前の一角に飲食店など約45店舗が連なる「おかげ横丁」をオープンさせ、年間320万人ほどが訪れる。資本金7700万円、年商78億円(04年9月期)。従業員480人。

文・・安間教雄/写真・小林理幸>

毎日新聞中部本社版 [朝刊] 2005/8/9掲載
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