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木原光知子さん死去:原点は水泳…「恩返ししなくては」

 1964年東京五輪競泳女子自由形代表で、競技引退後もタレント、水泳指導など幅広い活躍を見せていた木原光知子さんが18日、くも膜下出血のため59歳で死去した。

 高校1年生で東京五輪代表となった木原さんは、当時のアイドル的な存在だった。大学在学中に水着メーカーのモデルになり、当時の日本水泳連盟のリーダーたちから批判を浴びたり、テレビのワイドショーの司会をやったり、女優をしたこともある。

 今でこそ一線を退いた後、メディアの世界で活躍する元オリンピアンは珍しくないが、その草分けだった。

 ただ、木原さんの原点はあくまで水泳だった。「面白いことをいろいろさせてもらった。でも、こういう経験は水泳の選手だったからこそ。だから水泳には恩返しをしなくては」

 全国に展開したミミ・スイミングクラブは、トップ・スイマーの育成など全く考えないクラブだ。女性、お年寄りが中心で、あるいは障害を持つ人も受け入れた。中高年の女性用に、おなかの脂肪が目立たない水着もデザインした。普段の生活の中で水泳を楽しむ人が一人でも増やしたい、と願っていた。

 女性による女性のための水泳大会「ウーマンズ・スイム・フェスティバル」をスタートさせ、昨年には第10回を数えた。一時は批判もされた日本水連の理事を引き受けたのも、水泳への感謝の気持ちからだった。

 初めて会う人には必ず「ねえ、泳いでる? 水泳は体にいいよ」と勧め「泳いでいるから、私はこんなに元気なんだから」と話していた木原さん。プールで倒れたと聞くと、最後まで水泳に恩返しをしていたのだ、と思う。【冨重圭以子】

 ▽東京五輪の体操女子代表で日本スポーツ振興センター理事長(前参院議員)の小野清子さん 突然のことで驚いている。いろいろな分野で素晴らしい活躍をされて、ユーモアと優しさにあふれる人だった。競技の普及にも熱心で、女性オリンピアンで構成するトータル・オリンピック・レディース会では私の後を受け継いで会長になっていただいた。私と同じ干支(えと)で一回り年下だった縁もあり、親しくしていたのでとてもさびしい。

 ▽1960年ローマ五輪女子100メートル背泳ぎ銅メダリストの竹宇治(旧姓田中)聡子さん 東京五輪では、400メートルメドレーリレーを一緒に泳ぎました。あの人がいると、みんなが楽しくなる。いないと困るという存在でした。若いころからずっと合宿などで一緒で、私が姉、あの子が妹みたいな間柄。しばらく会わなくても、顔を見れば昔のように語り合える関係でした。

毎日新聞 2007年10月18日 20時33分 (最終更新時間 10月18日 20時44分)

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