虚構と現実のあいだ。
今回は「C王子」としてではなく、C王子という人格を生み出している「妄想作家」として書かせていただく。
Web上で約2ヶ月に渡って作り上げた長い作品が完結した。
ブログという新しい土壌だったからか、予想以上の反響があり(ピーク時の1日の訪問者1500人以上、アメブロランキング60位、ブログランキング3位)、その反響の大きさには自分でも驚愕した。
この作品はある男性が終電車の中である女性に起こされ、恋をするという物語。
主人公の2人は、『終電車 』と『ハル 』というハンドルネームでお互いブログを書いているというところに工夫を凝らした。
上にも述べたように、ブログという新しい土壌で展開されたこの小説は、読者からの意見を元に展開が進み、作品が1人歩きするという結果になった。
もちろん、私自身が別人格として潜り込み、進行の操作に加わっていたことは言うまでもない。
しかし、この作品にいたっては、私1人でというよりも、皆で作り上げた作品と言っても過言ではない。
最後に私が、「この物語は作者1人による自作自演の小説だ」と語ったとき、多くの人を困惑、そして傷付けてしまうことになった。
そのことは大変申し訳なく思っている。
ただ、私が伝えたかったのはハッピーエンドで終わる2人の物語ではなかった。
(それを望むのであらば他にいくらで優れた恋愛小説を紹介する)
この世の中では、目に見えているもの全てが真であるとは限らない。
また、目に見えないもの全てが偽であるとも限らない。
そして、真だと思っているものは本当に真で、偽と思っているものは本当に偽であろうか。
真と偽の境目はどこに存在するのだろうか。
本当はどちらも真であり、またどちらも偽ではないのだろうか。
私は真と偽の間にある、曖昧な部分が全てだと思っている。
そして今回の作品はまさに真と偽のあいだ、つまりは「現実と虚構のあいだ」の曖昧な部分に存在すると思っている。
「終電車 」や「ハル 」、「暇人 」や「キューピッド 」、そして「C王子 」という人物は、現実のものとして(今PCの前に存在している)私の頭の中に確かに存在している。
そしてネット上には、彼らは読者によって作り上げられた「虚像」として今も尚、存在している。
さらに、コメントやトラックバックをくれた人はそこに「実像」、あるいは「虚像」として存在したはずだ。
今この文章を読んでいるあなたでさえ、現実の(今PCの前に存在している)「あなた」と、ブログ上での「あなた」は完全な同一人物であろうか。
自分で書き、人に見られるうちに少しでも美化、あるいは脚色され、「実像」から「虚像」へと発展してはいないだろうか。
「終電車」や「ハル」の存在は真であろうか。偽であろうか。
2人の物語は現実のものであろうか。虚構のものであろうか。
■すごい。
なんといっていいのか、言葉が見つからないくらいに、頭の中を揺さぶられた感じがしました。
この感覚は、何年か前の映画「ブレアウィッチ・プロジェクト」を初めて見たときの感覚です。
良い、面白い、という感想を遙か通り越して。
すごい。
私はライブ・パフォーマンスという世界で、そんなステージを演出してみたかった。