ここから本文エリア ビルマで戦死した日本兵の手紙、64年ぶりに届く2007年10月20日 太平洋戦争中にビルマ(現ミャンマー)で戦死した日本兵が出征先から高知県の知人に送った絵はがきが19日、64年を経てあて先に届いた。配達の途中で米国に渡ったままになっていたが、米国留学ではがきの存在を知った日本人学生らが受取人を捜し出した。
差出人は高知県本山町出身の山下信近さん。1944年に23歳で戦死した。召集前に同町の雑貨店で一緒に働いていた永野静雄さん(80)あてに戦地から送ったとみられる。 あて先の下の文面は13行。「永野君 長い間御無沙汰致しました」で始まり、「銃後におっての第一戦で働いて居る事でしょう 僕も御蔭で日夜国務に精励致して居ります」と健在ぶりを伝えている。「此(こ)ちらわ内地の七、八月頃の気候です」と南方らしい記述もある。末尾に「18・2・16」とあり、43年2月に書かれたらしい。裏面は馬で土地を開拓する様子を撮ったカラー写真で余白に「御一同様には御変りなく御壮健にて」と書かれていた。 永野さんは徴用されて長崎県などの軍需工場を転々とし、はがきを受け取ることはなかった。戦後、進駐軍の米兵が長崎県内の民家で見つけ、米アリゾナ州の自宅に持ち帰った。米兵は82年に死んだがハワイに移住した息子が保管していた。 兵庫県西宮市の武庫川女子大2年、児嶋佑子さん(20)が05年10月、この息子の家族と留学先のハワイで知り合い、「受取人に届けて」と託された。帰国後に本山町などに問い合わせたがたどりつけず、06年5月に厚生労働省に依頼し、同町に戻っていた永野さんの住所が判明した。 この日、同大学で児嶋さんからはがきを受け取った永野さんは「山下さんは仕事を教えてくれる兄貴のような人だった」と懐かしみ、短い文面に「検閲があったから詳しいことは書けなかったはず」と語った。何度も「ありがとう」を繰り返した。児嶋さんは「平和になって留学に行けたから絵はがきを届けられた。戦争を初めて実感した」と話した。 PR情報関西ニュース
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