小諸市荒町のすし店経営、奥野元子さん(当時63歳)が集団暴行を受け死亡した事件で、県警の家宅捜索を受けた宗教法人「紀元会」。元幹部信者の証言や、教団の冊子などから分かるのは、数年前の創始者の男性の死を境に、同会の性格が変質したということだ。何が変わったのか。教団の全ぼうに迫った。
教団が発行した「紀元会 二拾年の歩み」(90年刊)などによると、紀元会は、70年10月に地元出身の松井健介氏(故人)が設立した。全世界の神を支配する「日之本大神様」の指示を受けたという松井氏が「紀元水」などを発見。「万病に効く」などという触れ込みで全国から信者を募り、77年には信者数が約2万人に膨れあがった。40年以上信仰している男性信者は「妻のがんの治療を目的に入会した。水を飲んだら治った」と語る。
数年前まで幹部を務めた元信者によると、創始者の松井氏が「総裁」と呼ばれるトップの座に君臨。松井氏の娘や親類が「総代」「神事総長」に就いて、教団運営をしていた。毎年7~8月にかけて開催される「紀元水祭」など年間約20回行われる祭事の実務を担当。さらに「紀元水」などを販売、勧誘活動を展開する「代議胤(だいぎいん)」と呼ばれる支部組織が長野のほか、群馬や東京など全国5カ所にある。教団の収入源は主に「紀元水」の売り上げや、「奉納金」と呼ばれるお布施だった。元幹部信者は「私も年間400万円ほどは納めていた。ピーク時には教団で、年間億単位のお金が集まっていた」と話す。
しかし松井氏の死をきっかけに教団は変ぼうする。松井氏の娘が後を継いだが、毎日のように「勉強会」と称する集会を開き、「信仰一辺倒になった」(元幹部)という。
元幹部によると、閉鎖的な性格を強める教団のあり方に不満を持つ古株信者も多かった。奧野さんもその一人で、実権を握っていたとされる教団幹部の窪田康子容疑者(49)との間にあつれきがあったという。今も家族が信者だという元男性信者は言う。「先代の総裁がいたころは暴力事件なんてあり得なかった。これだけ変わってしまったのなら、解散してもらったほうが信者も救われるのではないか」
毎日新聞 2007年10月19日